1522:すぽん。
俺、エーリヒ・ベナンターはアルバトロスの陛下から頼み事をされている。フィーネさまと別れて二日が経ち、彼女の顔を見たくなる気持ちを抑えながら、外務部の執務室にある自席でふうと息を吐き、すうと長く息を吸い込んだ。
「やるだけ、やってみないとな」
陛下から頼まれたことは、地球における災害時の支援方法を教えて欲しいというものだ。一社会人でしかない俺が災害時の支援方法や救助方法なんて限りなく外側しか分からないと伝えたものの、その外側だけでも十分ということで、少し纏めることになった。
どこまで記すべきか悩ましいところだが、最近、星を巻き込む出来事が多くおこっているから、世界規模の話をしておいた方がよさそうである。国際連合の話や、各国で災害が起これば余力のある国が支援に向かうこととか、日本での地震速報の話なども入れ込んでしまっても良いのかもしれない。
本当にガワだけで、俺が知っていることしか記せない。あと組織が大きくなれば、確実に腐敗していくことも伝えておかなければ。俺がうーんうーんと唸っていれば、隣にいるユルゲンが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「?」
「エーリヒは随分、アルバトロス王国の上層部の方に気に入られていますねえ」
俺が首を傾げるとユルゲンがふふと笑いながら目を細めた。たしかにボルドー男爵閣下だけではなく、陛下とまで直接お会いできる身となってしまっている。しかもお酒を酌み交わすことになろうとは。本当に数年前までただの伯爵家の三男坊であり、学院生であったことが信じられない。
「気に入られている理由が、俺の特殊な生まれだから。いろいろ知っている身ではあるけれど……上手く事が運ぶかどうかは、全く分からないし、賭けみたいなものだよ」
ナイさまのおこぼれを貰っているだけだし、転生者というアドバンテージがあるから俺はみんなに頼られているだけである。鼻を高くして自慢することではないし、俺が齎した知識が世界に悪影響を起こすこともあるだろう。この辺りを随分と気を付けなければならないが、アルバトロス王国上層部の皆さまが判断してくれるはず。だからこそ、俺は地球の知識を伝えることができるわけだけれど。
「先程、エーリヒが口にした通り、やるだけ、やってみないと分かりませんよ。もしかすれば、エーリヒはアストライアー侯爵閣下を超える存在になるやもしれません」
「ないない! ないから! 俺がナイさまに敵うわけなんて、ないよ」
とんでもない発言を俺が笑い飛ばせば、ユルゲンが『そうですかねえ? まあ届かなくともソレに近しい位置までには行きそうですけれどね』と小さく笑う。
「さて。エーリヒの補助を務めるようにと命じられていますから、なにか手伝えることがあれば遠慮なく僕に申し出てください」
「ん。ありがと、助かるよ。他にもやらなきゃいけないことがあるし、しばらくは忙しいかな?」
ユルゲンが仕事をしようと話題を変えた。俺も真面目に仕事に取り掛かろうと机に向かえば、ユルゲンが肩を竦める。
「いつものことですねえ」
「古株の人たちは大変そうだ」
俺たちは外務部に入ったときには既に仕事量が多かったようで、その環境に慣れてしまった。ただ外務部に勤める古株の方たちは、今が忙し過ぎると時折愚痴っている。本当に極一部の方だし、外務卿であるシャッテン卿がよく外務部の中を見てくれていた。案外、悪い場所ではないのだが、慣れない方には辛いようである。まあ、古株の方たちの不満は置いて。
陛下に進言した双子星の物体との交信対策だが、ナスカの地上絵もどきと光の信号を提案しておいたものの、亜人連合国のエルフの方や魔術師団から提案があったそうである。俺の意見より、彼らの方が先に出ていたそうだが、いろいろと指揮を執って欲しいと陛下から仰せつかっている。ボルドー男爵閣下にも『頼む』と一声掛けて頂いていた。
ナスカの地上絵もどきは、北大陸のミズガルズ神聖大帝国の雪原に描くことに決まった。そしてコレが駄目なら魔術師団の方たちによる発光信号を送ってみるとか。
本当にこれから忙しくなると、俺は肩を竦めて机の紙に文字を書き込むのだった。
◇
西大陸にある各国の陛下方やアガレス帝国に南大陸の国々の陛下や共和国とミズガルズ神聖大帝国の方たちが帰路にき一週間ほど経っている。ヤーバン王は私の屋敷に留まって、ジャドさんたちに囲まれながらお産に挑むと張り切っていたのだが……。
先程、玉のような子がすぽーんと生まれ、私がへその緒の処置やら湯浴みを済ませたところだ。流石にヤーバン王、もといアリーさまも疲れたようだが、元気なお子が誕生して凄く嬉しそうである。先程初乳を済ませ、赤子を抱いたままのアリーさまが『猿みたいだな』と神妙な顔になっていた。そんな彼女を私と産婆さんは見守りながら、手に付いた汚れを洗い流している。
なんとなくまた、アリーさまの方へ視線をやれば、おくるみに包まれた赤子が眉間に皺を寄せもぞもぞ動いている。アリーさまは良く分からない行動だなと笑っていれば、腕に違和感を覚えたようだ。アリーさまは顔を傾げて、赤子のおくるみを剥いで目を丸く見開いた。
「ナイ! 凄い色の便だぞ!?」
アリーさまの視線の先にはなんとも言えない色と柔らかさの排泄物を捉えている。アリーさまは始めて見るだろうから、驚くのは仕方ないと私と産婆さんは苦笑いを浮かべた。
「問題ありませんよ。排泄しないと病気の可能性があるので、出て良かったです」
