1610:【⑦】エーリヒくん、決意する。
――ジメジメとした空気がどんどん濃くなっている。
同時に首筋がチリチリするような嫌な感じも強くなっていた。俺を真ん中にしてジークフリードとマルクスとギド殿下が囲んでくれ、他の護衛の人たちも厳しい顔を浮かべながら周囲を警戒していた。ジャドさんと小型の竜の方二頭はいつも通りであるが、顔を動かす頻度が増えており周囲を注意深く観察している。
「なんだろう、これ……」
空気が重い。初めての感覚に俺は息を呑む。ジークフリードは危険な場面に慣れているようで凄く落ち着いている。
「魔物の気配に近いが、少し違う」
レダの柄に手を掛けて、彼は直ぐに抜剣できるようにと構えていた。俺がごくりと息を呑めば、今度はマルクスが厳しい表情で口を開く。
「魔物以外のなにかってことかよ。ちっ! 面倒な!」
「苛立ちを覚えたところでどうにもならん。俺たち騎士はエーリヒを守る、それだけだ!」
ギド殿下はマルクスより余裕があるように見えるものの、内心は少し焦っているようだ。どうにも嫌な雰囲気が拭えないというか。俺が潜った一番の修羅場は学院一年生の時にあった、合同訓練中に起きたフェンリル暴走事件である。
とはいえ軍と騎士団とナイさまたちの活躍で俺たち学院生は無事に生きて戻れた。ほとんど他人任せでなにもしていないのと同じだろう。ただ、やはり『ヤバい』という空気を味わえたことは、良い経験になっている。だからこうして今、凄く不味い状況に陥っていると分かるのだから。それだというのにジャドさんは涼しい顔をしている。
『良いことを言いますねえ』
『その気概は良いのですが……ふむ。魔物、とは言い難い存在のようですね』
ふふふと笑うジャドさんにレダも軽口を言っているが、状況を少しづつ解析してくれていた。魔物、ではないとすれば一体どんな存在なのだろう。小型の竜の方二頭は『嫌な感じだねえ~』『本当にねえ~』と首をこてんこてんと傾げて、どこか余裕があるように見える。
『おや、分かるのですか?』
『私のような存在……のような気がします』
レダのような存在というと、精霊であろうか。ドワーフの職人が貴重な魔石で鍛えてナイさまが魔力を注ぎ込んだできたのがレダとカストルだ。しばらく時間が経てばいつの間にか喋るようになったとジークフリードから聞いた。とすれば魔力の高い長剣に精霊が憑りついたというのが一番分かりやすい答えである。しかし魔物と精霊を相手にするのであれば、どちらの方が対処がし易いのだろうか。なににしても状況を少しでも良い方へ持って行かなければと俺はみんなを見る。
「ここにいても仕方ないから、開けた場所に移動しよう」
本当に魔物か精霊が出たならば、一対多という構図となる。木々が生い茂る森の中では動きが制限されてしまう。であるならば、少しでも動ける範囲が広い場所を確保したい。
ごくりと息を呑んで足を進めようとすれば、ジークフリードが俺の肩を叩いて『大丈夫だ』と小さく笑う。彼の余裕のある態度に俺は、伊達に邪竜殺しの英雄と呼ばれているわけではないのだなと感心しながら、また森の中を進み始める。
一時間近く歩いた先で、マルクスが開けた場所を見つけてくれ『どうだ?』と言いたげな顔になる。俺では判断が付かないとジークフリードやジャドさんの方へと視線を向ければ、問題ないとのことだった。そうして俺たち一行は森の中の一角にある開けた場所を陣取った。
「霧が深くなってる。いつの間に」
俺が周囲を見渡すと、一面、霧が立ち込めていた。もしかして湿気が多かった理由はコレだろうか。でも霧が発生するのは朝晩の気温差だから、昼日中の発生は考え辛い。意図的なものかもしれないと俺が疑っていれば、ジークフリードが目を細めた。
「……静かになったな。鳥の囀りも、木々の葉が擦れる音も聞こえなくなった」
たしかに先程まで聞こえていたはずの鳥の鳴き声や生き物の気配を感じられなくなっている。マルクスとギド殿下も警戒度を上げているし、他の護衛の人たちも更に気を引き締めている。
「嫌な感じが強くなってる」
「俺たちに気付いているのだろうな」
ふうと長い息を吐いた二人の声に相手側はどうするつもりなのだと考えを巡らせる。強い個体であるならば俺たちの命を奪えるはず。姿を現さないのはジャドさんたちを警戒しているのだろうか。なににせよ早く終わって欲しいと俺が願っていればマルクスが声を上げた。
「なんだよ、くるならさっさとこいよ……俺たちを揶揄って面白がってんのか? それともただの臆病者なのか?」
相手を煽っているような、虚勢を張っているような、俺にマルクスの本心はわからないが、彼の気持ちは十分に理解できる。休憩を取ろうとしてから一時間が経っているから、相手は余程暇なのか。
『これで姿を現してくれれば楽ですけれどねえ』
『ええ。姿を現したならば、あとは斬り捨てるのみ』
