第7話〜仕事終わりの一杯〜
ベランダから見下ろす街並みに、変化が訪れていた。
「青い…」
地球では夕焼けと言えば赤やオレンジに決まっていたが、この星では太陽が地平線に近づくにつれ、その周囲がじわじわと淡い青色に輝き始めたのだ。
赤茶けた大気と、太陽の周辺にだけ灯る冷ややかな青。そのコントラストはどこか寂しげで、けれど息を呑むほど幻想的だった。
同時に、風が吹くたびにチリチリとボディの表面を削るような、微かな摩擦音が耳に届く。
「感傷に浸るのもいいが、夜の砂は日中よりも鋭いよ。さっさと降りておいで」
下からダチェットさんの声が響く。青い残光がスラムの家々の影を長く引き伸ばし、世界の輪郭を塗り替えていく。
しばらくこの景色を見ていたい想いに駆られながらも、創造主の言うことは絶対だ。一段ずつ、重い足取りで階段を下りた。
「とりあえず、食事に行こう。この近くに僕の行きつけの“ダイナー”があるんだ」
「え」
思わず間抜けな声が出てしまった。
ダイナーって、日本語では食堂のことだよな。機械なのに食堂ってどういうことだろう。
電気だけあれば生きていくのに十分でしょ、と俺は思ったのだが、この世界においてはその答えは当てはまらないとすぐに気づく。
電気とは人間の神経のように、人間の脳にあたるCPU──この名前はこの世界においても同じらしい──から、様々な命令を全身に行き渡らせる為の信号であって、動力ではない。
オートマンにとっての食事とは身体を動かすための、いわばオイル補給。そして食堂とは、元の世界で言うところのガソリンスタンドのような場所である。つまり、この身体に流れている機能を維持するためのエネルギーを摂取しに行く場所、というわけだ。
「何、あんな話をしたから心配なのかい?でも、大丈夫。危ない場所に近づかなければ大丈夫さ。パーツ泥棒でも、君みたいなありふれたパーツを狙うような輩はそういないだろうし、場合によっては僕も武器を使うことになる」
俺が驚いた理由を勘違いしたのか、ダチェットさんは懐から、銃を取り出した。
「電気で失神されるやつだから、殺傷力はないけどね。転ばぬ先の杖じゃないけど、これを見せれば大抵の奴はどうにかなるものさ」
「ちなみにですが、それでも怯まないような奴らだったらどうするんですか?」
「…さあ?その時はその時さ。といっても、ここいらでそんな輩がいるとは思わないけどね」
それが何かのフラグにならないことを祈りつつ、俺は店の勝手口から食堂へと向かうダチェットさんの後に続いていった。
この世界が紅色なのは、年がら年中巻き起こる砂嵐のせいで地表の砂が空に舞い上がり、その砂塵の色が空気に色をつけるかららしい。だが、夜ともなると世界の色は青黒へと染まる。
家々からは明かりが…いや、ない家もあるが、路上にはたむろする連中や、露天でよく分からない物を売っている奴、不気味な着色をされた飲み物を出している店など、昼にも負けない喧騒を見せていた。
「あれは、違法パーツの店。あれは自家製オイルの店。人がいる場所以外から買わないほうがいいよ。データを全て飛ばされたり、飲んだら身体が壊れるものもあるよ」
ダチェットさんの解説に内心ヒヤヒヤしながら、多脚の後ろを隠れるように歩く。
治安の悪い街には人間の頃には行ったことはなかったが、有機物、無機物の違いはあれど、彼らの持つギラついた瞳にはこちらの恐怖心まで見透かされているようで恐ろしかった。
昔見たスラム街の画像では薬物や注射器とかが無造作に捨ててあったと思うが、この通りには、そんな人間基準で思わず顔を顰めてしまうような物はなかった。
なのだが…
「dfghjdol:;lkj…」
