1613:【⑩】エーリヒくん、決意する。
真贋の王冠から発生した黒い霧が俺を目掛けてやってくる。凄い速いスピードで距離を詰めてきて、俺は足を動かせと頭に命じるより先に黒い霧が眼前に迫っていた。その瞬間。
「エーリヒ!」
「うわっ!」
誰かの気配を感じると、ジークフリードが俺を突き飛ばした。突き飛ばされたことで俺の視界は床が目前となっており、寝転がったまま急いで顔を上げれば、玉座から十メートルほど離れている。
ジークフリードはレダを使って器用に霧を捌いているのだが、黒い霧の方が優勢に見える。黒い霧は四方からジークフリードを目掛けて攻撃をしていた。俺は玉座から離れてしまったから、黒い霧には狙われないようだ。
『――フレルナ。オウデハナイモノガ、ワレニフレルナ!』
聞こえてきた声の発生元は真贋の王冠である。どうやら俺たちには霧隠れの亡国の王になる資格はないようだ。そりゃアルバトロス王国の貴族なのだから、その地の祖先の血を色濃く引いているのだから当然だろう。
俺は床から立ち上がり、どうすれば良いかと考える。先程、グイーさまの石が黒くなっていたから、もしかして真贋の王冠に堕ちた神さまが憑りついてしまったのだろうか。首から下がっているグイーさまの石に俺の手を添えてみれば、熱を持っていてかなり温度が高い。火傷はしないものの、なにか嫌な感じに襲われて不安しか抱けない。ここは無理をせず引いてしまう方が正解だと俺が決意すれば、マルクスとギド殿下がジークフリードに加勢しようと黒い霧へと突っ込んでいく。
「触れるなっつってもなあ!」
「持ち帰り、女神さまに真贋を確かめて貰わねばならんからな!!」
彼らの威勢の良い声は頼もしいものだ。本当は俺も黒い霧に挑みたいけれど、そんなことをすればみんなの邪魔になるだけ。それに俺は友人を失うわけにはいかないと引くと決めたのだからと、俺は腹の底から声を上げる。
「下がろう! 一旦、態勢を整えるか、女神さまに報告しないと!!」
「ここまできて諦めるのか!?」
俺の声にマルクスが一瞬だけ振り向いて声を上げた。聖遺物を持ち帰れば、フィーネさまとの婚姻を認めてくれるのだから本心は諦めたくはない。けれどみんなを危険に晒してまで手に入れようなんて気持ちはさらさらない。霧隠れの亡国に辿り着くまで一ケ月という時間を要しているから、マルクスの気持ちは理解できる。でも他にも危ない要素が発生してしまったのだ。
「うん。グイーさまから預かった石も黒く染まっている。なにかもっと大きな事態になったら困る!」
俺の声にマルクスが片眉を上げながら『仕方ねーのか』と言葉を紡げば、ジークフリードとマルクスとギド殿下が玉座から距離を取る。すると黒い霧は霧散して、謁見場が静かになった。やはり不用意に近づけば、真贋の王冠が反応するようである。であるならば、玉座付近にある人骨は盗賊のものの可能性が高いのだろう。俺はみんなに怪我がないことを確認してあと廃城を出ようと告げた。
――グイー……?