「む、そうか。安心した。ジャドさまたちに囲まれての出産は無理だったが、祝福して貰えた。凄く有難いことだ!」
私の言葉にアリーさまが息を吐いた。彼女が安堵の息を吐くのは珍しいけれど、自身が生んだ子が心配なのは母親の性なのだろう。
「産気づいてから生まれるまで、凄く早かったですからね」
ジャドさんたちが過ごしている厩まで移動する暇もなく、本当にすぽんと赤子が誕生した。ジャドさんたちの代わりに、グリフォンさんたちの卵さん四個が彼女を見守っていたのだから、代わりとして満足して欲しいものである。といっても、卵さま四個に見守って欲しいと言い出したのはアリーさまなのだから、ちゃっかりしているというか。
「しかし、本当にアルバトロス王国で生んで良かったのですか?」
今更な質問だけれど、私はアリーさまに問わずにはいられない。それに旦那さまも気が気ではないのではなかろうか。一応、生まれるからと言ってヤーバン王国に飛竜便を向かわせ、関係者をアルバトロス王国にこられるように――もちろんアルバトロス上層部には許可を取っている――したけれど。私は排便の処理し、産婆さんが赤子のお尻を綺麗にしてくれる。というか赤子に蒙古斑がないのは不思議な光景だと目を細めると、アリーさまがニッと笑う。
「かまわないさ。どこで生んでも私の子であるのは間違いないし立会人もいる。女神さまもいらっしゃるのだ。誰も文句は言えまいよ」
ヴァルトルーデさまもお産に興味があるということで立ち会っていたのだが、妊婦さん独特の声を聞きながらヴァルトルーデさまは部屋の隅で『大丈夫なの?』『え、死なない?』と恐れ戦いていた。
本当に貴女は女神さまかと問い質したくなるものの、西の女神さまであるのは確実で。今は静かになって落ち着きを取り戻し、ヴァルトルーデさまはアリーさまの側に立った。恐々とヴァルトルーデさまがアリーさまの抱える赤子の顔を覗き込んだ。初乳を済ませたためか、赤子は今、すやすやと寝入っている。
「ユーリより小さい……」
ぽつりと小声でヴァルトルーデさまが呟く。ユーリは生まれて時間が経っていたけれど、ヴァルトルーデさま的には幼い子供だったのだろう。今、女神さまの目の前にはあの時のユーリより更に小さい赤子がいるのだから当然の言葉である。赤子に触れようか触れまいか悩んでいるヴァルトルーデさまにアリーさまが小さく笑った。
「たしかに片手で捻り潰せそうですものな。本当に儚い存在です」
「アリーさま、物騒ですよ」
「物の例えだ、ナイ。我が子を潰す親がどこにいる」
アリーさまが私に視線を向けて肩を竦めた。たしかに我が子を捻り潰す親はいないかもしれないが、手にかける親はいるだろう。望んで生んだ子ではなかったり、育児ノイローゼに陥って前後不覚になって、という話はごまんとある。
「……そうですね」
アリーさまであれば乳母の方がいるので手が掛からないかもしれないが……あーうん。めでたい日に物騒なことを考えるのは止めようと、無理矢理に言葉を紡いだ。一瞬、アリーさまが片眉を上げるけれど、なにかを口にする前にヴァルトルーデさまが『少しだけ、触っても大丈夫?』と問いかける。
女神さまに触れられた赤子なんて稀有だろう。ヴァルトルーデさまの反応を見ていれば初めての可能性さえあった。アリーさまは『構いません。是非!』と抱いている赤子をヴァルトルーデさまの方へと寄せる。ヴァルトルーデさまが右手をゆっくりと差し伸べて、中指の腹が赤子の頬に触れた。腫物を扱うような、凄くゆっくりとした手つきで。
「あたたかい……ふふ」
目を細めたヴァルトルーデさまの表情は今までで一番柔らかいものだ。アリーさまが『抱いて頂けますか?』とヴァルトルーデさまに伝えると、怖いからもう少し大きくなってからで良いかと悩ましそうな顔で言葉にする。丁度その時、部屋の窓を叩く音が聞こえた。硬いなにかで叩いたような音の主はおばあで、窓から顔を覗かせている。私はおばあが顔を出した窓まで移動して扉を開いた。
「おばあ」
『無事に生まれたの? と問うていますねえ』
私が顔を出せば、おばあがこてんと首を傾げる。彼女の後ろにはジャドさんと雌グリフォンさん四頭も一緒にきていて、おばあについてきてくれたようだ。
「うん。でも、今の位置だと赤ちゃん見えないね」
赤子をはっきりと捉えるには少し距離がある。大きい貴族のお屋敷の問題点だよねえと私が嘆いていると、ジャドさんがほっと息を吐いた。
『おばあは、母体と子が無事であることを確認したかっただけですから」
「おばあさま、ジャドさま! そちらに向かいたいのですが、寝台から降りるなとナイに厳命されていましてな! 私が生んだ赤子を乗せて欲しいのですが、今少し先の話となりそうです!」
ジャドさまの姿を見たアリーさまは凄く嬉しそうな顔で声を張り上げている。私の命令と言われているが、本当は産婆さんの命である。そして祝福の言葉は彼女が産気づいた時に贈られたものなので、再度祝って欲しいようだった。とはいえ、あのアリーさまが無茶をしないようにしているのだから疲れているのだろう。
『私たちは逃げませんし、いつでも赤子を背に乗せます。今はゆっくり休んでください』
ジャドさんの言葉にアリーさまが『感謝致します!』と告げれば、ジャドさんたちが『赤子をいつか見せてくださいね』と言い残して窓から離れていった。とんでもない一日だったけれど、事なきを得て良かったと私は安堵する。さて、二日後にはミズガルズ神聖大帝国入りだと、窓の外を見つめながら。




