1583:噂をすれば。
グリフォンさんの卵さんとポポカさんの卵が孵らないねえと執務室で話していた次の日。
朝。ベッドから起きて枕元に置いているグリフォンさんの卵さんに視線を向ける。籠の中にはふかふかの布が敷き詰められ、その上に卵さんが四つ置かれていた。私のベッドより柔らかそうだという突っ込みを入れたのは随分と前のことである。
今日も変化がなさそうだと目を細めると、宝石のような卵さんの一つに皹が入っていることに気が付いた。私は『う、産まれる!?』と心の中で叫びながら、寝室にあるベランダに急いで走る。床で寝ていたヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちがいきなりどうしたのと驚いているが、今の私は彼らに構うことよりも優先すべきことがある。途中、目深な絨毯に足を取られそうになるものの、どうにか堪えた。私の運動神経は死んでいないとにやりと笑いベランダに繋がる扉を開く。
『急ぐと危ないよ、ナイって遅かった……』
クロがなにか言っているけれど、私は早く朗報を届けなければとベランダの柵に手を掛けた。大きく息を吸い肺に空気を貯め込んで、喉に力を込める。
「ジャドさーーーん! おばあー! イル、イヴ、みんなぁーーー!! 卵さんが、卵さんが孵りそうだよ! 今、そっちに行くねー!」
叫んだ私が部屋の中へ戻ろうとすると、バサバサと翼をはためかせる音が耳に届く。後ろを振り返ればジャドさんがベランダの目の前で滞空飛行をしている。彼女は凄く嬉しそうな雰囲気を纏っているので、私が叫んだ言葉を聞き届けてくれたのだろう。部屋に戻ろうとしていた足を止めて、私はジャドさんと目を合わせる。
『ナイさん、卵を持って私の背に乗ってください。歩くよりも、庭に出る方が早いでしょう』
「ジャドさん。ごめん、お願い!」
ドヤと顔を変えるジャドさんに私は卵を取ってくるねと告げ、一度部屋に戻るために足を動かす。背中にジャドさんの気配を感じていると、なにやら独り言を紡いでいるようだ。
『お気になさらず……――ようやくですねえ。随分と長い間、卵のままでいたものです。ふふ。どれくらいナイさんの魔力を取り込んだのか見物です』
ジャドさんの声がどうにか私の耳に届くけれど、私は卵さんを抱えることに頭が一杯になっていた。部屋に戻った私は卵を四つ手に持つよりも、籠をそのまま持っていた方が落とさずに済むと篭の取ってをむぎゅっと掴んだ。よし、ベランダに戻ろうとクロとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちに視線を向けて、先に行くねと無言で伝えた直後。
『ピョエーーーー!』
おばあの鳴き声が上がるのだが、今の声は屋敷全体に響いたのではなかろうか。耳がじんとすると苦笑いを浮かべると、クロとヴァナルたちは廊下に出ようとしていた。すると扉が開いて、ジークとリンの姿が見える。そっくり兄妹はベランダで叫んだ私の声が聞こえたようで、慌てて駆けつけてくれたようだ。二人に説明をと私が視線を合わせると、ジークが先に言葉を紡ぐ。
「ナイ。俺たちも家宰殿に報告して、直ぐに向かう」
「落ちちゃ駄目だよ。ナイだから心配」
真面目な顔で告げるジークと片眉を上げながら落ち着かない様子のリンに私は苦笑いを浮かべた。相変わらず心配症というか、私を一番に考えてくれて行動を起こしてくれているというか。新たな関係に踏み出しても、変わらないことの方が多いなと私はベランダで待ってくれているジャドさんを見る。
「信用ないなあ……まあ、ジャドさんが落ちないように飛んでくれるはずだから大丈夫。先に行くね」