道端に倒れ伏して、頭から火花を飛ばしているそのオートマンには、思わず目が釘付けになってしまった。
バチバチと電気がスパークし、煙を噴き上げながら小刻みに震えていた。錆だらけの身体。だが、ボルトはいくつも抜け落ち、手足の一部は無く、ただそこで震えるようにして座り、譫言のように無意味な電子音を発している。
「ダチェットさん…」
「ダメ。彼はもう壊れかけている。おそらく、何かの違法データをアップロードしたんだろう。さすがの僕でも今は無理だし、僕達に出来ることは何もないよ」
「…わかりました」
ゆっくりと目を背けて前を見る。壊れかけのオートマンがいるのに、通りにいるオートマン達は誰一人そのオートマンを気にかける様子はなかった。まるでそれが当たり前の景色のようで、見えているのにも見えてないフリをしているかのようだ。
「余裕がないと、周囲のことなんかどうでもよくなるんだな…」
「何か言ったかい?」
「あ、いや、別に」
「そうか。さて、ようやく到着だよ。武器を使うことがなくて良かったね。やっぱり杞憂だっただろう?世の中、備えていると問題なく事が終わるものさ」
そう言ったダチェットさんが示す先には「カフェアンドダイナー・マイクブーム」という看板が掲げられた店があった。やや玉切れしかけたネオンサインが良い味を醸し出している。
ドアはウェスタン映画のような蝶番式で、防犯意識皆無の利便性を追求した仕組みだ。それにここだけ、騒ぎ声が外にいても聞こえるほどの賑やかさを見せている。
「ここさ。この星に来てから僕の行きつけでね。オイル屋とかで買ってきても良いけど、ここで飲むと一層美味しいんだ。それに、君に是非飲んでほしい物があってね」
「そうなんですか」
家でご飯を食べるのか、それとも外食するのか。どちらが美味しいとは一概に言えるものではないが、俺は食事をするのにも、シチュエーションは大事だと考えている。
家で食べるステーキよりも、西部のカウボーイよろしく、肩で風を切って入った店でミディアムレアのステーキを食う方が美味い、という事だ。
店の中に入ると、そこは酒場よろしく多くのオートマンでごった返していた。
「キャシーさん。お疲れ様です。今日も繁盛しているね」
と、その時ダチェットさんが通りかかった一人のオートマンに声を掛ける。
そのオートマンは一般的にイメージするような“肝っ玉の女将さん”をロボット化したような、恰幅の良い体格をしており、その体を脚で繋がった二輪の車輪で支え、それで器用に直立していた。
「あら、ダチェットさん来てたの?今日も一杯飲んでいくのね?」
「ああ、そうだよ。新人に、労働終わりの醍醐味という奴を教えてあげたくてね」
「あらまぁ、小さくて気付かなかったわ。坊や。どうしたの?あまり見かけない顔ね。ダチェットさんに攫われてきた?」
そう言って腰を折り、顔を近づけてくるキャシーさん。この良い人だと直感的にわかった。色々と苦労を重ねてきたが故の包容力を感じる。
俺は居住まいを正すと、ゆっくりと頭を下げた。
「初めまして、ゼータと言います。どうぞ、お見知りおきを」
「あら、礼儀正しいのねぇ?ここら辺の獣みたいな連中を相手にしてきたから、ある意味新鮮だわあ」
そう言って周りで飲んでいる連中にサラッと毒を吐くが、楽しんでいる連中は聞いているのか、聞いた上で無視しているのか、相変わらず話に花を咲かせていた。
「うん、つい昨日完成したばかりなんだ。この子にも労働の醍醐味って奴を味合わせないとねって、僕のお勧めの場所に連れてきたのさ」
「成程ね、ダチェットさんが創ったのならこの品の良さも納得だわ。じゃあ、早速だけどポップオイル二杯で良いのね?醍醐味を教えるのも良いけど、ツケ払うの忘れないでよねー」
