1525:あさっての方向。
――ナスカの地上絵もどき作戦を終えた次の日。
かまくらはそのまま宿代わりとなり一夜を過ごした。着込んでいるためなのか、寒さをそんなに感じなかったので面白い。俺とユルゲンは一緒のかまくらで寝たのだが、ナイさまは果たしてどうしたのだろう。
朝の支度を終えてかまくらから出ると、陽の光を反射した雪原がキラキラと光っている。アルバトロス王国で過ごしていたら、テレビの映像でしかみれないような光景は見られなかっただろうと目に焼き付ける。フィーネさまに向けた手紙で、俺が今見ている景色を寸分たがわず説明できるだろうか。できないなと小さく頭を振って前を向くと、ナイさまたちアストライアー侯爵家一行が既に外に出ている。
なにをしているのだろうと俺はユルゲンと視線を合わせた。
「侯爵閣下はお元気ですねえ、エーリヒ」
「一先ず、挨拶しに行こう」
ユルゲンの声に俺は肩を竦める。そういえばナイさまが落ち込むところは滅多にないし、疲れたと口にすることはあっても倒れることはない。無理していないか心配であるが、雪原にしゃがみ込んで雪玉を作っているナイさまは今日も元気一杯のようだ。彼女の少し前では毛玉ちゃんたち三頭が雪原に腰を降ろして、尻尾をぶんぶん振っている。そうしてナイさまが立ち上がり、作った雪玉を握り込んで野球のピッチャーのようなフォームを取った。
「椿ちゃん、楓ちゃん、桜ちゃん、行くよー!」
ナイさまの声に毛玉ちゃんたちが雪の上から立ち上がり、じっと彼女の手元を見つめる。ナイさまが雪玉を振りかぶれば、放物線を描きながら空を舞った。俺とユルゲンの視線はナイさまの放った雪玉を追う。
「あ」
「あ……」
ナイさまが放った雪玉は一緒に外に出ていたヴァルトルーデさまの頭の上に落ちた。雪玉が自分たちの方にこなかったと毛玉ちゃんたちが『にゃんで!』『こっち!!』『もういっきゃい!!』と抗議の声を上げている。たしかにヴァルトルーデさまは毛玉ちゃんたちの近くにいたけれど……本当に雪玉が明後日の方向へと飛んでいったものだ。
ナイさまの側に控えているジークフリードは『ナイだからな』と言いたげに、ジークリンデさんは『いつものこと。ナイらしい』と表情に出ている。
ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢は『なにをしているんだ』『女神さまの頭上に雪玉を落とすなどと。ナイくらいでしょうね』と呆れている。ナイさまが毛玉ちゃんたちと遊んでいるところを見届けていた方たちからは苦笑いが漏れていた。そしてヴァルトルーデさまが西の女神さまだと知っている方は顔を青く染めている。ヴァルトルーデさまの隣に立つジルケさまは愉快そうな顔になっていた。
雪玉の直撃を受けたヴァルトルーデさまは佇んだままで、ナイさまが『あれ?』と不思議そうな顔になっているものの、黙っているのは不味いと判断したようである。
「ヴァルトルーデさま、すみません!」
申し訳ないと声を上げるナイさまにヴァルトルーデさまは呆れた視線を向けていた。はあと息を吐いた女神さまはナイさまに向けて言葉を紡ぐ。
「ナイ。どうして毛玉たちに投げたはずのものが私の頭の上に落ちるの?」
「どんくせーんだろ、ナイは」
むうと唸るヴァルトルーデさまであるが本気で怒ってはいないようだ。ジルケさまに至っては姉神さまになんてことを! とナイさまを責めるつもりはないようである。
ジルケさまの声にナイさまはなにも言わないまま、握り直した雪玉をもう一度投げた。今度は毛玉ちゃんたちの方へとキチンと飛んでいくのだが、運動神経の良い毛玉ちゃんたちには飛距離が物足りなかったようである。ジークフリードとジークリンデさんに毛玉ちゃんたちは雪玉を投げて貰いたいのか、ナイさまが作った雪玉を加えて彼らの下へ行こうとする。