一度、そっくり兄妹の方へ振り返った私に『慌てるなよ』『ゆっくり乗るんだよ』と口にする。そんなに鈍くさいかなあと不思議に思うものの、ジャドさんが良きに計らってくれるはず。
ああ、でも、今まで私が聖女として討伐遠征に出られていたのはジークとリンの補佐があったからだろう。ちゃんとこけないようにゆっくり乗ろうと決意して私は籠を持ったまま、ジャドさんの方へと走って行く。
『おや。これは責任重大ですね。創星神さま方とお付き合いのあるナイさんを落としたとあれば、命をもって償っても足りませんから』
「物騒なこと言わないでよ、ジャドさん。私が落ちても、聖女さまを呼べばどうにかなるはずだから……よいしょっと」
ジャドさんが脚を曲げて屈んでくれた。相変わらず大きいなあと感じるものの、べたりとベランダの床に身体を着けてくれれば楽にジャドさんの背に乗ることができた。随分と胴の幅が広いため、ジャドさんの背に馬乗りになった私の股関節が随分と開いている。自分の足に力を込めることはできるものの、幅の広い胴の上でバランス取れるかなと心配になっていればジャドさんが首を回して私を見た。
『適当なところを掴んでくださいね。ナイさんが強く握っても痛くはないですから』
ジャドさんも私が背中から落ちることを懸念しているようである。それなら背に乗るようにと告げなければ良かったのに、何故口にしたのだろうか。ふと、先に言い出したのは良かったけれど、そっくり兄妹の言葉を聞いて不安になったのだろうか。
それなら合点がいくと私は苦笑いを浮かべて、遠慮なくジャドさんの鬣を握った。すると身体を起こしたジャドさんが翼を広げて空に浮かぶ。竜の方の背に乗った時と違う感覚に襲われる。なにが違うのかと考えている間もなく、グリフォンさんたちの輪の中に降り立った。
「ジャドさん、ごめん。何本か鬣の毛が抜けちゃってる……」
鬣を握っていた私の手にジャドさんの毛が何本か絡みついていた。
『痛くなかったですし、単に抜け毛の類いかと。お気になさらず。それよりも卵を見せて頂けることの方が重要でしょうか』
ジャドさんは魔力量を多いため抜け毛なんてそうそう起きないのだけれど。捨てるに捨てられないと私は抜けたジャドさんの鬣を寝間着のポケットの中に突っ込む。そうしてジャドさんたちグリフォンさんに囲まれた私は、みんなの前に卵さんが四つ入った籠を差し出した。
「みんなから預かった卵が孵りそうだよ。元気な仔が産まれると良いね」
雌グリフォンさん四頭が私の顔に顔を擦り付けてくる。私は顔を右へ左へ動かしていると、おばあがポポカさんの卵を背中に抱えたまま顔をぐっと空に向けた。
『ピョエーーー!』
「おばあが一番喜んでいるね」
威勢の良い鳴き声がまた屋敷の中に響く。屋敷が超広くて良かった。狭いとご近所さまに謝り倒さなければならないだろうし。遠慮なく鳴いて良い環境はおばあにとっても嬉しいだろう。とはいえ屋敷で寝ていた方たちは飛び起きていそうだけれど。私が手を伸ばしておばあの首を撫でると、不思議そうな顔になっている。
『ピョエ?』
「駄目じゃないよ。おめでたいことだからみんなで祝おう。あとは無事に孵るかどうか、かな」
首を傾げるおばあに私は苦笑いを浮かべながら、手に持っていた篭を地面に置く。すると四頭の雌グリフォンさんたちが籠の中を覗き込んで目を細めていた。ジャドさんは私に視線をくれて口を開く。
『大丈夫です。きっとこの仔たちは強い』
「だと良いけれど。さて、卵さんたちの晴れ姿を見守ろうか」
私が声を上げると、おばあがポポカさんの卵を篭の中へと移動させている。嘴に咥えて移動させているけれど、見ていると卵が割れてしまわないかハラハラして仕方ない。おばあは嘴を使って絶妙な力加減で卵さんを掴んでいるようだ。器用だねえと感心していれば、おばあが『どうよ?』みたいな表情を浮かべる。そうして篭の中にはグリフォンさんの卵が四つ。ポポカさんの卵が四つ鎮座することになった。
