1607:【④】エーリヒくん、決意する。
――霧隠れの亡国。
千年もの昔に栄えた国家が一夜にして滅び、発展した痕跡が見つからないことから、霧隠れの亡国と呼ばれるようになったとか。その滅びた国には西の女神さまより授かった『真贋の王冠』が眠っているそうである。カルヴァイン枢機卿が真面目な顔をして語ってくれ、俺はその聖遺物を探してみることにした。
官僚として仕事があるから長い休みは取れないが、もう直ぐ長期休暇ということもあり、六月、七月、八月は探索に使える時間となったのだ。そうして五月下旬となり、俺は職場の皆さまに長期で休むことについて頭を下げることになる。
根回しは大事だし、アルバトロス王国を離れることになるからお土産をたくさん買って戻ってきますと伝えれば、それよりも俺が作った焼き菓子が食べたいそうである。以前、味見をしてもらおうとユルゲンに持って行ったことで、職場の皆さまには俺が菓子や料理を作れるとバレていた。そしてナイさまに料理のレシピを渡していることもだ。
だから、というわけではないのだが、職場の皆さまは俺の焼き菓子を所望したわけで。これは手を抜けないなと苦笑いを浮かべ、ベナンター準男爵領の騎士数名と俺の実家であるメンガー伯爵家の騎士数名と、何故かジークフリードとマルクスとギド殿下を連れ、とある街へと辿り着いている。
アルバトロス王国から東へ二つほど国を跨ぎ、目的の霧隠れの亡国と噂される地域の側まで俺たちは辿り着いている。ここにくるまで結構な時間を要しており、六月始めの出発から六月後半へと差し掛かっていた。
「無事に入国と入領を済ませられて良かった」
ふうと俺が安堵の息を吐けば、赤い髪の背の高い男が俺を覗き込む。
「そうだな、エーリヒ」
ジークフリードは今回のことで俺の身が心配だからとナイさまが派遣してくれていた。いろいろと旅に必要な物資に緊急時に売り払える宝石などを彼は持参してくれており、旅慣れしているというか、身の危険に対して用心深いというか。それでも心強い面子であるのは間違いない。そしてもう二人、くすんだ赤い髪の持ち主と金色の髪を短く切りそろえた男も俺を覗き込んだ。
「そうだな」
「アルバトロスの陛下より、出国証明書やもろもろ必要な書類は揃えて貰っているんだ。できない方が困るだろう、エーリヒ」
マルクスとギド殿下は新婚だというのに、長期の旅に出て大丈夫なのか俺は少々心配である。もし俺が聖遺物を見つければ、帯同者として名が上がるからとついてきてくれた。
旅の途中でいろいろと話を聞いていれば、ギド殿下の夫婦仲は順調のようで幸せな時間を過ごしているとか。マルクスは尻を蹴られ文句を言いつつも、まんざらではない様子である。二人ともきっちり貴族として一番大事な務めを果たしているので、あとは幸せを運ぶコウノトリに任せるのみだろう。にしても、やはり三ヶ月も彼らを俺の都合で巻き込んでしまうのは申し訳ないから、必ず聖遺物を見つけ出さないとという強い気持ちが俺の中にはある。
そして俺の旅にはまだ力強い味方がいた。そのうちの一頭が俺の顔を覗き込んだ。
『私を見た皆さまが、凄く驚いておられましたねえ』
「ジャドさんを見て、驚かない人はいないと思うよ」
ジャドさんも俺の話を聞きつけて『楽しそうだから』と言って同行してくれている。イルとイヴも一緒にきたそうにしていたらしいけれど、今回はお留守番だと言いくるめたそうである。
雌グリフォンさんたち四頭の卵から孵った仔たちの面倒を見て欲しいと言い残してジャドさんは旅に出たとか。ジャドさんにはアストライアー侯爵家の紋章が刺繍されている布を首の後ろから掛けており、敵意はないと示しているのだが、やはり大きなグリフォンに驚かない人はいない。この三週間近くで周りの人たちの反応に慣れてしまったのはご愛敬だろう。
「あと、竜のみんなもね」
そして小型の竜の方たち二頭も旅に参加してくれている。彼らは亜人連合国の国章を下げていて、悪さはしないと意思表示をしているのに、竜は珍しいようで驚かれてばかりだ。こてんこてんと首を傾げながら、小型の竜の方たち二頭が苦笑いを浮かべる俺を不思議そうに覗き込む。
『僕たち有名なんだねえ』
『目ん玉を落としそうなくらい開いていたねえ』
顔を撫でてと言いたげに小型の竜の方二頭が距離を詰めた。俺ははいはいと両手を伸ばして彼らの顔を撫でる……いや、指を立ててごしごしと掻く。アルバトロス王国から二国跨いだ東の国のとある領主の都。正面の門を潜った場所で俺はみんなの顔を見渡した。
「それじゃあ情報収集を始めましょう。商業区で話を聞くのが一番手っ取り早いかと」
「分かった」
「行ってくるぞー」
「俺も行こう」
俺の声にジークフリードとマルクスとギド殿下が答えてくれ、他の騎士たちも他の場所へと散っていく。俺は今宵の宿を探しながら、霧隠れの亡国の話を集めるつもりだ。
