1611:【⑧】エーリヒくん、決意する。
マルクスとギド殿下が長剣を振って、鞘の中に納めている。地面には倒したはずの獣の死体はどこかに消えていた。確実に獣を切ったというのに、一体どういうことだと俺は首を傾げながら、二人の下へ行こうとジークフリードとジャドさんたちに声を掛けた。
そうして場に佇んだままのマルクスとギド殿下と合流すれば、マルクスが地面にしゃがみ込んでなにかを手に取った。小さすぎるのか俺の目ではなにを持っているのか視認できない。俺が片眉をピクリと動かせば、手に取ったものをマルクスは前に差し出した。
「なんだろう、これ。生き物の毛っぽいけれど……」
掌の上にある数本の毛を見て、俺はなんの獣だろうと考える。犬や猫のものより太くて濃いものだ。かといって熊の毛を見たことはない。霧に包まれていて、獣自身の大きさは分からなかった。ジークフリードとマルクスとギド殿下もなにか考えているようだが、俺とは少し違ったことを考えているようである。
「これを触媒にして虚像を生み出していたのか?」
「切った感触は薄かったからな。俺たち騙されたのかよ」
「そのようだな」
三人がふうと息を吐いて、俺たちが進む先を見ていた。俺が見ていた獣の姿はどうやら偽物だったようである。霧に包まれた獣と剣を交えた彼らが言うのだから事実だろう。俺は一行の指揮役として言わなければならないことをみんなの前で口にした。
「引くか進むか、決めなきゃな」
これ以上、みんなを危険に巻き込むのであれば撤退も視野に入れておかなければ。聖遺物を探す旅だから、魔物くらいは出ると覚悟はしていたものの、魔物より強い気配を感じることになろうとは。
「まだ相手をするのは可能だ」
「だな。本体がどれだけ強いかわかんねーけどよ。やられっぱなしってのも癪に障る」
「良い魔物や魔獣とは言い難いようだから、できれば解決したいところだな」
三人ともまだやる気は十分そうだ。他の護衛の人たちも彼らの声に頷いている。ジャドさんたちも問題ないとのこと。できれば倒して、土地を管理している領主に報告して褒賞を貰っても良いのではないかとまで告げている。
俺はなんともまあ逞しいメンバーだと苦笑いを浮かべて先へ進もうと声にした。とはいえ今までのような気楽に進むものではなく、完全に警戒をした立ち位置で進み森の中を行く。途中、何度か同じようなことが起き、倒したあとの地面には獣の毛が落ちていた。
「霧、濃いな……二メートル先くらいしか見えない」
さらに進むと森の中に立ち込める霧が濃くなり、視界が随分と奪われていた。これはどうにもならないと首を振りたくなってしまうが、霧隠れの亡国まであと少しの距離である。
領主が管理している土地からは離れてしまい、今いる俺たちの場所は誰も管理していない空白地だ。当然、霧隠れの亡国も王や諸侯を失って千年近く誰も土地を掌握することはなかった。そんな土地から聖遺物が失われていないことに不思議な気持ちを抱く。もしかして誰か管理している人たちがいるのではないだろうか。王や貴族を失ったとしても、人が住んでいれば村や町は維持できる。
目を細め、俺が先を見通そうとすればチリと首筋になにかが走った。するとジークフリードがまた右腕を伸ばして俺の腕を掴む。
「エーリヒ!!」
『こちらへ!』
ジークフリードとジャドさんの声が聞こえると、視界がくるりと回った。霧が立ち込めているから上下左右がよく分からないけれど、俺の身体が空中に投げ出されたことだけははっきりと理解できた。ドスンと尻餅を付いた俺はジャドさんの背に乗っていて、きょろきょろと周りを見渡すとみんなは既に剣を抜き周囲を見渡している。
『強い気配~』
『嫌な感じ~』
小型の竜の方二頭が首を下げて周りを警戒している。気配を探ってくれているのか、今までの態度から一変して真剣なものになっていた。ジャドさんは俺の方へと顔を向け『確り捕まっていてくださいね』と目を細める。俺はジャドさんの背中に跨って、振り落とされないように下半身に力を入れた。どれほど効果があるかわからないけれど、なにもしないよりマシだろう。
「上っ!」
誰かの声に導かれて俺は上を見てしまう。すると霧が晴れているのに、何故か一部だけ霧が残っていた。よく見ればその中に獣の姿がある。崖の上から飛び降りてきたであろう獣が俺たちの前に姿を現した。霧に包まれていて正体は分からないままだけれど異様な気配を放っており、今まで対峙した獣と同類、もしくは格上の存在だと分かった。するとジークフリードが片足を引いたあと、ばっと前へと凄い勢いで突き進む。
レダを横薙ぎで振りかざせば、目の前の獣が前脚を器用に動かして刃を弾く。ジークフリードは弾かれてしまうことを前提に動いていたのか、直ぐに獣との距離を取って立ち止まる。獣もなにを思ったのか動かないまま、俺たちとにらみ合いを続ける気配を見せていた。
「あれが本体?」
『そのようです。弱いとは言い難いのでお気を付けを。さて、エーリヒさん。聖王国の高貴なお方を迎え入れるのであれば、貴方はどうするべきかお分かりですよね?』
「え?」
『もう。最後の一撃はエーリヒさんが入れなければなりませんよ』
