1614:【⑪】エーリヒくん、決意する。
ぼんやりとした人型はナイさまの魔術により消滅し、謁見場は元の姿――といってもぼろぼろだけれど――へと戻っている。緊張がほどけたのか、俺もジークフリードもマルクスもギド殿下も他の護衛の人たちも溜息を吐いた。
横腹に走る痛みは治まっていないけれど、出血量が少しマシになってきていた。ジークフリードの頬に入った切り傷も薄くなっている。もしかしてナイさまは複合魔術を使ったのかと俺は疑問を抱えつつ、ぼんやりとした人型がいた方へと顔を向ける。マルクスとギド殿下も俺に釣られたのか、ぼんやりとした人型の方へと視線を向けていた。
「消えた」
「消えたな。アストライアー侯爵の力は堕ちた神でさえ敵わないようだ」
ふうと息を吐いた彼らは抜いていた剣を鞘に納める。俺は首から下げていたグイーさまの石を持ち上げた。
「あ」
黒く染まっていた石は元の色へと戻っている。もしかしてぼんやりとした人型が消えたからだろうか。なににせよ、事情を伝えてまた同じことが起きないように神さま方には対策をお願いしたいところである。あと真贋の王冠はどうなったと玉座に視線を向ければ静かに椅子の上に佇んでいる。ナイさまと二柱さまがやってきてくれたなら、俺たちの安全は確保されただろうと身体の力を抜いた。
男としては情けないけれど、魔力がものをいう世界でナイさまに敵う人などいないはず。そのお陰かナイさまは六節の魔術を発動させたというのに、ケロッとした顔で俺たちの下へと近づいた。
「ジーク、エーリヒさま、マルクスさま、ギド殿下。皆さま。大丈夫ですか?」
ナイさまの声に場にいるみんなが頷いた。他の護衛の人たちからも助かったと声が上がり、表情が穏やかなものになっている。ジークフリードはナイさまの姿をじっと見つめて、側へときた彼女の前に立った。
「ナイ。どうして?」
片眉を上げながらジークフリードがナイさまに問うている。相変わらず凸凹コンビというべきか、身長差が凄い二人だけれど、ナイさまは前に顔を合わせた時より背が高くなっている。成長しないと嘆いていた彼女であるが、ようやく身体が育ちたいと主張し始めたようだ。あと十五センチ伸びれば、百七十センチに届くだろうから、そこまで伸びればジークフリードと並んでも違和感はないだろう。
ジークフリードとナイさまの身長差を指摘する猛者はいないと思うが、世の中いろんな人がいる。まかり間違って『チビとノッポ』なんてナイさまの耳に届いた日には『怒りの日』となりそうだ。そうならないようにと俺が願っていると、ナイさまは少し照れながらジークフリードを見上げる。
「ヴァルトルーデさまとジルケさまに連れてきて貰った。グイーさまから預かった石に反応があったからって」
ナイさまの声に肩の上に乗っているクロさまはご機嫌に『良かったねえ、ジークフリード』と言い、ナイさまの側で控えているジークリンデさんが『兄さん、少し羨ましい』とぼやいている。なにがあったのだろうと俺が首を傾げると、ジークフリードも首を横に少し倒して口を開いた。
「それにしても到着が早くないか?」
たしかにグイーさまの石が黒く染まってから、少しの時間しか経っていない。俺たちはアルバトロス王国から霧隠れの亡国までに一ケ月の時間を要していた。転移を使ったようだけれど、それにしたって凄くナイさまたちの到着が凄く早いのは間違いないことである。
「ジークフリードが心配で、早く転移しろって急かされた」
「みてえだなあ。私も連れて行けって珍しく強い感情を見せていたからな」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが愉快そうな表情でナイさまを見ていた。するとナイさまは顔を少し赤く染めながら、口をへの字にしてから言葉を紡ぐ。
「二柱さま。余計なことを言わないでください。戻ったら夕飯抜き……は酷いから、明日のお茶の時間のおやつ抜きにしますよ」
「それは嫌だ」
「食い物でどうにかしようとするなよ、ナイ」
ナイさまの声に二柱さまが微妙な顔つきになった。夕食を抜きにしないのは、空腹を耐えることを苦手としているナイさまらしいというか。ヴァルトルーデさまとジルケさまは明日のおやつが抜きになってしまうことに抗議の声を上げている。
「でも、ヴァルトルーデさまとジルケさまには一番効果がありますよね?」
ナイさまの声に二柱さまが『そうだけれど』『そうだけどよ』と不服そうに答えていた。結局、明日のおやつは提供されることになり、ヴァルトルーデさまとジルケさまのご機嫌が戻る。やれやれと肩を竦めるみんなの中からマルクスが一歩前に出た。
「アストライアー侯爵。すまないが、エーリヒの傷を診てくれ」
マルクスがナイさまに頭を下げれば、彼女がはっとした顔を浮かべて俺の下へと駆け寄りしゃがみ込んだ。傷を見せてくれと言わんばかりにナイさまが真面目な顔で俺を見るのだが、魔術で治療を施す必要はないはずだ。
「大丈夫です。血は大分止まりましたから」
俺は苦笑いを浮かべる。マルクスが渡してくれた布に血が染みついているものの、飽和して下に流れ落ちることはない。
「大丈夫ではありませんよ。怪我が原因で違う病気に罹る可能性があることを知っているでしょう?」
ナイさまは早く布をのけて下さいと言いたげな顔を浮かべ、ヴァルトルーデさまがナイさまの横にしゃがみ込む。
「それは、そうですが……男として意地を張りたいと言います……――」