「今、声が聞こえた?」
ふいに俺の耳に誰かの声が届いた。三人と他の護衛の方たちの声ではないことだけは確かなのだが、周りをきょろきょろと見渡しても誰もいない。俺の気のせいかと首を傾げれば、ジークフリードも周りを見渡したあとに俺を見る。
「いや、俺には分からなかった。エーリヒはなにか聞こえたのか?」
ジークフリードに俺は『気のせいかもしれないけれど、グイーって誰かが言った気がする』と伝えた。マルクスとギド殿下は懐疑な顔を浮かべて周りを確認している。なにかいたかとジークフリードが問えば、マルクスとギド殿下は首を左右に振ってから口を開く。
「気の所為じゃねーかって言いたいけどよ、玉座の王冠の件があるしな」
「気を付けながら戻ろう」
その声を聞いたみんなが頷いて、謁見場を出ようと歩き始める。すると正面にある出入口の大扉が勝手に勢いよく閉まった。みんなが驚いて目を丸く開きながらも、剣の柄に手を置いているのは彼らが騎士だからだろう。俺は走って大扉の下へと向かい、扉のノブを回したものの扉はビクともしない。ガチャガチャとノブを動かす音だけが、謁見場に響いていた。
「誰もいないのに、どうして!」
糞、と吐き捨てたくなるのを我慢する。他に逃げ場はないのかと周りを見てみるけれど、謁見場の端は建物が崩れていて、大扉を通る以外の道はないようだ。他の護衛の人たちが大扉に体当たりをしても、全く開かず気まずい雰囲気が流れ始める。
――グイーを知っている者。逃がしはシナイ。
「誰だ!」
また声が響けば、今度はジークフリードにも届いていたようだ。直ぐに誰だと問う声を彼が口から放った。そしてマルクスとギド殿下と他の護衛の人たちにも声が届いていたようで『グイーさまがどうしたってんだよ!』『知り合い、ではあるが……』とぼやいている。
「なにが目的で俺たちを閉じ込めた!」
もう一度ジークフリードが声を上げた。ジークフリードの立ち位置がいつの間にか声が聞こえてきた方向を前にして、俺を後ろにしている。もしかしてなにかあった時にはジークフリードが盾になるつもりだろうか。
――問に答エル必要はナイ。
声が聞こえた直後、謁見場の空気が震えていると気付く。
――我の苦しみをシレ!
また声が謁見場に響けば、ジークフリードの前から黒い稲光がこちらへ走ってきた。あ、これは駄目だと、既視感を覚える。それはなんだと思い返せば、前世の最後、事故に巻き込まれて死んだ時と感じが似ていると思い出し、勝手に俺の口の端が伸びていた。
俺は右手を伸ばしてジークフリードの身体を横へ少しずらした。彼の体幹は強いのか、思ったよりも動かせなかったけれど、迫ってきた黒い稲光を避けるには十分だった。直後、脇腹に痛みが走れば、ジークフリードが見たことのない表情を浮かべて俺を見ている。
「エーリヒっ!!」
名前を叫びながらジークフリードが倒れそうになった俺を抱き留めてくれた。俺の脇腹にジークフリードの手が触れれば強い痛みを感じる。ジークフリードが触れた手には血がべっとりと付いていて、俺は大怪我を負ったようだ。
マルクスとギド殿下も俺を心配してくれているようだが、警戒を解けばもっと悪い状況に陥るかもしれないと周囲に厳しい視線を向けたままだ。すると謁見場の扉から、ぼんやりとした人影が現れた。真っ黒だから姿形しかわからず、感情を察することはできない。ただぼんやりとした人型からはヤバいと感じられるほどの殺気が出ていた。
「エーリヒ、すまん。離れるぞ」
ジークフリードが俺を抱き留めてくれていた手を放せば、ぼんやりとした人型が右手を前に突き出した。右手には黒い靄が集まって渦を巻いている。なにをするつもりだと俺は脇腹の痛みに耐えていると、びくりと相手の親指が動いた。
『我の慟哭を聞け!』
その声と共に渦を巻いていた黒い霧が刃となって俺たちへ放たれる。ジークフリードは床を蹴り、恐れることなく黒い霧の刃へと向かっていった。そうしてレダと呼ばれる長剣が黒い霧の刃を受け止める。
『その程度で我が剣を止められると思うなど、笑止! って痛いです!』
