1602:アストライアー侯爵邸はどうよ。
――また時間が流れて。
ソフィーアさまとギド殿下の婚姻式に参加したり、セレスティアさまとマルクスさまの婚姻式にも参加して、アストライアー侯爵領領主邸の屋敷の中の様子が少し変化している。以前から要望があった通り、セシリアさまとアルティアさまが私の側仕えとして期間限定で務めることになったのだ。
早朝、私の介添えはエッダさんの役目であるが、セシリアさまとアルティアさまの要望により一週間のみお二人が務めることになった。エッダさんは私の部屋の片隅で苦笑いを浮かべながら、介添えの補助を担ってくれている。セシリアさまとアルティアさまに奉仕されることに慣れていない私は、なんだかむず痒い気持ちを抱いてしまい顔が引き攣りそうだ。
とはいえ、凄く楽しそうにしているお二人に文句は言えず、ただただ黙って介添えを受けるしかない私はヘタレなのだろう。今日が介添えの初日ということもあって、外ではジークとリンが私を待ってくれている。もちろん、クロたちも外に出て着替えを待ってくれているのだが、アルティアさまはクロたちが同席しないことに凄く残念がっていた。
エッダさんの介添えとはまた違う感じを受けるものの、お二人の動きは洗練されたものである。お貴族さますげーと感心していれば、セシリアさまがほうと息を吐く。
「ナイさま、お可愛らしいですわ」
「似合っていますかねえ?」
セシリアさまの声掛けに私は片眉を上げた。エッダさんは私の趣味を把握しているため、普段の衣装はシンプルなものを選んでくれる場合が多い。今日の衣装は結構派手な装いとなっており、なんだか服に着られている感じがしてならないのだ。大丈夫かなあと今度は反対側の眉を上げると、私を見ながら極上の笑みを浮かべたアルティアさまが口を開いた。
「ええ。とてもよくお似合いです。しかし本日はセシリアが選んだお召し物。明日はわたくしが選んだ衣装を着て頂けると嬉しいです」
ふふふとアルティアさまが不敵な笑みを浮かべてセシリアさまを見た。するとセシリアさまも厳しい視線をアルティアさまに向ける。なんだかこの紫電が走る感じが凄く懐かしい。ソフィーアさまはハイゼンベルグ公爵家が持つ爵位の一つ、ブルゴーニュ子爵を賜り女当主となっている。ギド殿下は婿入り扱いとなるが、領地運営はギド殿下が行うそうだ。
婚姻式にて私はギド殿下から『もう殿下ではないよ』と言われてしまったのだが、今更『ギドさま』と呼ぶのも違和感がある。とはいえ殿下と呼ぶのは失礼にあたるし、慣れていかなければならない。
セレスティアさまとマルクスさまは相変わらずのようで、旦那さまが奥方さまに尻に敷かれている構図はクルーガー伯爵家の伝統のようである。ちなみにまだクルーガー伯爵さまは奥方さまに『女性関係』で頭が上がらないそうな。マルクスさまはその碌でもないの血を引き継いでいないようで『親父のようにはならねーよ』と宣言している。そういえばセレスティアさまとマルクスさまの婚姻式でクルーガー伯爵さまの奥方さまのご実家の方と挨拶をしたのだが、凄くマトモな感じの方であった。
なににせよ、私を用いた着せ替え人形はあと一週間続くなと苦笑いを浮かべれば、介添えが終了する。着替えを終えた私を見て、うんうん頷いているお二人を私は見上げた。
「ありがとうございます」
私が小さく頭を下げれば、お二人はおやと首を傾げて妙な表情を浮かべる。背が順調に伸びているはずなのに、まだまだアルバトロス王国に住む女性の平均身長――一七〇センチ――には届かず、私の身長は一五五センチである。伸びたというのに、平均身長が高すぎて、未だにチビ扱いというのは如何なものだろうか。せめてあと五センチ頑張れと、私の身長を切に応援するしかない。
「礼など述べなくとも」
「ええ。娘から聞き及んでおりましたが、本当にナイさまは律儀な方というか」
苦笑いのセシリアさまとアルティアさまに私も苦笑いを浮かべた。貴族家の当主としてふんぞり返っていれば良いのだが、これはもう私の直らない癖のようなもの。エッダさんにも毎日伝えているし、お茶淹れ役の侍女の方にも言っているのだから。
「癖として沁み込んでいるだけだと。あまり気になさらないでください」