「ああ、ゴメンゴメン!明日まとまったお金が入るから、そしたら明後日にはお金払うよ!」
「よろしくねえ、ダチェットさん金欠だけど、信用できるからねえ」
キャシーさんの言葉に、ダチェットさんは困ったような顔をすると、そのまま空いていたカウンター席に陣取った。
ダチェットさんは下半身が大きいので椅子には座れておらず、俺は自身の背丈よりも椅子が大きいので、座る前に登る手順が必要だったが…。助けてくれる気配がないので、必死に登る。
なんとか登頂を終えると、その席は店の中を見回すにはちょうど良い場所だと思った。石を組み合わせたタイル張りの床は清掃をしていないのか足跡で薄汚れているが、ここにいる連中はそんなこと気にしていない様子だ。
友達か、仕事仲間か、家族なのか判別はつかないが、皆楽しそうに飲み物や料理に舌鼓を打っている。スペースの一角では、身体の一部が楽器になったオートマン達が陽気な音楽を奏でており、それを聞いて歌っている一団もいる。
部屋の端の方ではギャンブルでもやっているのか、モニターに流れる映像を見て、一喜一憂している連中もいた。
総じて異国のバーのような、活気のある雰囲気だった。
悪くない。
「ゼータ」
周囲の光景を眺めていた俺は、自身を呼ぶ声にハッとした。
「あぁ、すいませんダチェットさん。初めて見る光景だからいろいろ気になっちゃって…」
そう言い訳すると、ダチェットさんはへっへっと笑った。
「何、君は組みあがったばかりだからな。知識としてあるのと、実際に見て触れるのとでは記憶チップに残るものも違うだろう。だが良いかい?このマイクブームに来たのなら、座って眺めているだけじゃ駄目なんだ。ポップオイル味わうことがこの店を楽しむ最低限のマナーだ」
そうすると、音もなく巨木のような腕が伸びてきた。
俺は思わず腕の主を確かめようと顔を上げると、そこには調理用の寸胴鍋のような巨体に手足がついたような大きなオートマンがいた。
人間のように口髭と眉毛を生やしている…いや、これは埋め込んでいるのだろうか。そのせいで、目も口も見えない。というか喋るときに邪魔になるだろう。
「フゥンッ」
男は一度だけ、激しい鼻息を漏らすと、目の前に黒々とした液体が満たされたコップを置いた。どうやら先程注文したポップオイルを持ってきてくれたらしい。
「ム」
「あぁ、ありがとうマスターマイク。今日も惚れ惚れするような注ぎっぷりだね」
「ン」
「そう言わないでよ。マスタのところのこれはお金がなくても飲みに来たくなる良さなんだから、あまり新入りをイジめないでおくれ」
俺には単語ですらない、呼吸のみしか口にしてないようだったが、ダチェットさんとの間ではちゃんとコミュニケーションは成立しているようだ。
「最初は何を言っているのか分からないけど、次第に分かるようになってくるよ」
「そ、そうなんですか」
そこは追々勉強させて頂くとしよう。俺は、マスターが厨房に引っ込んでいく姿を見送りながら、会話の秘密を知りたかったが、とりあえず提供されたその何かに集中することにした。
「僕達の仕事は、ポップオイルに終わり、ポップオイルに始まる。特に、この酒場で提供されるポップオイルは、この近くにあるオレンジデザートで取れたばかりのオイルを加工して作った一級品だ。原産地だけでしか飲めない、醍醐味ってやつだよ」
ダチェットさんは、まるで美女を目の前にした時のようなうっとりとした声をしているが、俺はコップに目を落としつつ、その奇妙さに思わず先程のマスターと同じようなうめき声を出しそうになってしまった。
認識では、これははっきり言って“泥”だった。正確に言うのであれば、底から泡が湧き出ている泥。それが、まるでビールのようにガラスのコップに中に並々と注がれている。
