1578:ぶふっ。
――ぶふっ!
と、飲んでいた紅茶を俺は口から吹き出した。俺の横に腰を掛けているユルゲンが大丈夫かとポケットをまさぐって、ハンカチを差し出してくれる。俺も自分が持っているハンカチを取り出して、手を振って大丈夫だと伝えた。俺が紅茶を吹き出した経緯は少し前に遡る。
午前の仕事を終え昼休憩に差し掛かる前、外務部の執務室で作業をしている俺は隣にいるユルゲンの方を見る。相変わらず真面目に仕事を捌いているのだが、少しばかり語り掛ける必要があると俺は口を開く。
「ユルゲン。ジークフリードがそろそろくるから、行こう」
「ああ、そのような時間でしたか。行きましょう」
俺の声にユルゲンが時計へ視線を向けた。長針と短針は十二時を指す手前にある。二日前、ナイさまの風邪が治ったという報告とともに、ジークフリードから個人的に聞いて欲しい話があると俺に手紙が届いていた。
そしてジークフリードから誘ったのではなく、俺から遊びに行こうと誘われたとナイさまに告げても良いかとも記されている。アストライアー侯爵家の使いの人が王都に用事があるそうで、もし会えるならジークフリードはその人と一緒に転移魔術陣を使用してくるとのことであった。
仕事が終わってからならいつでも会えるし、短い時間で済むならば昼休憩の時に会わないかと返事を送り、ユルゲンも同席しても良いかも書き込み、俺からジークフリードを遊びに誘ったとナイさまに伝えても構わないとも返事に認めた。
ジークフリードがナイさまにやましいことをすることはないし、なにか事情があるようだけれど彼のことである。俺やナイさまを謀ることはしないと踏んでのことだ。そうしてジークフリードから再度届いた手紙には昼の時間で大丈夫という旨と、ユルゲンももちろん一緒にいて構わないこと、我が儘を言って申し訳ないと書かれているのだった。
で、約束の時間が今からとなる。
待ち合わせ場所は王城にある応接室だ。城の一角を一外務部員が使えることに違和感を覚えるものの、陛下から使って構わないと許可を得ることができた。ジークフリードの話の内容次第で、国へ報告しなけれなならなくなる。さて、ジークは俺たちになにを話すつもりだろうかと予約しておいた応接室――警備レベルは低い場所――へと足を踏み入れた。
既にジークフリードが待ってくれていて、彼の鮮やかな赤い髪が直ぐ俺の目に入った。俺たちに気付いたジークフリードは座っていた席から立ち上がりこちらを向く。
「急に済まない」
少し申し訳なさそうにしたジークフリードが目線を下げて礼を執る。世間話ではなさそうだと俺は応接用の机を挟んでジークフリードの前に立つ。
「構わないよ。あまり時間は取れないけれど、ジークフリードに会えるのは嬉しいし」
「お互いに仕事が忙しいですから。意識しなければ、疎遠になってしまいそうです」
そう。ジークフリードとは数少ない友人として気兼ねなく喋れるようになっているのだ。ユルゲンもジークフリードもあまり喋る口ではないが、物腰穏やかだから落ち着いて会話することができる。
でもまだ二十歳そこそこだというのに、二人とも落ち着き過ぎではなかろうか。俺が前世の同じころは大学生で友人と馬鹿をやったりしたものだけれど。でもまあ、貴族や騎士としてなら、彼らの落ち着き払っている姿は当然と言える。小さい子供でも貴族たれ、騎士たれと言われて、振舞えるようにと努力しているから、俺の心の中で留めておくべきことだ。俺は控えていた侍女の方にお茶を頼んで、座ろうかと声を掛ける。
「久しぶり、じゃないけれど……どうしたんだジークフリード。改まって俺たちに話があるなんて」
付き合いが長くなって、改まって会う約束など取り付けないだろう。ナイさまが毎年夏に南の島へと誘ってくれるから、最低でも年に一度は顔を合わせる。その前にナイさま関連で会う機会が多々あるから、疎遠になることなんてなさそうだけれど。だというのに、こうしてわざわざ会う機会をジークフリードが設けようとは。本当になんだろうと俺が首を傾げると、ジークフリードが片眉を上げた。