『とけちゃ!』
『くずれちゃ!』
『にゃんで!?』
毛玉ちゃんたち三頭が目を丸く見開きながら驚いた声を上げた。どうやら雪玉が柔らかくて壊れやすいものと知らずに食んだようである。立っていた尻尾が下に下がって、崩れて地面に落ちた雪玉に顔を近付けていた。渋い顔を浮かべる毛玉ちゃんたちにナイさまは小さく笑って、ヴァルトルーデさまとジルケさまを見る。
「ヴァルトルーデさま、ジルケさま。私は投げるのが下手糞なので……できれば離れて貰うか、毛玉ちゃんたちに雪玉を投げてあげてください」
女神さまにこうしてお願いできるのはナイさまくらいだと、俺とユルゲンは雪原を歩きながら感心していた。俺だったらあんな自然に言葉を紡げない。ナイさまは女神さま方と屋敷で暮らしているから慣れたのかもしれないが、俺が同じ状況に置かれて同じことができるかどうかと言われれば微妙だ。
「雪玉、作って。毛玉たちに投げる」
「姉御、遠くに飛ばしてやれ。ナイが投げたんじゃあ満足できてねえからな」
アストライアー侯爵家一行の声がはっきり俺の耳に届き始める。ヴァルトルーデさまはさっそく雪を握りしめ玉を作っているのだが、ナイさまが作ったものより歪になっていた。ジルケさまは見守りに徹するようで姉神さまを見下ろしている。ナイさまは不思議そうな顔を浮かべてジルケさまの方を見た。
「ジルケさまは投げないので?」
「あたしはいい。姉御に任せる」
ナイさまとジルケさまはなんとなく似ている。もしかしてジルケさまはノーコントロールな方なのであろうか……いや、女神さまに対して失礼なことを考えてはいけないと頭を振って、俺とユルゲンは歩みを止める。
「おはようございます。ナイさま」
「閣下、おはようございます」
俺たちの声にナイさまが身体をこちらに向けた。おそらく俺たちがアストライアー侯爵家一行に近づいていたことは分かっていただろう。ナイさまは俺とユルゲンを見て小さく笑った。
「ユルゲンさま、エーリヒさま、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
そう告げたナイさまがジークフリードの方へと顔を向けた。どうやら彼に俺たちと挨拶すればと言いたいらしい。理解したジークフリードが半歩前に出る。
「おはよう。エーリヒ、ユルゲン。疲れてないか?」
「おはよう、ジークフリード。大丈夫。ちょっと環境に慣れてきたかも」
「ジークフリード、おはようございます。僕は北に留学していた時期があるので。お気遣い感謝します」
ジークフリードが声を上げ、俺たちも挨拶を返す。ジークリンデさんは俺たちに小さく頭を下げるだけに留める。ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢もジークリンデさんと同じだ。挨拶を交わしていたからか、雪玉を作っていたヴァルトルーデさまとジルケさまが俺たちに気付いたようだ。
「おはよう、エーリヒ、ユルゲン」
「おはようさん。お前ら、仲良いな」
ヴァルトルーデさまとジルケさまは俺たちの名前をきちんと覚えてくれている。ヴァルトルーデさまは関わった者の名をきちんと覚えているようだ。ジルケさまは興味がある人や物しか名前を覚える気はないらしい。俺とユルゲンは少し緊張しながら女神さまと向き合って、失礼のないように背を伸ばす。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
俺たちが声を上げると二柱さまが『ん』『おう』と返事をくれる。これだけのことでも緊張するのに、本当にナイさまときたら。まあ、それがナイさまの良いところなのだろうなと笑い、朝ご飯を食べようとなるのだった。
