1609:【⑥】エーリヒくん、決意する。
――最後に泊まった宿から二日後。
霧隠れの亡国と噂される領域まであと少し。鬱蒼と木々が生い茂る森の中をひたすら歩き続けている。人里は点々としているものの、集落規模でしかなく、商業施設や宿は存在していなかった。とはいえジャドさんたちを連れているからか、やたらと俺たち一行は村の人から崇められている。
追い出されたり、無視されるより良いけれど、本当に魔獣や竜の方は恐怖の対象なのだなと後ろを歩くジャドさんと小型の竜の方二頭に視線を向けた。彼らは足元の悪い森の中をものともせず、涼しい顔で歩いている。二足歩行の俺とは大違いだと苦笑いを浮かべて前を向いた。
「体力が有り余っていて羨ましい」
ふうと息を吐きながら、俺は愚痴めいたことを零す。こんなことがあるなら少し体力をつけておけば良かった。今回の旅では余った時間に、ジークフリードとマルクスとギド殿下に剣の稽古をつけて貰っているのだが、手に肉刺ができていて凄く痛い。
痛みは我慢できるけれど、弱いと自覚できたことは男として悔しい気持ちがある。流石に三人に勝とうなんて思わないけれど、もう少し手応えのある訓練試合をしてみたい。額から流れ落ちる汗を俺が拭うと、ジークフリードが横にならんで様子を伺うように顔を覗き込む。
「疲れたのか、エーリヒ?」
「いや、まだ大丈夫」
俺は笑みを浮かべて片眉を上げているジークフリードを見上げる。ジークフリードは本当にと言いたげだが、あまり強く言葉にする気はないようだ。するとジークフリードに加勢すると言わんばかりに、マルクスとギド殿下も横一列に並ぶ。
「大丈夫っつってもな。今日の予定は順調なんだ。慌てなくて良いだろ」
「なら少し休むか。丁度、沢が近くにある。水を確保しよう」
マルクスが俺の腕を取って立ち止まらせる。そしてギド殿下も立ち止まり沢の方へと視線を向け、腰元にある水筒に手を伸ばした。たしかに水は確保しておいた方が良いのだが、生水を飲むには抵抗がある。火を熾して一度煮沸消毒したいけれど時間は取れるだろうか。
ジークフリードも足を止めて、マルクスとギド殿下の意見に頷いている。ジャドさんと小型の竜の方二頭も事情を察して立ち止まってくれた。そしてジークフリードが佩いている長剣のレダも何故か反応している。
『男の友情ですか』
ふむ、となにか言いたげにレダが声を上げた。男の友情というよりは、もやしな俺にみんなが心配してくれているだけ。俺に体力が備わっていれば、今、ここで休む必要はなかったわけで。とはいえ無理をしても仕方ないから少し休ませて貰おうとすれば、今度はジャドさんがにんまりと俺を見る。
『仲が良いですねえ』
多分、仲は良い方だと思う。身分も違うのに、こうして彼らと一緒にいられるのは有難いことである。しかも俺が言い出したことに危ないからと言って、護衛を申し出てくれたわけだし。
聖遺物を見つければ名を上げられると言ってくれていたけれど、やはり身を危険に投じる上に聖遺物は俺が発見したことになる。誰かを蹴落とすことが常の貴族社会で、こうして友を得られたのは王立学院のお陰だろう。通っていて良かったと俺が笑うと、小型の竜の方がにゅっと顔を伸ばして俺たちの輪の中に入る。
『僕たちも混ぜて~!』
『ゆーじょ! ゆーじょ!!』
あまり意味は分かっていなさそうだが、彼らの可愛い仕草に苦笑いが漏れてしまう。尻尾も左右に振ってご機嫌そうだ。マルクスは呆れ、ギド殿下はなにかを思いついたようだ。腰元の水筒に手を掛けて、竜の方二頭の前に差し出す。
「なら、俺と水を汲みに行こう。荷物を持ってくれると助かる」
『行こうー!』
『友達の役に立つー!』
ギド殿下が歩き出せば、小型の竜の方は彼を挟んで移動を始める。竜を従えている光景に凄いなと感心しそうになるけれど、俺も彼らを率いているのだ。きっと周りから見れば一緒だろうなと笑って、近くにあった石の上に俺は腰を下ろす。
静かな森の中。時折、魔物に遭遇するものの、ジークフリードを始めとしたみんなが難なく倒してくれている。ジャドさんたちの出番がないと少し不満そうにしていたけれど強い魔物が出ても困るこのままどうにか無事に霧隠れの亡国の領域に入れると良いのだが。今日と明日、森の中を歩き続ければ辿り着く予定だ。千年前に滅びたという国の現状はどんなものだろうか。
遺跡のように街の残骸が残っているのか。それとも風化してしまい、なにも残っていないのか。みんなに迷惑を掛けてしまっているけれど、冒険の旅に出ているようで少し楽しいと思ってしまう。そうして俺は額から流れる汗をまた腕で拭い、ふと感じた違和感を口にする。
「なんだかやけに汗を掻くな」
さっきから汗が流れ落ちているけれど、俺はこんなに汗っかきだったろうか。日頃、運動不足に陥っているためか、どれほど動けば汗が流れると把握していない。先程まで涼しい様子だったジークフリードとマルクスはきょろきょろと周りを見渡していた。他の護衛の方たちも何故か周囲に気を張っている様子である。ジャドさんは俺の隣に立って
『嫌な感じがしますね。エーリヒさん、お気を付けください』
『空気が張り詰めて参りましたわ』
ジャドさんの声のあとにジークフリードが佩く長剣のレダも声を上げる。そしてマルクスがはっとして沢の方へと視線を向ける。