護衛のみんなが俺から離れたのはジャドさんと小型の竜の方たちが一緒にいてくれるからだ。もし彼ら彼女らがいなければ、誰かが一緒に俺と行動していただろう。本当に手厚い旅だと苦笑いをしながら、俺はジャドさんたちへと視線を向ける。
「行きましょうか」
『はい』
『はーい!』
『行く~!』
俺が彼らへ声を掛けると良い返事が戻ってきた。情報収集を兼ねているため、幻獣や魔獣を泊められない宿にも聞き込みを兼ねて部屋があるか尋ねるつもりである。
ひとたび俺が歩き出せば街の人たちがびくりと肩を跳ねさせた。いや、そんなに驚かなくてもと苦笑いになってしまうが、街の人たちの反応が普通なのだろう。アルバトロス王国の王都やアストライアー侯爵領領都の人たちが、たくさん魔獣や幻獣がいる状況に慣れているだけなのだから。俺は気にしない、気にしないと自分に言い聞かせて商業区を目指す。
途中、店から良い匂いが漂ってきて俺の興味をくすぐるけれど、ぐっと堪える。
『エーリヒさん、向かわなくてもよろしいので?』
「え?」
一緒に歩いてくれているジャドさんがこてんと首を傾げている。俺が不思議そうにすると、ジャドさんが逆の方へと顔を倒した。
『ナイさんなら匂いに惹かれてお店に入ったでしょうから』
「もちろん、興味があるので入りたい気持ちはありますよ。でも今は情報と宿を探さなければいけないので」
すんすんとジャドさんと小型の竜の方が鼻を鳴らしながら匂いを嗅いでいた。嗅覚の良い彼らには刺激が強いのではないだろうか。そう俺が心配していると、人間の街で過ごすことに慣れて以前よりマシになっているとか。
ナイさまの下で過ごしていると大きな益があるけれど、凄く細かいところで慣れないことがあったりするそうだ。ジャドさんは『内密に』と言って苦笑いを浮かべていた。そりゃ本来は自然の中で生きるのが彼らの生態である。人間の生活圏に入り込めば不都合が発生することは多々あるのだろう。
「本当に無理なことや駄目なことがあれば教えてください。俺経由でナイさまに伝えれば、多少は緩衝材になれるかと」
俺からナイさまに伝えれば、ジャドさんたちが言い辛いことも伝えることができるのではないだろうか。ナイさまも嘆願を無視する方ではないし、アストライアー侯爵家にいる他の方だって聞く耳を持ってくれている。だからこそ俺はこうして安易に言葉にできるのだとジャドさんの方を見れば、彼女が目を細めていた。
『エーリヒさんは良い方ですねえ。ありがとうございます。さあさあ、意中の女性を手中に収めるために参りましょう。以前から申している通り、我々は野宿でも構いませんから』
ジャドさんが頭を下げて俺の背を押す。すると勢いがついて歩く足の速度が上がっていった。そうして商業区の宿を見つけた俺は、ジャドさんたちには待機をお願いして扉を開いて中へと入る。受付には中年男性が暇そうに椅子に腰を掛け、宿屋の中に入った俺に一瞥をくれた。まあどこに行っても、街にある安宿の対応はこんなものだと俺は笑みを携えて中年男性の前に立った。
「すみません。個室で四部屋か、四人が泊まれる部屋はありませんか?」
俺の声に男性は後ろを振り向いて、部屋の空きを確認している。安宿では予約制度が発展しておらず素泊まりが主流のため、部屋の鍵の有り無しで判断できるようだ。
個室で四部屋というのは俺とジークフリードとマルクスとギド殿下の部屋である。ジークフリードとマルクスとギド殿下がいれば俺を守れるということで、他の護衛の人たちは他の護衛の人は別の宿に泊まる場合もあった。もちろん部屋があれば一緒の宿に泊まるけれど。
「個室は無理だが、四人部屋は空いているな」
「承知しました。あと、魔獣を連れておりまして。厩も借りることはできませんか?」
「そうなると規模の大きい宿屋を訪ねな。俺の店じゃあ無理な話だ」
部屋は空いていたが、厩は宿屋に併設されていないようだ。馬で移動する旅人がいるため、宿屋で借りることができるのだが、この店はないようである。残念ではあるが、他の宿屋を当たろう。その前に聞いておかなければならないことがあると、俺の胸元からエールを二、三杯飲める金額の硬貨を取り出してカウンターへと置く。
「わかりました。申し訳ありませんが、少し話をさせてください」
「あんちゃん、分かっているじゃねーか。知っていることなら答えてやろう。とはいえ命が掛かるような話はできねえけどな!」
俺の言葉に中年男性がにやりと笑う。タダで情報を引き出すよりも、こうしてなにかと引き換えに話を聞く方が断然得られるものが多い。旅を始めた最初の頃は話だけを聞こうとして、なにも得られないことが多かった。俺はこの三週間で随分と逞しくなった気がする。でも、護衛がたくさんついているから、もやしであることには変わりない。
「霧隠れの亡国、について知っていることを教えてくださいませんか?」
「あんちゃんも無駄に命を散らすつもりかい。止めとけ、止めとけ。若いっつーのに、死ぬこたあねーだろ」
そう告げた宿屋の中年男性は手元の硬貨を俺の方へと戻すのだった。