たしかに怪我したところから菌が入り大事になることはあるけれど、きちんと消毒を行えば問題ないと俺が笑えば、ヴァルトルーデさまが右手を伸ばして布の上から傷を押す。
「――痛い!」
「我慢しない」
「ナイに治して貰っておけ」
ヴァルトルーデさまがジト目で、ジルケさまが肩を竦めながら笑う。ナイさまは『早くしてください』と俺が着ている上着を捲る。遠慮がないから、ナイさまは恥ずかしくないようだ。フィーネさまは多分、照れるのだろうと俺が目を細めていれば、ナイさまが二節の魔術を発動させた。するとナイさまが手を翳した俺の脇腹に温かい熱が灯って、傷の痛みが引いて行く。
切れていた脇腹の肉と皮がくっつけば、血はきちんと止まっている。俺はナイさまに傷に触れてみても良いか確認を取れば、強く抑えなければ大丈夫という言葉を貰う。おそるおそる傷跡を撫でると、今まで通りの感触が手に伝わる。初めて治癒魔術を受けたけれど、こういう感じなのかと俺は溜息を吐いた。
「凄い」
勝手に俺の口から声が漏れていた。するとナイさまが微妙な顔になる。
「いえ。私は傷まで綺麗に治せないので……」
たしかに傷跡が残っているけれど目立つものではないし、時間が経てば綺麗に消えそうだ。そうご自身を卑下しなくて良いのではと思うものの、治癒に関してはアリア・フライハイト嬢の方が奇跡と呼べる代物の魔術を扱えるのだ。
ナイさまが凹むのは仕方ないのかと俺は片眉を上げると、お礼を伝えていないことを忘れていた。俺は直ぐに感謝の言葉を告げれば、ナイさまは気にしないでくださいと言ってくれた。そして、他の方も怪我を負っていないか確認してきますと告げて、ナイさまが立ち上がる。俺は彼女が立ち去る前にふと思い浮かんだことを口に出した。
「あれ? ナイさま。ジルケさまの神力で右手を怪我した時は誰にも治せなかったですよね?」
「ええ」
俺の声にナイさまが振り向く。ナイさまは俺の言葉の意図がイマイチ理解できていないのか、不思議そうにしていた。
「堕ちた神さまが付けた傷、治せるんですね」
「言われてみれば……」
俺が伝え直せば、ナイさまが『あれ?』と首を傾げた。先程、六節の魔術を放った彼女は意識していなかったかもしれないが、堕ちた神さまでも力は相当なもののはず。
それを考えると、立ち向かったジークフリードとマルクスとギド殿下に他の護衛の人たちも凄い。本当に俺は守られてばかりだったと後悔してしまいそうになる。不意にヴァルトルーデさまが俺の顔を覗き込んで『あまり気にしない方が良い』と言って立ちあがった。そして西の女神さまはナイさまの方へと顔を向ける。
「ナイだから」
「ナイだからなあ。阿呆みたいに魔力が備わっているから……堕ちた神の力より強いんだろうよ」
呆れているようにヴァルトルーデさまとジルケさまが声を上げれば、ナイさまが『うっさいですよ、二柱さま!』と抗議の声を上げた。すると二柱さまは面白そうな顔を浮かべ、怪我を負った人に治癒を施そうとしているナイさまの下へと歩いて行く。
なんだかんだ言って、ナイさまとヴァルトルーデさまとジルケさまは仲が良い。姉妹と称されれば、なにも知らない人たちは信じてしまいそうである。あり得ないことはなさそうだと俺は笑って、座り込んでいた場所から立ち上がった。
「エーリヒ、大丈夫か?」
いつの間にか俺の側にきていたジークフリードが声を掛けてくれる。
「うん。ジークフリードはナイさまに頬の傷を治して貰ったんだな」
俺が彼を少し見上げれば、顔についていた傷が綺麗に治っていた。ジークフリードは『これくらい大丈夫だと言ったんだがな』と治癒を一度拒否したようだけれど、ナイさまが気になるからと言って強制的に魔術を施されたとのこと。
他の人たちもナイさまの治癒を受けると、凄く感心したように怪我を負った部分を確認していた。聖女の務めを果たしているナイさまを見るのは久しぶりだと俺が目を細めると、ジークフリードの腰元に佩いているレダが少し震えている。
『マスターの魔力……うふふふふ……!』
女性の声というのに随分と低いものになっていた。どうしたのかと剣の持ち主であるジークフリードを俺が見れば『放っといてやれ』と声が上がる。
しばらく謁見場で過ごしていれば、治療を終えたナイさまは謁見場の玉座へと近づいて、ジークリンデさんと共に座面の上を覗いていた。クロさまも興味があるようで、こてんこてんと首を傾げている。そしてヴァルトルーデさまとジルケさまもナイさまの下へ行けば声が上がる。
「エーリヒさま。真贋の王冠は如何なさいます?」
ナイさまが俺の方を向いて、真贋の王冠をどうするか問うてくるものの、俺ではどうにもできないだろう。俺は彼女の下へと歩いて行き、玉座の座面にある王冠を見下ろす。
「俺が持とうとすると抵抗されましたので……あれ? 禍々しい雰囲気が消えている……」
俺が首を傾げると、ジークフリードとマルクスとギド殿下も玉座へと近寄って王冠を見ていた。
「ナイが堕ちた神を消したからじゃないか?」
「影響、受けてそうだしな」
「あり得ない話ではなさそうだ」
不思議そうな顔になる三人に、ナイさまは『あ、そうだ』と軽く声を上げて言葉を続けた。
「とりあえず、浄化魔術を施してみますね。なにかあってもいけませんから」
よしと気合を入れているナイさまだけれど、先程六節の魔術を唱えたばかりというのに、こうして動き回れるのは如何なものだろうと俺は目を細めるのであった。