◇
婚約者から逃れて随分と時間が経っていた。
二つの大きな衛星の近くに我が船団を泊め眼下に広がる惑星に住む者たちの反応を伺っているのだが、まだなにも行動を起こしていない。文明が発展していないようだから仕方ない。
そう、自身の心を諭すように呟き、船長室の椅子に深く腰を下ろした。我が婚約者は今頃どうしているのだろうか。きっと私が逃げると思いもしなかっただろう。
泣いているのか、喚いているのか、怒っているのか分からないが、私は彼女の下から逃げられたことが嬉しくて仕方ない。あとは上手く眼下に広がる惑星の者に保護して貰えれば良いのだが。あとは惑星の者たちと同化して生きていければそれで良い。私に付き合って貰った部下たちには申し訳ないことをしているが、婚約者とだけは添い遂げるのは無理だ。
ふうとまた私が溜息を吐けば、入室の許可を求める人工音声が流れた。私が操作して部屋の鍵を開けれると、空気の抜けるような音が鳴り部下が慌てた様子で机の前に立つ。
「殿下! 雪の大地に我々が描かれていると報告が!」
部下が紡いだ言葉は私が今一番欲しいものだった。私は背凭れに預けていた背を起こして、机に前のめりの体勢を取る。
「なんと!? 映像を寄越してくれ!」
私の命に『は!』と答えた部下はすぐさま眼下に広がる惑星のとある地域を映し出す。空中に浮かぶ画面の中には、真っ白な世界が広がっており、そこには船団の背後にある二つの惑星が描かれている。よく目を凝らしてみれば私の船団も描かれていた。更には船団が惑星へと降りる絵も描かれており、地上の者たちが私たちになにかを訴えようとしている。その絵に意味するところはなにか。
彼らでは私たちの船団に打ち勝てはしない。
だが私の船団では母星にいる婚約者が指揮権を持つ船団に勝てない。だから、今直ぐ私の船団を捨ててしまいたい気持ちがあるものの、眼前に広がる惑星の地上に降りたち、保護を求めるまでは放棄はできないだろう。保護してくれるなら船団を引き渡しても良いし、母星の文明知識を売っても構わない。
「本当に描かれている! 発光信号を送ろう! 意味は通じないだろうが、私たちが地上の絵を見たという合図にはなろう!!」
「よろしいのですか、殿下? 相手が我々を攻撃してくる可能性もありますよ?」
私が嬉しくなって動こうと命じれば、部下が怪訝な顔になる。たしかに攻撃をしてくる可能性もあるが、婚約者の怒気に比べればなんてこともない。
「そうなった時はそうなった時だ。防御壁を展開してどうにかできよう」
「……承知致しました」
私の声に少し不満そうに部下が答えるが、心配しすぎではなかろうか。行動に起こさねばなにも得られないのだから。私は地上の様子を少しでも知りたいと、目の前の部下に口を開いた。
「よし、頼む。あと地上をもっと拡大して映せるか?」
部下は私に素直に従って、地上の拡大映像を映してくれる。地上に描かれた絵の側には生き物がいてちょこまかと動いている。私たちと同じ二足歩行をする生き物が四足歩行の生き物に白い丸いなにかを投げている。
「下手な投げ方だな」
二足歩行をしている者が四足歩行の生き物に投げた白くて丸いものは遠くへ飛ばない上に、凄い方向へと向かっていった。私が呆れていると、部下も呆れているが微笑ましそうな顔で呟いた。
「まだ若い個体のようですから、致し方ないのでは?」
それなら仕方ないのだろうか。しかしいくら若い個体だと言っても、ああも妙な場所へ飛ばせるのか疑問である。他の二足歩行の者が同じ物を投げると、真っ直ぐ飛んでいるというのに。変な生き物だと小さく息を吐いた私は、発光信号を送ると言い残した部下の後ろ姿を部屋で見送るのだった。