俺が呆けているとジャドさんがこちらを向いて、ぶすくれた顔を向けた。いや、たしかにそうだけれど、今は護衛のみんなに花を持って貰うべきではないだろうか。
「俺は聖遺物を手に入れるためにきているので、魔物を倒すのは護衛の方でも問題ないのでは……」
『雌は強い雄に惹かれるものです。そのような弱気でどうするのですか』
「グリフォンのジャドさんに言われると説得力が皆無ですが」
『それもそう……いえ、一般的には強い雄に雌が惹かれるものでしょう? 我々、グリフォンは違いますが。良いですか。エーリヒさんはちゃんと状況を見守って、一番良いところをかすめ取るのです!』
それはもう、俺が功績をかすめ取ったようなものだからなんの自慢にもならないだろう。ジャドさんは俺が最後に仕留めれば問題ないと言っているが、やはりみんなの努力をかすめ取るのは無理がある。
『強い雄には雌が一杯~』
『選び放題~みんな選んでも文句言えない~』
話を聞いていた小型の竜の方二頭がケタケタと笑いながら、ハーレム宣言をしていた。うん。人間は一夫一婦が基本で、一夫多妻は王族の方たちの特権だ。俺は愛人を作る気はなく、フィーネさま一筋で一生を終える。
「ジャドの言う通り、エーリヒが最後の一撃を打て」
「魔術使えんだろ」
「その間に俺たちが弱らせる」
三人が俺に向けてふっと笑う。なんだろう。婚約者がいる人と既婚者の余裕だろうか。いや、きっとみんなは俺がフィーネさまを迎え入れることを全力で応援してくれているのだ。
なら、言葉に甘えて最後の一撃は俺が担うべきだろう。三人と他の護衛の人たちに俺は『分かった』と告げれば、ジークフリードとマルクスとギド殿下が一斉に獣へと突っ込んでいった。他の護衛の人たちは彼らの足の速さに感心しつつ、俺の周りを固めている。ジークフリードが獣の威勢を削ぎ、マルクスとギド殿下が今だとばかりに手負いの傷を増やしていった。痛みに耐えかねた獣が耳をつんざくような音量で咆哮を上げている。
ちくりと胸が痛むような気がしなくもない。獣もまた生きるために俺たちを敵と認めて襲ったのだから。でも襲われたなら襲い返されるのが自然の掟なのだろう。
三人が獣を相手に剣劇を繰り返していると、ジャドさんが一歩前に踏み出した。
『では良き所で、私が獣へと近づきましょう』
「ありがとう、ジャドさん」
どうやら終わりに近づいているようで、獣を纏う霧がどんどん薄くなっていた。そして周囲の霧も薄くなっていて、森の中の景色が見えるようになっている。
「エーリヒ!」
「そろそろ準備しておけよ!」
「遠慮なく打ち込め!」
三人の声に俺は魔力を練って、魔術を発動できる準備をしておく。一応、上級魔術で俺との相性が良いものを選ぼう。あと火や雷系統の魔術は危ないから外そうと決める。魔力を練ると髪が微かに揺れていた。ナイさまのように分かりやすいものではないけれど……上級の魔術を使うなら割と魔力を消費する。
『おや、なかなかのものですねえ』
ジャドさんが感心の声を上げると、獣の身体がふらりと揺れる。今だという声は聞こえないけれど、友人たち三人が一斉に俺の方を見た。俺は四節の詠唱を口にして、魔力を形あるものに変える。
『風の魔術ですか』
『切り刻めー!』
『いっけー!』
ジャドさんと小型の竜の方二頭が声を上げて俺を応援してくれていた。その声を代わりにして俺は風の魔術を獣に向かって放つ。轟という風の音が耳に届くと、一気に鎌の形となって獣を目指していく。
そうして獣は俺の魔術で切り刻まれ、地面には肉塊と大量の赤い血を垂らしている。ジークフリードたちは切り刻まれた獣の下へと歩いていく。俺もジャドさんから降りて、彼らの下へと向かった。獣の息は既に途切れて……と考えたその瞬間。獣の口元から息が漏れ俺は身構える。
『ススムナ。ハイルナ。カンショウスルナ……』
そう言葉にして完全に獣がこと切れた。獣は虎であったのか、茶色と黒の特徴的な縞模様が見えている。でも、もう動かないと息を吐いた。
「どういう意味、というより、霧隠れの亡国には向かうなって警告っぽいかな」
おそらくだけれども、霧隠れの亡国へは入るなという警告なのだろう。
「もしかして亡国をずっと守っていたのか?」
「さあな。ああ、あった、あった。魔石だ」
「エーリヒ。君がとどめを刺したんだ、魔石は持っておけ」
三人が首を傾げながら虎の死体を見下ろしている。俺はこのままではいけないと言葉を紡いだ。
「分かった。あと躯を地面に埋めようか。魔物が寄ってきても問題だしね」
俺の言葉にみんなが頷いてくれる。騎士のみんなは獣の死体を放置すればどうなるのか、痛いほど知っているのだろう。持ってきていたスコップを取り出して、みんなが穴を掘って獣の死骸を地面に埋めた。
亡くなってしまえばみんな仏さまだと思っている俺は、地面に埋めた獣の死体へと静かに手を合わせる。君が口にしていた霧隠れの亡国へ入るなという言葉は守れないとも伝えておく。俺は地面から視線を外して、周りのみんなを見渡した。
「行こうか。霧隠れの亡国は直ぐ先だ」
俺の声に力強く答えてくれるみんなと、また森の中を進んでいくのだった。
◇
――コノクニノモノデハナイ。
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