「ギドは大丈夫かよ!?」
「竜の方がいる。心配は必要ないだろうが……」
今度はジークフリードが目を細める。そうしてマルクスは指笛を一定のリズムで吹いた。事前の打ち合わせで『早く戻ってこい』という合図だ。俺は座っていた石から立ち上がり、沢の方へと視線を向ける。しばらく待っていれば、ギド殿下と小型の竜のお方が走りながらこちらへと戻ってくるのだった。
◇
――アストライアー侯爵領領主邸。執務室。
ジークがエーリヒさまとお出掛けして三週間という日が過ぎている。いつも側にいる人がいないことに、何故かぽっかりと心に穴が開いてしまっているというか。まあ、正直に言えばジークがいなくて寂しいというのが本音である。
本当に長い期間、ジークと離れるのは初めてのようなと記憶を掘り返した。訓練で教会宿舎を空けるといっても、二、三日で戻ってきていたのだ。三ヶ月もの間、ジークが側を離れることなくて、残りの二ヶ月も長いなあと私は目を細める。
「ナイさま、どういたしました?」
「手が止まっておられますわ」
セシリアさまとアルティアさまが揃って声を上げた。彼女たちの娘さんの旦那さまも三ヶ月留守にしているため、アストライアー侯爵領領主邸に一時的に戻ってくるのかな、なんて考えていれば『妊娠したから屋敷で過ごす』とのことである。悪阻が酷ければ魔術を施しに行くので遠慮なく申し出てくださいと伝えておいたけれど、なににしてもめでたい。とはいえ妊娠しているというのに旦那さまが長期間奥さんから離れて良いのだろうか。
エーリヒさまが聖遺物を見つけるために、幻の国と言われている『霧隠れの亡国』へ向かうために出掛けているので、文句はないそうである。聖遺物を見つけてエーリヒさまと一緒に名を上げられたなら御の字だとか。
ジークも彼らと一緒に出掛けているのだが、ジークは単にエーリヒさまが心配だし、私も彼が大丈夫か気になるのでジークにお出掛けをお願いしたのだ。他所事を考えて、セシリアさまとアルティアさまに心配を掛けるわけにはいかないと、私は笑みを携える。
「すみません。考え事をしておりました」
そうして考え事をしていたと素直に答えた。お二人は私が誤魔化そうとすると、ソフィーアさまとセレスティアさまより一歩踏み込んでくる。そのため、正直に答える方が手間がないというか。年の項なのか、長く高位貴族の屋敷の女主人の圧は強い。正直に答えたと私がほっとしていると、何故かお二人は懐疑な表情のままである。
「なにかお悩みでも?」
「ええ。溜め込むのは良くありません。わたくしたちに話してみては」
あれ、更に突っ込まれてしまっている。正直に話したというのに、何故か問い詰められているというか。とはいえ彼女たちに悪気はない。
「単にいつも一緒にいる人がいなくて慣れないなーというだけで……すみません、大したことではなくて」
「あら」
「お可愛らしいですわ」
私がお二人から視線を逸らすと、何故かにやりと笑う。恥ずかしさを誤魔化そうと私は執務机にある書類に視線を落とす。またセシリアさまとアルティアさまが小さく笑った。
「ああ、仕事の話から離れてしまいましたわ」
「ではついでに私事の相談を」
なにがついでだろうと思いつつ、私はお二人へと視線を向ける。家宰さまは突っ込んではならないと感じているのか、我関せずで仕事を捌いている。
「最近、体重が増えまして」
アルティアさまの声に家宰さまが耳を塞ぎたそうにしていた。ご夫人の体重問題を男性が耳にすれば、それはもう重大なことを知ってしまったと怒られる案件である。本来であれば。
おそらくアルティアさまは分かっていて声に上げたであろうし、セシリアさまもなにも言わないので問題にする気はないようである。首が飛ばなくて良かったですねえと家宰さまへ私が視線を向けると、早く話を終わらせて欲しいという表情になっていた。
「私もアストライアー侯爵邸でお世話になるようになってから……増えました」
どうやらセシリアさまも体重が増加しているらしい。とはいえ見た目では分からないのだが、詳しいことは聞けないなと私は苦笑いを浮かべる。お二人の要望は庭で運動をしても良いかというものである。そんなことであればと私は小さく頷いた。
「庭で運動されるのは構いませんし、警備部方たちが使用している場を使っても問題はないかと。とはいえ、貴族のご夫人には陽焼けが問題でしょうし屋敷の一室にトレーニングできる場所があっても良さそうですね。私も興味ありますし」
セシリアさまとアルティアさまがそれぞれの屋敷へ戻った際に、日焼けしていたとなれば私の信用が失墜しそうである。いや、まあ直接文句は言ってこないだろうけれど……陽焼けは貴族女性にとって凄く強敵なのだ。
一度、肌が焼けてしまい元に戻すには時間が掛かる。以前、少し考えていた職人さんにトレーニング器具を作って貰う時期がやってきたようだ。ランニングマシンとかベンチプレスとか前世の記憶でどんなものが良いのか少し走っている。絵を書いて職人さんに作って貰おうと決め、私たちは仕事を再開する。ジークは今頃、なにをしているのだろう。危ないことに巻き込まれてなければ良いのだが、と考えながら時間が過ぎていくのだった。




