1605:【②】エーリヒくん、決意する。
人の口に戸は立てられぬ、とはよく言ったもので。
俺がフィーネさまとの婚約の打診を聖王国へと送って二週間が経っている。フィーネさまからは『凄く嬉しいです』という手紙が俺の下へと届き、教皇猊下からは『条件付きで婚約、そして婚姻を認める』と返事がきている。フィーネさまが照れ臭そうに喜んでいる顔が簡単に頭の中に浮かぶし、いろいろと難しい立場を取らなければならない教皇猊下が難しい顔になっているだろうと容易に想像できた。
そして俺はアルバトロス王国の王都にある城の廊下をユルゲンと共に歩いている。上司であるシャッテン卿から内務卿に届け物をして欲しいとお願いされ、移動の最中なのだが俺に刺さる視線が痛い。普段、寄り付かない場所のためか、余計に誰かから視線を貰っているような気がしてならない。隣を歩くユルゲンは『人気者ですね』と呑気に笑っていた。
フィーネさまへ婚約の打診を送ったことによって注目を浴びることは覚悟している。それにフィーネさまとの婚約を申し込んだことが羨ましいのであれば、彼らも婚約の打診を送れば良いだけ。
俺はフィーネさまと絆を結んでいると分かっているし、状況を利用して有利な立場にいることも理解している。だから言いたい人には言わせておけば良いけれど、やはり刺さる視線はちょっと煩わしくもあった。
「あれが聖王国の大聖女に婚約を申し込んだ、エーリヒ・ベナンター準男爵か」
「いたって普通の男だな。何故、あんな奴が神の島に向かえたんだ?」
「アストライアー侯爵と懇意にしているからって、聖王国の大聖女を娶りたいなんて随分と大胆だよな」
俺の名前を知っているが、顔は知らない人たちが廊下の隅で囁き合っていた。ユルゲンが彼らを一瞥すると、聞こえていたかという顔になって口を閉じる。ユルゲンは俺に『言わせておきましょう』と短く告げて、歩く速度を上げる。
「ユルゲン、怒ってる?」
俺が並んで顔を覗き込めば、ユルゲンは眉間に皺を寄せていた。
「怒りというより、あのような方たちの言葉が不快なだけですね。先程は言わせておけば良いと僕はエーリヒに伝えましたが、好き勝手に言われていると腹も立ちます」
ユルゲンは俺の声にふうと息を吐いたあと、眉間に寄せていた皺を解く。どうやらユルゲンは俺とフィーネさまの関係にとやかく言われることが、あまり良いことと思っていないようである。
聖王国に向かえば、暇を見つけて俺はフィーネさまに会いに行っていた。外務部は二人一組で動くことが常だから、ユルゲンも巻き込んだこともあるというのに嫌な態度を取っていなかった。むしろユルゲンは俺たちの関係を見守ってくれていたよなと今更ながらに思い直す。得難い友を得たと俺は再度ユルゲンに視線を合わせた。
「ありがとう、ユルゲン」
「お礼を言われるようなことはしていませんよ」
俺の声にユルゲンは視線を逸らす。そして『内務部の執務室に着きましたよ』と話も逸らした。俺は行こうと告げ、取次ぎを頼んで内務部の執務室へと入って行く。
「シャッテン外務卿より書類を預かって参りました」
「こちらになります」
俺とユルゲンがシャッテン外務卿から預かっていた荷物を内務卿の前へと差し出す。荷物は書類なのだが、なにより量が多くて二人で運ぶ羽目になっていた。内務卿は書類の束を見て少し肩を落とすものの、即座に気を取り直す。
「ご苦労だったな。しかし君は随分と大胆なことをしたねえ。だが、聖王国の者たちが渋い顔になっている姿がありありと浮かんで、私は愉快な気分だよ!」
内務卿は聖王国の金満聖職者たちが嫌いなのだとか。アルバトロス王国の教会上層部の人たちがナイさまと聖女さま方からお金をくすねていたことも、未だに根に持っているとか。お金に煩い外務卿の愚痴を随分と聞かされたようで、聖王国のことが嫌いになったそうである。良い顔をしている内務卿に俺はなんと答えれば良いものかと悩んでいれば、すっと空気が変わった。