昔見た映画で、黒色の液体を飲んだ異星人が、苦しみ悶えながら崩れていったシーンがあったなぁ。まさか、これ飲んだら身体バラバラにならないよね。
「雨上がりの道端にあるヤツ?それとも温泉?」
似たようなものを連想してしまって、余計飲みづらくなってしまった。
周囲を見回すと、他のオートマンの皆さんは俺の手元にあるそれと同じ飲み物を美味しそうに飲み、そして騒いでいる。
人間と違うとはいえ、仲間と語らい、はしゃぎ、騒ぐ。そのような営みは、種族が違っても変わらないらしい。そして、同じ種族が飲んでいるものを俺が飲めない道理はないだろう。俺は改めて黒々とした油に目を落とし、視界を一瞬切る。
「ハプッ」
そして、コップを持ち上げ、中身を一気に煽った。
今の身体には味覚がないので、これがどういう味なのか知ることがないのが幸いか。だが、少なくとも喉越しは良かった。
炭酸を飲んだ時のよう、なプチプチと気泡が弾ける心地よい感覚が喉を刺激する。それが管を通して、エンジンに供給されると、すぐさまエネルギーを変換され、別の機関に広がっていく。
そう、エナジードリンクを初めて飲んだ時のような感じだ。ヤバイ薬とか入っていないよな…。
「コーッ!」
瞬間、身体の関節から物理的に蒸気が噴き出した。身体が爆発したかのような快感だ。実際にしたら困るけど。
全身の管が活性化し、俺は思わず咆哮を上げてしまった。そうしないと収められないくらい、精神と身体が昂ってしまったからだ。
そして、それを見たダチェットさんも、ハハハと笑っていた。
「どうやら分かってしまったようだな、この高揚感を!これを味わってしまったらもう抜け出せないぞ!」
そういうと、ダチェットさんは近くにいた集団に突然声を掛けた。
「なあ、皆聞いてくれ!僕の倅が初ポップオイルを経験してしまった!新たな仲間の門出を祝福してくれないか!」
そういうと、何だ何だとこちらを注目していたオイル飲み達が、揃って「「「オーッ!」」」と先程の俺以上の雄たけびを上げ、お互いのコップを打ち鳴らした。
「ようこそ、俺達の世界へ!」
「やっちまったな。これを味わったら、もうどこにも行けねえぞ?」
「おい、ポップオイル祝いにコイツら一杯ずつ奢ってやってくれ!俺の勘定に入れておいてくれよ!」
「はいよ!ポップオイル二つ!」
俺が何とも言えない顔でダチェットさんを見ると、してやったり、というような顔で肩をすくめていた。何とも姑茶目っ気のあるやり方だ。
あまり褒められたものではないが…だが、こういう所にこの町なりの人情という物が垣間見えた気がする。
「ハハハ、一杯分儲けたね?」
「いや、何も言ってないんですけど…」
その間にも、店長のマイクさんが巨大なタンクのような設備に向かうと、角のようにそそり立つレバーを掴み、それを下へと引っ張る。すると、蛇口の真下に構えていた新しいコップにドボドボとポップオイルが注がれていく。
ポコポコと音を立てる、先程味わったばかりのそれを見ていると、ないはずの胃袋がうなり声をあげそうになる。
また一気飲みをしても良いが、マスターが置いてくれたポップオイルは俺達の前に置かれた。
「俺たちゃボロクズ錆びだらけ♪夢も無ければ寝床もない♪今日も油田で働いて、仕事が終わればポップオイル♪ポップオイルありゃ満足だ♪ああ、我が一生油まみれ泥まみれさ♪」
流しの楽団が歌う。ここら辺ではメジャーな歌なのか、全員が合唱していた。とんでもない街に来たと思っていたが、なんてことはない。食べ、笑い、歌うという点では血の通った生物なんだ。
俺はそんなことを考えながら、追加で提供されたポップオイルを、今度は少しずつ舐めるようにして口に流し込んだ。