ジャドさんとレダの声に竜の方二頭が『そうだよね~』『僕たちが怖いのかな~?』と口にした、その瞬間。目の前に立ち込めていた霧が形を成して、俺たちの方へと向かってくる。無軌道に広がっていた霧が意思を持ったかの如く、複数の鋭い穂先のような形が俺たちへと迫ってくる。不味い、刺さると俺が身構えると隣からなにかが動く気配がした。
「エーリヒ!」
「うわ!?」
ジークフリードの右腕が俺の腰に回って、ひょいと持ち上げられた。どうして体重六十七キロを片腕で軽く持ち上げられるのだろうか。俺はジークフリードに落とされてはかなわないと、無意識で彼の首に片腕を回していた。すると俺がいた場所に穂先の形をした霧が地面に突き刺さっていた。霧がどうして地面に突き刺さるんだという突っ込みは忘れ去り、ジークフリードが助けてくれなければ俺の命がなかったことに気付く。
「げ!?」
「エーリヒ、狙われているな」
俺の声にジークフリードがふっと笑っていた。他の面々も一瞬にして、霧との距離を取って安堵の息を吐いているのだが、俺の視線の位置がおかしい。どうして霧を避けた彼らが俺の視界の下に移っているのだろう。
「ジークフリード、飛び上り過ぎぃ! うわ、高い!」
「大丈夫、落としはしない」
ジークフリードは俺を抱えて五メートルほど高く飛び上り、霧から距離を取っていた。地面に戻るまでに数秒を要したのはいうまでもない。だというのに着地の時には勢いを殺しているのか、振動を全く感じなかった。ジークフリード、恐ろしい子! と感動している暇は俺にはなく、せめて事前に知らせて欲しいが無理な話だろう。
「勘弁してくれ……あ、俺が狙われている方が対処しやすい?」
少しばかり愚痴を漏らしつつ、俺はふと気付いたことを口にする。すると地面に突き刺さっていた霧がもぞもぞと動いて、こちらへと再度矛先を向けていた。
「守りやすくはなるな。二人とも、頼む!」
ジークフリードの声と同時に霧がまた動き始めて、俺たちの方へと形を変えながら迫ってくる。今度は槍の穂先のような形ではなく、長剣を模したものになっていた。
「分かった!」
「行くぞ、マルクス!」
マルクスとギド殿下が一瞬で走り出し、霧に向かって長剣を繰り出す。繰り出された長剣は霧を切るだけで手応えはなさそうだ。マルクスとギド殿下は『意味がねえ!』『切った反動がないな!』と軽口を言い合っている。
『本体がどこかにおりましょう』
『気配はなんとなくありますが、場所まで把握できませんね……!』
ジャドさんとジークフリードの腰元でレダが助言をくれた。そうだ。霧に目が行きがちだけれど、霧を操る本体がどこかにいるのではないだろうか。森の中に隠れてどこかで俺たちを見ているのかもしれないと、地面にしゃがみ込んだ。そして俺は魔力を練って意識を集中する。
「俺の魔力はナイさまに比べればとんでもなく少ないけれど……――」
本当にナイさまほど魔力量があれば良いのだが、生憎と俺の魔力量は普通である。そりゃ貴族だから一般の人たちより多いものの、魔術師を目指す人より少ないのは明らかだ。
二節の魔術を唱え、索敵を開始する。魔物であれば半径五十メートルくらいは察知が可能な代物だ。術者個人の才覚で索敵できる範囲が変わるため、適性がある人であれば俺の倍の範囲を同じ魔力量でカバーできる。索敵の適正は俺に備わっていないため、無理に使うと頭が痛くなる。現につんとした痛みがズキズキと激しいものになっていた。頼む早く見つかってくれと願っていれば、なにかが背後から俺を捉えていると感じ取る。
「――いたっ! 八時の方向!」
「どっちだよ!?」
「急に格好をつけるな、エーリヒ!」
俺の声にマルクスとギド殿下が突っ込んでくれた。男の子ならこうして軍事用語を使いたくなるし、騎士団でも使っていると思っていたのだが違うらしい。
「ごめん、言ってみたかったの! 俺の左後ろ!!」
俺が即座に訂正すれば、マルクスとギド殿下はこちらへと振り返り、ジークフリードが正面へと走り出す。
「霧の相手は俺が務める! 二人とも行け!」
『ようやく私の出番ですね! ジークフリードさん、切って切って切り捨てて、本体をこちらに呼び込みましょう!』
ジークフリードの声でマルクスとギド殿下は一瞬で俺の後方へと走ったあと、左へと進路を変えた。本体が見つかるかどうかわからないけれど、早く終わって欲しいと願うばかりだ。俺は発動させていた魔術を解いて立ち上がれば、視界に映る景色が揺れる。すると小型の竜の方二頭が俺の身体を挟んでくれて『大丈夫?』『魔力、減ったねえ』と呟いていた。地面に倒れ込まないようにと、俺は竜の方二頭に手を置かせてもらう。
『おお、顔を出したようですよ』
「それはよかった。頭痛い」
ジャドさんの声に俺が言葉を返すのだが、テンションが妙な方へと入っているようだ。いつもなら頭が痛いことなんて隠し通すはずなのに、勝手に口から漏れて出ていた。俺の声にジャドさんはくつくつと小さく笑って『あとは本職の方に任せてみましょう』と声を上げる。そして聞こえてきたマルクスとギド殿下の咆哮に視線を後ろへ顔を向ければ、霧を纏った大きな獣が霧散していく姿を視界に納めるのだった。