「して、聖王国の教皇から出された条件というのはどのようなものなのかな? 私が聞いても問題ない範囲で答えてくれると嬉しい。助けられることがあれば手を貸そう」
なに、見返りは求めないと内務卿が言葉を続けた。もしかしてシャッテン外務卿はこれを見越して俺たちに書類を届けさせたのだろうか。そうであるならば有難い気遣いだ。とはいえタダで受け取るものほど怖いものはない。
あとでなにか内務卿に贈り物でも届けなければと考えつつ、俺は聖王国の教皇猊下から出されている条件を口にする。口外しても構わないとアルバトロス王国の陛下から許可を頂いているし、ボルドー男爵閣下も知っていることだ。
「一つは爵位が低すぎること。一つは聖王国に所属する騎士を打倒すること。一つは大聖女フィーネさまの代わりとなる聖遺物を見つけ出すこと」
俺が教皇猊下が示した三つの条件を口にすれば、内務卿が片眉を上げる。
「爵位は直ぐに上げることはできないが……陛下から陞爵の知らせはないのかね?」
「将来的に伯爵位を賜ることになると、陛下からお言葉を頂いております」
おそらく内務卿も俺が陞爵することは陛下から聞いているのだろう。でなければこうした話なんてできないはずだ。ユルゲンは静かに俺の横で佇み、話を聞いてくれている。
待たせてすまないと彼へ視線を向けると『気にしないでください』と言いたげにしていた。陛下からは近々俺に子爵位を与え、フィーネさまとの婚姻の際に伯爵位を授けるつもりらしい。
とはいえ法衣扱いの伯爵位のため、フィーネさまと釣り合うための緊急措置的なものだと苦笑いを浮かべていた。子爵位の方は領地持ちとなるそうで、今のベナンター準男爵領と廃爵された男爵領と合わせるそうである。飛び地となるがと申し訳なさそうに仰っていたが、そこは仕方のないところだから俺は文句なんてない。
「聖遺物はアストライアー侯爵を頼ればどうにかなりそうだな」
「そうですね。自身の気持ちとしては侯爵閣下のお力を借りずになにか見つけられると良いのですが……」
最終手段としてナイさまを頼ることができるものの、せっかくなら自分の力で聖遺物を見つけ出したいものである。どんな品が聖遺物として取り扱われるのか教会に問い合わせてみたところ、過去の聖人の血をしみ込ませた聖骸布だとか、筆頭聖女さまの涙とかがあるそうである。
アルバトロス王都の教会にも聖遺物が存在しているのだが、ナイさまの下で女神さまが過ごされているために聖遺物が霞んで見えてしまう。アストライアー侯爵邸にはヴァルトルーデさまが使用した布団とか布とかたくさんあるから、過去の聖人たちよりも価値が上がってしまうのだ。きっと、ヴァルトルーデさまのことは勘定に入れてはならないと俺が頭を振れば、内務卿が真面目な顔を更に真面目なものに変える。
「ベナンター卿に武芸の才は?」
「恥ずかしながら……文官ですので。ですが、教皇猊下から届いた手紙には七人の騎士の対戦を記されていただけで条件はありませんでした」
内務卿が俺の答えににやりと笑う。そう、教皇猊下の手紙には聖王国の手練れ七人の騎士との対戦をと書かれていただけで、勝った負けたでどうなるのかも、対戦方法も記されてはいなかったのである。
遠回しに教皇猊下もフィーネさまと俺の婚姻を認めていると言っているようなものに見えなくない。ただ本当に俺が出場することになるのだろうか。でも、フィーネさまに少しでも男らしいところを見て貰いたい気持ちもある。
まだ対戦や聖遺物の提出について日取りは決まっていないから、ボルドー男爵閣下に頼って軍の方たちか、騎士団の方たちに手合わせを願っても良いだろうか。幼少期に剣術を習っていたが、本当にさっぱりだった。南の島で護身術を習ったけれど、それも緊急時に対応するためのものだから、遠慮なく目を突けとか、金的に鼻頭に脛を狙えというものである。ジークフリードが護身術を教えてくれた人たちの中で一番過激だったように思う。けれど。
『どんなにボロボロになって、みっともない姿を晒しても、守りたいものを守れたなら、それはエーリヒの勝ちだ』