刃と剣がぶつかると同時にレダが声を上げるが、どうやら痛みを感じているようだ。まともに受けたようだから大丈夫かと俺が心配していると、マルクスがこちらにきて脇腹に布を当ててくれる。
マルクスの見立てによれば俺の傷はそう深くはないものの出血が多いとのこと。治癒魔術を使える人がいれば良かったけれど、今回俺たち一行にはいなかった。俺はマルクスが当ててくれた布を自分で抑えて、どうにか身体を起こす。
『ちょっと、ジークフリードさん! 普段より剣筋が荒いですわ!』
レダが抗議の声を上げるものの、ジークフリードは未だに黙ったままで黒い霧の刃を受けている。ぼんやりとした人型は雰囲気を一切変えずに黒い霧の刃を生み出しては、ジークフリードに向けていた。
『黙っていないで、答えてくださいまし! もう! 馬鹿剣がいないから、誰も突っ込んでくれません!』
馬鹿剣ってジークリンデさんが佩いている黒い長剣のことだろうか。喋っている場面を見たことがないから分からないけれど多分そんな気がする。しばらく剣劇の応酬が続くのだが、ジークフリードに疲労の色が見え始める。
「ジークフリード、無理をするな!」
ギド殿下がなんとも言えない顔で声を上げた。多分、あの黒い霧の刃を受け止められるのはジークフリードしかいない。だから俺たちは彼を頼るしかないのだが、はっきりと彼の動きが鈍くなり始めていた。
「無理は承知の上! 出られない以上、俺たちは一生このままの可能性がある!」
ぐっと歯噛みしながら答えたジークフリードの頬に切れ目が入ると、つーと赤い血が流れ落ちていく。するとぼんやりとした人型が一回り大きくなると、禍々しい雰囲気が強くなっている。
『グイー! グイー! グイー! 我を認めなかった恨み……!』
グイーさまの名前を叫びながら、ぼんやりとした人型がどんどん大きくなっていった。これは不味い……もしかすると全員助からないかもしれないと、俺は歯を食いしばって目を閉じる。
するとどこかで感じたことのある魔力の気配と、魔力とは別の気配が二つあることに気付く。それはどこだと俺が目を開けて、気配を感じた後ろに振り向いた。玉座の横にはナイさまが立ち、その後ろにジークリンデさんとヴァルトルーデさまとジルケさまも一緒に姿を現している。ナイさまが右腕を前に差し出せば、ぶわりと彼女の短い髪が魔力の圧で揺れ始める。
『ご当主さま! ヘルメス、お力添えを致します! ええ、堕ちた神などにご当主さまの魔力が通じぬことなどありませんので! さあ、みなさん、その目を見開いてご当主さまの奇跡をご覧ください!』
ナイさまが持つ錫杖が高笑いをしているのだが、ナイさまは既に魔術詠唱を始めていた。声が小さくてなにを唱えているのは分からないけれど、謁見場を満たし始めているナイさまの魔力に安堵を覚えた。なんだろうアガレス帝国の謁見場で巨大魔石を壊した時のような雰囲気をヒシヒシと感じる。ナイさまが持つヘルメスさんは高笑いを止めた。
『馬鹿錫杖……俺よりうるさくねえ!?』
すると今度はどこからともなく男性の声が聞こえる。なんとなくジークリンデさんが佩く長剣から聞こえたような気がしてならない。そして肥大化したぼんやりとした人型はナイさまの登場により、目標をジークフリードから彼女へと移した。
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
ぼんやりとした人型の咆哮はナイさまに恐怖しているのだろうか。謁見場を満たすその大声と共に、ナイさまの最終詠唱だけが俺の耳に届く。
「――"理の環から外れよ"」
ナイさまが最後の一節を唱えたが、随分と物騒なものだ。ナイさまであれば、堕ちた神であっても本当に塵にできそうだと俺は苦笑いを浮かべてしまう。今の今まで俺たち一行の全滅を危惧していたというのに。ナイさまから魔力の波動がぼんやりとした人型を狙い定めて動いていく。目標に辿り着いた波動はばっと広がって、ぼんやりとした人型を包み込む。
『グイー……どうして我を認めナイ……』
ぼんやりとした人型はそんなことを言いながら波動に包まれ収縮していく。そうして波動もぼんやりとした人型も消えれば、謁見場に静けさが戻るのだった。