「手紙に書いた通り、聞きたいことがある」
「僕たちに聞きたいことですか。答えられると良いのですが」
ジークフリードが真面目な顔で告げ、ユルゲンは少し心配そうに答えている。そうしていれば侍女の方がワゴンにお茶を乗せて戻ってきた。お茶が各々の前に出されるまで、本題には入らず神さま関連の話をする。
「とりあえず、創星神さま方が無事にお戻りになられて良かったよ」
俺は椅子の背凭れに体重を預ける。本当に侯爵領領主邸では怒涛の一週間だった。調理部の皆さまと神さま方に食べて頂けるかやきもきしていたし、不味いと怒りを買わないか心配していたのだ。
結局のところ、ほとんどの創星神さまが料理の味を認めてくれた上に、俺に声を掛けてくださった方までいた。俺が調理部の皆さまにとある創星神さまが『美味かった』と仰ってくれたと告げれば、調理場は安堵に包まれ、腰を抜かす人までいたのだから。
もう、一生、神さま方に料理を振舞うことはないと言いたいが、ナイさまが関わっている限り逃れられないことかもしれない。でもまあ、作ることは楽しいし、褒められて悪い気はしない。
聖王国の顔に泥を塗っているけれど、フィーネさまを俺が迎え入れるためには必要なことだろう。というか今回のことで俺がフィーネさまに婿入りしても良いわけだが……聖王国の一部の人たちが喜びそう――悪い方向で――だから、やはりフィーネさまをアルバトロス王国に迎え入れたい。俺の我が儘だと分かっているからフィーネさまに要相談であるが、アルバトロスの陛下やボルドー男爵閣下から『聖王国の大聖女フィーネに婿入りしろ』と命を受けない限りは、そのつもりだ。
領地も持っていることだしと俺が考えていると、横に腰を下ろしているユルゲンも声を上げる。
「エーリヒは創星神さまと言葉を交わしておりましたからねえ。本当に凄いことです」
「俺よりナイさまの方が凄いよ。たしか古株の創星神さまから通信用の神石を授かっただろ?」
小さく笑ってユルゲンが肩を竦めるのだが、俺より凄い人はいくらでもいる。というかナイさまは七色に光るスライムのような創星神さまから通信できる石を賜ったそうである。
話を聞くに、ナイさまの魔力と創星神さまの力を使って創造したものだとか。それはアーティファクトと呼ばれるものではと突っ込みたかったけれど、事の大きさに誰も突っ込む気がないようであった。そしてアルバトロスの陛下が『また、侯爵が……!』とアストライアー侯爵領から戻ってきた俺に愚痴っている。ナイさまはアルバトロス王国を裏切る気もなければ、離れる気もないようだ。
だから陛下には耐えて頂くしかない。少し申し訳ないが、一国の王がナイさまほど功績を挙げ続ける人を手放したとあれば『愚王』と呼ばれてしまう。難儀な陛下だなと俺が小さく肩を竦めると、ジークフリードも肩を竦めた。
「使う機会もないし、声が届くこともないそうだ。それとナイはグイーさまと神の島へ赴くことを約束したから、二人にナイから誘いの手紙が届くかもしれない」
「え?」
「はい?」
ジークフリードは最後になにを言ったのだろうか。ナイさまが神さまの島へと赴く約束をグイーさまと交わしたと言ったような。何故、また神さまの島へと赴くことになったのかと問えば、先日の創星神さま方の会合のお礼になにか欲しいものはないのかとグイーさまがナイさまに問うたそうである。
特に望むことはなかったようで、ナイさまはグイーさまとテラさまと世間話をする機会が欲しいと願ったとか。アストライアー侯爵邸に二柱の創星神さまがくるのかと思いきや、神さまの島行きに決定したそうである。今回、ナイさまはお客さんという立場で向かうそうだ。お客として創星神さまに招かれる人間って何者だろうと思うもののナイさまである。きっと深く考えずにグイーさまに告げたに違いない。