という彼の言葉は俺の胸の中に残っている。そりゃ対戦でカッコよく勝てれば良いけれど、文官の俺に本職の騎士の人に勝とうなんて無理な話である。とはいえ努力しないのは性に合わないというか、それこそカッコ悪いことだろう。ちょっと伝手を使って頑張ってみよう。そして聖王国の騎士と対戦すると言ってくれる猛者六人を探さなければ。
「ベナンター卿は現地で交渉する気かな?」
「そのつもりです。少々、無理を言わなければならないでしょうけれど……」
良い顔を浮かべた内務卿に俺は苦笑いを浮かべる。もし聖王国の七人の騎士と対戦することになれば、教皇猊下より先に条件を提示しなければ。まあ、どうなるか分からないし、負けてしまってもフィーネさまと強奪することもできるのだ。その時の俺はアルバトロス王国籍を捨てているかもしれないが……いや、でも、捨てるようなことにならない気もしつつ、なるべく自分の力で乗り越えられるようにしなければと、内務卿の下を離れるのだった。
◇
夜。誰もいない自室の寝台の上で毛布や掛布団をたくさん被る。そしてベッドに顔を突っ伏した。
「エーリヒさまがようやく覚悟を決めてくれた! やっとだーーーー!!」
私は一人で声を上げて歓喜に打ち震える。本当に長かった。エーリヒさまとアガレス帝国で初めて出会ってから、彼の人となりに触れていつの間にか好きになっていた。ナイさまは恋愛に関してポンコツで私たちの関係を気付いていなかったけれど、知ってからは話をいろいろと聞いて貰っている。それにナイさまとジークフリードさんが婚約を果たしたと聞いた私は凄く羨ましかった。
置いていかれるのではないかという不安もあったし、エーリヒさまとは国をまたいでいるからどうしても遠距離恋愛となってしまう。でもまあ、いろいろあったけれど、ようやくエーリヒさまも覚悟を決めてくれ、教皇猊下に婚約の打診を送ってくださった。教皇猊下は私とエーリヒさまの婚約を認めてくれてはいるけれど、やはり聖王国内のことで気を揉んでいるようだ。だから。
「条件を出したって言っていたけれど……教えてくれなかったからなあ」
エーリヒさまには私と婚約するには試練を乗り越えろと、手紙で伝えたそうである。その内容を聞けば、教皇猊下は答えてくれなかった。その時になるまで期待していて欲しいということである。
教皇猊下にも考えがあるのだろう。最悪、どうにもならないのであれば、ナイさまを経由してグイーさまに私とエーリヒさまの婚姻を認めて貰えば良い。凄くチートだと思うけれど、女の子としては好きな男の人と添い遂げたい。
前世でも私には結婚願望はあって、いつか素敵な人と結婚して幸せな家庭を築くと朧げに描いていたけれど、事故に巻き込まれてしまっていた。だから前世で叶えられなかったことを、今の自分はキチンと叶えられるように動かなければ。
なにもしなければ手に入らないのは分かっている。だから、エーリヒさまが婚約や婚姻について動いて駄目だったなら、今度は私が動けば良い。そうなると今、二つある大聖女の地位が一つになってしまうけれど、ウルスラも認めてくれている上に応援までしてくれているのだから。聖王国にいる全ての人たちが祝福してくれなくとも、私はエーリヒさまの下へと行く。だって好きだから仕方ないよねと、付けていたベッドから顔を放して、私は起き上がった。
「エーリヒさまとちゅーしたら、本当に聖痕は消えるのかな?」
ふと私のお尻の上にある聖痕を思い出す。ゲームではそう設定されていたけれど果たしてどうなるのだろう。ベッドにある枕を手元に寄せて、私はぎゅっと抱き込んだ。なんだかエーリヒさまに抱かれているみたいだと感じて、なんとなくちゅーしようと顔を近付ける。
「恥ずかしいっ!」
私は抱きしめていた枕をベッドに投げつけると、顔が赤くなるのを感じるのだった。
昨日更新した話のサブタイトルに【①】を付け加えております。忘れてた……orz