苦笑いを更に深める私にセシリアさまとアルティアさまは『悩ましいものですわねえ』『ナイさまですものねえ』とぼやいていた。ソフィーアさまとセレスティアさまも最初は苦言を呈していたが、あまりにも直らないので諦めてくれた面がある。
時間が経てばお二人も慣れてくれるだろうと私は朝食を摂りに食堂へと向かう。セシリアさまとアルティアさまはソフィーアさまとセレスティアさまと同じく、従業員用の食堂で朝食を頂くそうだ。一緒にいかがですかと昨日誘ってみたのだが、お二人の代わりを務めるのだからなるべく同じように行動するとのこと。ただ最初の一週間だけは、私の介添えをやらせて欲しいということである。
「では、行ってきますね。エッダさんもありがとうございました」
「い、いえ! ご当主さま、いってらっしゃいませ!」
私はエッダさんにも礼を述べ、そしてセシリアさまとアルティアさまにもう一度頭を下げて部屋を出るのだった。
◇
ご当主さまが、朝食を摂るために自室を出て行かれた。
私は毎朝ご当主さまの介添えを務めているのだが、本日から一週間はセシリア・ハイゼンベルグ公爵夫人とアルティア・ヴァイセンベルク辺境伯夫人がご当主さまの朝の介添えを務めることになる。
お二人がソフィーアさまとセレスティアさまの代理人として期間限定で派遣されることは、屋敷の皆が承知しているのだが介添えの件は突然決まったことである。
ご当主さまが決めたことだし、一介の侍女に過ぎない私に意見を主張する権利はなく『承知しました』と頷くのみだ。ただ、三年以上ご当主さまの介添えを務めてきたという自負があるので、ちょっと不満というか、不服というか。
今日のご当主さまの衣装は余所行き仕様となっており、ご本人は落ち着かない様子だ。でもまあ、ご当主さまも私も一週間限定だと自身を納得させるしかないだろう。私はご当主さまが消えた扉を見て小さく息を吐けば、セシリアさまとアルティアさまがこちらを見ていた。
「エッダ」
「エッダ」
「は、はい!」
お二人に声を掛けられた私は、ぱっと背筋を伸ばした。なんだろう。高貴な家の女主人を長年務めている方々であるためか、凄く目力が強い上に発している圧も重いというか。ご当主さまは魔力の圧こそ凄いけれど、物腰は柔らかい。三年で私が慣れてしまったのかもしれないが、ここにきて慣れない方に見られるということがこんなにも気を張ることになるなんて。
「ナイさまは屋敷の者に対して、先程と同じように声を掛けておられるのですか?」
「一応、娘から聞き及んではおりますが、当主として威厳をお持ちになっても良いものを」
高位貴族に身を置くお二人はご当主さまの態度が気になるらしい。とはいえ、屋敷の者たちはご当主さまの態度に慣れているうえに、アストライアー侯爵家の特徴だろうと割り切っている。
ご当主さまが発案された従業員用の制度も有難いものが多い上に、神さま方と関係を持っているため食事も洗練されている。料理長さまたち調理部は凄く胃に負担が掛かっているし、私たち侍女部も神さまが参られるといろいろ大変なものの、他の部分に不平不満はないのである。ソフィーアさまとセレスティアさまが不在の間、目の前のお二方によってなにか侯爵家は変わってしまうのだろうか。少し不安を抱えながら、私は質問に答えようと口を開いた。
「ご当主さまは、見た目からして大きな態度は似合わないと仰っておられまして……陛下より子爵位を賜った頃からなにも変わっておられません」
ご当主さまはどんなに地位が上がっても、私たちに向ける態度を変えない。だからこそ私たちもご当主さまの下で仕えているのだろう。不満を持っている従業員は他の貴族家よりもかなり少ない。私が持っている唯一の不満は『太りやすい環境』ということである。これを不満として抱いて良いものか分からないけれど。
食事内容はご当主さまの功績が上がる度に一緒に上がっているから、この先はどうなってしまうのだろうか。もっと豪華になってしまうのか、それとも変わらないままなのか。
なににせよ、アストライアー侯爵家従業員の環境は凄く良いものだから、あまり変わらないことを願うだけである。お二人も長く勤めればアストライアー侯爵家の良さを理解してくださるのではないだろうか。私は不安気にセシリアさまとアルティアさまに視線を向ければ、うーんと悩んでいらっしゃるようだ。
