1604:【①】エーリヒくん、決意する。
――ついに届いたか。
聖王国の大聖女フィーネを娶りたいと記した手紙は各国から送られてくるが、すげなく断るか無視を決め込むのが常である。聖王国の大聖女を他国に引き渡してなるものかという気持ちもさることながら、象徴として貢献している大聖女を他国に売り渡すような真似はしたくないと歴代の教皇は婚姻や婚約の話を断っていた。
だがしかし。聖王国、現教皇である私の下にアルバトロス王国のエーリヒ・ベナンター準男爵から手紙が届き、大聖女フィーネを自身の下へと嫁入りさせたいと書かれていた。読み終えた手紙を私の執務の補助を担っている者に渡せば、彼は内容を把握して苦笑いを浮かべた。
「ようやく……と言いたいところですが、大聖堂の男の聖職者たちが煩いでしょうな」
目の前の彼は大聖女フィーネとエーリヒ・ベナンター準男爵が恋仲であることを知っている。少し前に『お似合いではありませんか』と零していたし、アルバトロス王国に大聖女フィーネが嫁入りすることに反対もしていない。
むしろ、エーリヒ・ベナンター準男爵はアストライアー侯爵とも懇意にしていること、大聖女フィーネも侯爵と仲が良いことに目を付けており、嫁入りした暁には聖王国とアストライアー侯爵との繋がりを維持して貰いたいと考えているようである。私も聖王国の教皇として、大聖女フィーネにはそうしてもらいたいところだ。もちろんアルバトロス王国との関係も疎かにするつもりはない。
とはいえ聖王国内には大聖女フィーネを支持し、聖王国の者との婚姻をと願う者が少なからずいる。
「だな。私の力で捻じ伏せることもできるが、なるべく皆には大聖女フィーネの婚姻先に納得して貰いたいものだ」
「アストライアー侯爵閣下との繋がりを強化できるとなれば、誰も否とは言えないのでは」
ふうと深く息を吐く私に、補助を担う者が真面目な顔で言い放った。たしかに侯爵との繋がりが強くなるとなれば誰も文句は言えまいが、腹に溜め込んだ不満はいつか表へと出てくる。
その時に聖王国の柱が揺らげば、また国家滅亡の危機に瀕してしまう。せっかくアストライアー侯爵の温情で聖王国は生き永らえているというのに、それを理解できない者が少なからずいる現状に私は自身の無能を嘆きたくなる。無理に粛清を進めれば、私は歴代最悪の教皇と名を冠することになるだろう。なるべく平和に務めを果たしたい。
「猊下は創星神さまとお会いし、酒を酌み交わしたのでしょう? 今や猊下の地位は盤石です。猊下の声も無下にはできないでしょうに」
「馬鹿な者はどこにでもいるからなあ……それに大聖女フィーネの美貌に囚われている者がいて、私より彼女の言葉に耳を傾ける者も多い」
私が神の島に赴き創星神さまと杯を交わしたこと、土産を頂いたことで私の教皇としての地位は以前より数倍価値が上がっている。とはいえ大聖女フィーネも一緒に神の島に赴いているのだから、大聖女フィーネも凄いだろうと主張する者もいた。私と大聖女フィーネが凄いのではなくアストライアー侯爵が創星神さまと親しい故に叶ったことであるが、視野狭窄な者はその事実を認めたくないようである。本当に聖職者だというのに欲に溺れた者が多いと私が呆れていれば、補助を担う者が良い顔を浮かべていた。
「切り捨てれば良いでしょう。殺さずとも、僻地の修道院送りにすれば良いのです」
補助を務める者は過激なことを口にするなと私は苦笑いを浮かべる。ここで我々が男二人で話し込んでも仕方ないと、私は大聖女フィーネと大聖女ウルスラを呼んで欲しいと彼に頼む。しばらく件の人物が執務室にくるのを待っているのだが、棚に飾られた創星神さまより賜った酒が目に入る。本当にあの日は奇跡の出来事だった。四大陸を司る女神さまと邂逅し、創星神さまと言葉を交わし酒を飲む。
こんなこと、過去のどんな偉人だって成し遂げていない。帰り際、預けた石になにかあれば四大陸を司る女神さまたちが動くから協力して欲しいことと、また会おうという約束を交わしている。
創星神さまは気兼ねなく口にした言葉だろうが、まさか再会の約束まで果たしてしまうとは。もしかすると私が生きていない時に声が掛かるかもしれないが、その時はその時に教皇を務めている者が立派に務めを果たしてくれるはず。
未来を頭の中で描いていれば、先程召喚した大聖女フィーネと大聖女ウルスラが執務室へ辿り着いたようである。私は二人を中へと招き入れ、応接用の席に腰を下ろすようにと伝えた。
「大聖女フィーネ、大聖女ウルスラ。急に呼び出してすまない」
「いえ。お気になさらないでください、猊下」
「午前の奉仕も終えておりますから、時間は十分に取れます」
私も応接用の椅子に腰を下ろして二人に声を掛ければ、にこりと笑みを浮かべた。急な呼び出しにも関わらず、文句も言わずに受け入れてくれるのは有難い。横柄な者であればちくちくと嫌味を言ってくる……と、他人のことはどうでも良い。
「大聖女フィーネ。アルバトロス王国のエーリヒ・ベナンター準男爵から君を娶りたいという打診が届いてな」
「え!」
私の言葉に大聖女フィーネが凄く嬉しそうにしたあと『ようやくかあ』と感慨深そうに短く呟いた。たしかに二年近く待たされているようだから、ようやくという言葉にはいろいろな感情が含まれているのだろう。