「ナイは誰を誘うべきかと悩んでいてな」
「そ、そうなんだ」
「アストライアー侯爵……」
微妙な顔で告げるジークフリードに俺とユルゲンも微妙な表情で返事をすると、湯気の立つ紅茶が目の前に出された。侍女の人には下がるようにと伝えると、しずしずと礼を執って部屋を出て行く。
「で、ジークフリード。本題に入ろうか」
「ナイが寝込んでいた時の話になるんだが……」
俺の声にジークフリードが背を伸ばす。どうやらナイさまが風邪で寝ていた時のことのようだが、プライベートなところを俺たちが聞いてしまって良いのだろうか。とはいえジークフリードの個人的な相談である。不味い話であれば墓まで持って行こうと決めて、俺とユルゲンも背を正す。少し間が空いたから俺は紅茶に手を伸ばして少し口に含んだ。
「えっち、とは一体どういう意味を指すのか知りたいんだ」
「ぶふっ!」
口に含んでいた紅茶を俺は吹き出してしまう。するとユルゲンがズボンのポケットを探って、ハンカチを差し出してくれた。
「大丈夫ですか、エーリヒ。顔が赤いですよ?」
ユルゲンに俺は自分のハンカチを取り出して、持っているから大丈夫だと手でジェスチャーを送れば、片眉を上げながら手を引っ込めてくれる。ジークフリードは俺を心配そうに見ながらも、先程口にした言葉の意味を考えているようだ。俺は何度か咳払いをして呼吸を整えれば、ジークフリードが困ったような顔になって俺に問う。
「不味い言葉なのか?」
「不味い言葉じゃないけれど、おいそれと人前で言わない方が良いと思う。勘の良い人は気付きそうだしね」
俺たちの前だけなら良いのだがと、ジークフリードにその言葉を聞くに至った前後の状況を聞かせて欲しいとお願いする。するとジークフリードが訥々と語り始めた。
ナイさまが寝込んだ日のとある夜。看病を続けていたジークリンデさんが所用でナイさまの部屋を出て行ったそうである。その時、ふいにナイさまが目を覚まして、朧気な瞳をジークフリードに向けて語り始めたそうな。ずっと側にいてくれたこと、寝込んだ時に看病してくれていることがナイさまにとって凄く有難いものだったと。
『さっきジークが抱きしめてくれた時、安心できた』
と。そして、ずっと先延ばしにして告白の答えを出さずにいたけれど、ジークフリードとであれば『えっち』をしても良いと……いや、うん。ナイさま……ナイさまらしいけれど。もう少し手心というか、ジークフリードの男心を慮って頂いても良かったのでは。風邪を引いていたからナイさまの気が回らなかったようである。しかし例の言葉の意味より前に。
「ジークフリード……ナイさまを抱きしめたのか!?」
まさかジークフリードがナイさまを抱きしめる機会があったなんて驚きである。俺は正面に腰を下ろす彼を見れば、片眉を微かに上げた。
「リンも一緒だったけどな」
微妙な表情になっているジークフリードであるが、抱きしめたことでナイさまの言葉を引き出したのであれば上等ではないだろうか。でもまあ、ナイさまはもう少し乙女心とか見せて欲しかったとは思う。思うけれど。
「随分と大きな一歩を……!」
ユルゲンがうんうんと頷きながら、温かい視線をジークフリードに向けている。揶揄うものではなく、友人として本気で喜んでいるものだ。とはいえジークフリードは例の言葉の意味が気になるようで、俺に真剣な眼差しを向けた。
「すまん、エーリヒ。その、どういう意味なんだ? なんとなく察しはつくが、俺の解釈が間違っていれば大事になるかもしれない。だから意味を知っていれば教えて欲しい」
ジークフリードであれば伝えても問題ないか。ナイさまも熱を出していたから、前世の言葉を使ってしまったようだから。
「閨を共にして良いということ……えっと、まあ、直截に言えば行為に及んで良いってこと」
俺の言葉を聞いたジークフリードは一瞬呆けた顔を浮かべたのちに顔を赤く染めるのだった。その特徴的な赤い髪色と同じように。