「確かにナイさまが、貴族家の当主のような態度であれば違和感を受けますわ」
「ナイさまであるからこそ、創星神さまと縁をお持ちになられているのでしょうし……」
どうやらお二人はご当主さまの態度を改める必要はないという考えに変わっているようだ。良かったと私はほっと息を吐いていると、妖精さんが近づいてきて『朝ご飯~』と耳元で囁く。
私はお二人を食堂に導く役目を担っていたと思い出し『朝食を摂りに行きませんか?』と誘えば、行きましょうと一緒に部屋を出てくれる。そうしてご当主さまの自室から階段を降りて、一階にある食堂を目指して歩いて行く。廊下にはご当主さまにと各国の皆さまが贈ってくださった品が飾られており、お二人は物珍しさで目を奪われているようだ。私は先頭を歩いているので、後ろを伺うことはできないけれど。
「フソウの鎧と刀にヤーバンの槍。他の国からの贈り物がたくさん飾られておりますわね」
「本当にナイさまの交友は広いのですね。各地を飛び回っておられますので、わたくしも体力を養わなければ。とはいえ竜のお方に乗る機会が……ふふふ!」
「竜のお方の背の上で涎を垂らさないようにね、アルティア」
「なにを仰います、セシリア。そのような無礼なこと、わたくしがするとお思いになって?」
私の背後で雷が落ちているのは気のせいだろうか。できれば他の所でじゃれ合ってくださいと言いたいけれど、騎士爵位の娘でしかない私は耐えるほかない。早く食堂に着いてと願っていると、窓からエルさんとジョセさんがこちらを見ていた。
私たちの姿を見るなり、エルさんが窓を鼻先でとんとんと叩いた。なにか用事があるようだと私は窓を開けば、エルさんとジョセさんが私にお礼を述べる。そして天馬のご夫婦はセシリアさまとアルティアさまに視線を向けた。
『ご挨拶に赴けず、失礼を致しました』
『本日からよろしくお願いします』
「エルさま、ジョセさま、お久しぶりでございます」
「わざわざ、ご挨拶にきてくれるなど。本来であればわたくしたちから向かうべきことですのに!」
少し驚きつつセシリアさまが言葉を紡ぎ、アルティアさまが凄く嬉しそうに答えていた。お二人は数日前からアストライアー侯爵邸に入っていたけれど、案内や引継ぎのために庭へとでることはなかった。
エルさんとジョセさんも忙しいと察知してくれていたのか、今日まで挨拶を我慢していたそうである。本当に賢い天馬さまだなと感心しながら私はやり取りを見守る。
二言、三言言葉を交わす間に、アルティアさまが騎乗依頼を申し出るのは流石というか。娘さまも休みの日には天馬さまやグリフォンさんたちの背に乗り庭を爆走していた。きっとアルティアさまも同じ道を辿るのだろうと私は安易に想像できた。
挨拶はほどほどにして、私たちは再度食堂を目指す。そうして従業員用の食堂へと入れば、中にいた人たちの視線を一斉に浴びることになった。セシリアさまとアルティアさまはみんなの視線を意識せずに、中へと進んでいく。
「ああ、お気になさらないでございまし」
「ええ。わたくしたちは娘の代わりを務めます故に普段通りで構いませんわ。今日は初日ということでエッダに連れてきて貰っただけです」
そう口にしたお二人は空いている席へと腰を下ろした。たしかその場はソフィーアさまとセレスティアさまがいつも座っている場所だ。きちんと娘さんたちとも引継ぎをしていたようで、迷わず席に就いたあたり凄いことだと感心していた。そうしておもむろに席を立ち、お二人は食事を摂りに行く。貴族家の夫人が従業員と同じ行動を取って良いのかという疑問は野暮だろう。トレイに食事を乗せた高貴な方が席へと戻って行く。
私も定位置に腰を下ろし調理部の方から朝ご飯を受け取る。頂きますと声を上げ、私は慣れ親しんだ食事を口に運べば今日も美味だと目を細めた。そうしている間に例の方たちも、アストライアー侯爵家のご飯を食べたようである。
「美味ですわ」
「ええ、とても」
お二人が呟いた声に耳を澄ませていた一同は『よっしゃ!』と心の中で歓喜するのだった。
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