「受ける気はあるかな?」
「はい。もちろんです!」
私の質問に大聖女フィーネが真っ直ぐな瞳で答えた。どうやら二人の関係は良好のようだと私は安堵する。ただ、彼女がアルバトロス王国に向かうとなれば少々問題が起きると、私はもう一人の大聖女に視線を向けた。
「そうか。大聖女ウルスラ」
「は、はい!」
私の声に大聖女ウルスラが背筋を伸ばす。まだ幼さが残る彼女だが、黒の枢機卿の下を離れてからの成長は著しいものがある。本人の努力もあるし、周りの者たちが彼女を支えていたことも大きいだろう。
それに大聖女フィーネと聖女アリサと仲が良く、一緒に過ごせたことも彼女の成長に大きな影響を与えている。アストライアー侯爵とも懇意にしており、不可思議な出来事に彼女は目を丸くしながらも経験を積んでいた。
「大聖女フィーネがアルバトロス王国へと嫁げば、君は大聖女の地位を一人で務めることとなる。それでも良いだろうか?」
私がどうだと問えば、大聖女ウルスラは強い意思を持って口を開く。
「もちろんです! 私一人でも務められるようにと、この一年頑張ってきたのですから! まだまだ皆さまにご迷惑をお掛けするでしょうし、大聖女フィーネさまのような求心力はありませんが……それでも、私ができることを精一杯務めさせて頂きます!」
大聖女ウルスラは聖王国の聖女たちの信用を得られている。神職者を味方に就けるより、聖女からの信頼を勝ち取る方が彼女にとって良いことであろう。
「承知した。では、大聖女フィーネ。エーリヒ・ベナンター準男爵との婚姻を――……」
私は大聖女二人を見つめながら、エーリヒ・ベナンター準男爵との婚姻を認める代わりに、条件をいくつか提示する旨を伝えるのであった。
◇
――今頃、聖王国の教皇猊下に向けた手紙が届いている頃だろうか。
アルバトロス城の一角にある外務部の執務室で俺はソワソワしながら自席で仕事を捌いていた。ナイさまが二十七柱の創星神さまを歓待してから八ヶ月近く過ぎ、俺たちの身の回りの環境が少し変化しているというか。切っ掛けは、ナイさまがジークフリードと婚約を結んだことが周囲へ伝播したというか。ギド殿下とマルクスの婚姻式に参列して、俺の隣にはにかみながら立っているフィーネさまを想像してしまった。
だからというわけではないし、周りに取り残されてしまうという焦りからでもないけれど、アルバトロス王国の国王陛下に聖王国の大聖女フィーネさまを自身の伴侶に選んでも良いかと、少し前に相談を持ち掛けたのだ。
陛下は俺とフィーネさまが納得しているのであれば、国として文句を付けるつもりはないし、聖王国から大聖女を奪ってきても構わないと仰ってくれた。その表情は少しボルドー男爵閣下に似ており、血の繋がりを感じさせられる場面であった。
そして正式にアルバトロス王国から許可を頂いた俺は聖王国に大聖女フィーネさまを娶りたいと打診の手紙を送ったわけである。
そろそろ教皇猊下の下へと届いていてもおかしくはない頃だ。フィーネさまのご両親は例の一件の時に親子の関係を切っている。俺もメンガー伯爵家から独立しているため両親には『聖王国の大聖女フィーネさまと娶りたい』と記した手紙を送っただけ。
親父は喜んでくれ、母上は聖王国の大聖女を娶るつもりなんてと驚いていた。長兄も成婚したならめでたいと言ってくれ、次兄は微妙な反応を見せていたとか。
俺が婚姻の話に失敗したとしても、メンガー伯爵家とは関係ないと言い切るつもりなので実家には迷惑は掛からないはず。なににしても、ご両親と縁を切っているフィーネさまなのだ。きちんと家族とか家庭を築けていけると良いけれど……と、将来の心配よりも目の前の仕事をしなければと、少し遠くなっていた意識を俺は引き戻す。すると隣の席に座していたユルゲンが俺の顔を覗き込む。
「エーリヒ、大丈夫ですか?」
「ん、ユルゲン、大丈夫ってなにが?」
ユルゲンは俺が考えに耽っていたことに気付いたようである。相変わらず、俺のことを気遣ってくれて有難いが少し照れ臭くて、正直に伝えるべきところを言葉を濁してしまった。
「意識がどこかへ飛んでいましたよ」
片眉を上げながら再度心配そうにユルゲンが俺を見ている。流石に隠し通すのは無理かと俺は肩を竦めた。
「ごめん、ちょっと考え事してた……というかユルゲンも婚姻したなら、早く屋敷に戻らないとな。仕事、進めよう」
ユルゲンも少し前に年下の婚約者と籍を入れている。友人として彼の婚姻式に参加させて貰ったのだが、やはりフィーネさまの花嫁姿を想像してしまった。やはり俺も彼女が幸せそうにしている姿を見たいと、今日の分の仕事を進ませようと伝えれば、ユルゲンが眼鏡の縁を手で持ち上げる。
「エーリヒ。僕『も』とはどういうことでしょうか?」
「む」
「ふふ。エーリヒがなにを考えていたのか、分かりました」
にやにやとユルゲンが悪い顔をしながら笑い、俺から視線を外す。決して、妙なことは考えていないけれど、突っ込んでしまえば更に墓穴を掘りそうだ。先程、自分で口にした通り早く仕事を終わらせようと、俺も机に向かって作業に取り掛かるのだった。
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