「皹、大きくなってる。他の卵も動いているし、孵るまでどれくらいの時間が掛かるかな。アリーさまを呼びたいけれど……無茶をさせられないし……真っ先にヤーバンに報告が入るだろうから……飛んできそうだなあ……はあ」
ふいにアリーさまの顔が浮かぶものの、彼女に無茶をさせられない。というか無茶をするなと口酸っぱく言っている身であるため、私から無理なお願いを申し出るのはちょっと違う。
ワイバーンさんに乗ってヤーバン王国からアルバトロス王国に移動することもできるけれど……あれは体力が必要になる。アルバトロス王国の飛竜騎士団の方たちは長時間の飛行に慣れるために、随分と長い時間を掛けて訓練をしていた。
空の高さに慣れること、背の上で身動きが取れること、ワイバーンさんたちの信頼を得ることに苦労していたのだ。比較的、ヤーバン王国の方たちはワイバーンさんたちからの信頼を得るのが早かった。むーと私が卵さんを見つめながら考えていると、ジャドさんが私の顔を覗き込む。
『ナイさんは随分とヤーバン王を気に掛けますね』
良いことですが、彼女も大人ですから心配し過ぎではとジャドさんが言葉を付け加える。
「無茶をする方ですからねえ。自覚はなさそうですし」
『ナイさんもですねえ』
「なにも言い返せません、はい」
また私はむーと唇を横に伸ばした。反論ができないと押し黙るしかない。篭の中の卵さん四つの内の一つは大きな皹が入っていた。残りの三つにも変化の兆しが見られており、皹が小さく入っている。
ポポカさんの卵にはまだなにも起きておらず、ちょこんと篭の中にいるのみだ。まだかな、まだかなと籠を覗き込んでみんなで待っていれば、ジークとリンとクロたちの姿が見えた。ゆっくりとこちらに歩いてきてくれて、クロは私の肩の上に乗ろうとして滞空飛行を続けている。どうしたのと顔を上げれば、ジークが私の後ろへ回っていた。
「ナイ。ほら」
ジークが羽織を私の背中に掛けてくれた。私はジークに顔を向けて目を細める。
「ありがとう、ジーク」
「時間が掛かりそうなら、お茶と軽食を持ってきてくれるって」
リンの手にはパンがいくつか入った篭が握られていた。どうやら私がお腹を空かせてはならないと持ってきてくれたようである。クロは私が羽織を纏ったことで、滞空飛行を止めてゆっくりと肩の上に乗った。ジークとリンが合流して少し経つと、今度はヴァルトルーデさまとジルケさまも姿を現す。興味深そうに篭の中を見つめながら、二柱さまはジャドさんたちグリフォンさんの首を撫でる。
「卵、やっとだね」
「本当にやっとだな。おばあはまだポポカの卵を背中に抱えてんのか? ん? 篭の中に移動してら」
二柱さまは目を細めながらそんなことを口にする。おばあもポポカさんの卵が孵って欲しいのかソワソワしていた。肝心のポポカさんはまだ小屋で寝ているそうだ。起きたらこっちに連れてこなきゃなあと私は苦笑いを浮かべた。
「おばあのけたたましい鳴き声の理由に納得できたよ」
「めでたいですわ! また幼いグリフォンを見ることができるだなんて!!」
二柱さまから遅れること少し、今度はソフィーアさまとセレスティアさまが庭に出てきた。お二人は関係各所に連絡を入れてくれたようである。家宰さまはなにか起きたときのために、執務室で待機してくれるようである。私は一先ず、ジャドさんに卵さんが孵る時間を聞き出して、まだ少し余裕がありそうだからと着替えに走った。
――無事に元気な仔が孵りますようにと願いながら。




