第3話〜モーションスタート〜
ガシャーン!!という派手な音とともに、せっかく積み上げられていた(といっても乱雑だったが)木箱の山に、俺は顔面から突っ込んだ。
視界に火花のようなノイズが走り、遅れて「衝撃」が全身を駆け巡る。痛いというよりは、全身の回路が強制的にリセットされるような不快感だ。
「あー、ちょっと、ちょっと! どうした大丈夫か君ィ!」
ダチェットさんの六本脚が、慌ただしくこちらへ向かってくる。心配そうに声をかける彼を見上げながら、俺はなぜこんなことになってしまったのかを考えていた。
人工物で構成された身体は、思った以上に自身のコントロールが効かない。人間だったころ以上に力を発揮できるせいか、それとも、人間と違い繊細な出力調整や加減ができないせいか、身体が意識とは異なる反応を見せている。制御が追いつかず、感覚にずれが生じているのだろう。
「あーそうだね。君は妙に落ち着いているから忘れかけていたが、身体を動かすってのは、初めてだと存外難しいもんなんだ。身体の可動部の動き、重心の動かし方、その全てを意識しないといけない」
「あ、そうですね。忘れていました」
「何を忘れたんだい?」
「いえ、こっちの話です」
ダチェットさんの言葉を適当にはぐらかしながら、俺は自身が人間だった頃、どう歩いていたかを思い起こす。足を上げ、つま先か踵から着地させ、軸足を踏み込み、再び同じ動きを繰り返す……そんな風に歩いていたはずだ。
しかし、歩くためにはそれだけでは足りない。この身体の関節はどれくらい可動できるのか、姿勢の制御やバランス、体重移動も視野に入れなければならない。なめらかに動ける人間と、ぎこちない動きしかできないロボットの差はそこにあるはずだ。
人間の時に当たり前にできていたことを、今度は一つ一つ意識しながら行わなくてはならない。あまりの面倒くささにため息を吐きそうになるが、今ここでやらなくては。
俺はゆっくりと身体を起こし、そのまま構えた。「足を上げ……いや、残った方の意識もしないとダメだな」独り言を呟きながら“歩き方”を一人思案する。
全体重を支え、ギシリと軋むおニューの足に一抹の不安を覚えつつ、足を上げた。先ほどとは違い、その場に下ろさずに、上げた足を少し前へ下ろす。……やっと、まともに歩くことができた。
そして、2歩目だ。足裏のプレートが地面から離れる一瞬、僅かな浮遊感と胸の奥から響く駆動音を感じた。ドキドキと緊張しながら地面に足が吸い付くイメージで着地すると、全身に微かな振動が伝わり、奇妙な安定感が生まれた。
元人間の俺が、機械人間たちの世界に足を踏み入れた瞬間だった。月に最初の足跡を残したかの宇宙飛行士・アームストロングさんも、この感動的な一歩を目にすれば手放しで褒めてくれるだろう。
まあ、まるでヨチヨチ歩きのペンギンのようだ。客観的に見れば、さぞ滑稽だろうが。
「どうですか! 慣れればこっちのもんですよ!」
「おぉ!すごい!慣れるのが早いねぇ!」
調子に乗った俺は、おどけたように声を出す。ダチェットさんもそれに便乗し、自分の仕事ぶりに満足げに笑った。
「ふむ、素材がやや足りなかったんで、他の子たちに比べてだいぶずんぐりむっくりな体形になってしまったが、まあ上手く歩けているようだし問題ないよね!」
「え、この体形って仕方なくだったんですか!?」
「あぁ、ゴメンね? 安心して、もう少し売り上げが出たら残りのパーツを買ってあげるから」
「そうですか! ありがとうございます。あっ」
だが、運動エネルギーを考慮していなかった俺は、立ち止まると同時に、そのままの勢いで身体が持っていかれ、直立姿勢のまま壁に突っ込んだ。
「……お前はしばらく最低限の動作ができるようになるまで店の手伝いは禁止だな」
「いや、すいません。大丈夫です本当に。すぐに慣れますので、ちょっと待ってください」
壁から引っ張り出されながら、俺は改めて人間が無意識に行っていることをロボットにさせる難しさを実感した。
思い返せば、人間のように、自身の動きをいちいち理解しながら行動できる生物の方が異常なのだ。
学生のロボットコンテストで、手作りのロボットたちが必死に人間の動きを再現しようとして、どこか滑稽な有様になっていた。
かつては人間が多大な労力と共に成り立たせていた作業も、今では機械が簡単にやってくれる。
つまり機械とは、いちいち命令を下さなければ何でもかんでも無茶苦茶にしてしまう、頭は良いが馬鹿な代物なのだ。誰かが頭脳にならないと成り立たない。なのに、この一連の動きができてしまう機械人間たちのなんと凄いことかと、俺は改めて驚いていた。
「とりあえず、今日のところはこの部屋を片付ける所までにしておいてくれ」
「あ、はい、分かりました」
とりあえず、自身に与えられた新しいタスクを実行することにした。改めて部屋を見渡せば、物が散乱した机の上は、最早どこから手をつけていいか分からないほど乱雑だった。まずはエリアごとに分け、種類別に置いていくことにした。
作業場である机の上に行こうとしたのだが、目測で五等身の体形では机の上までなかなか身体が届かない。仕方なく、胴よりも長い腕で手近な椅子を掴み、自身の身体を持ち上げて椅子に着地した。
「というか、胴体よりも長い腕ってどうなの?」
それでも、今は自分の身体を有効活用していくしかない。先ほどの机と同じ要領で机の端を握って再び身体を持ち上げ、何とか机の上に立つことができた。この視点で見ると結構高い。
ペンチ、スパナ、電気工事や連結に使う火花を出す器具……。これ、工具を入れるケースじゃないか? 中が空っぽだ。ということは、元々ここにあった工具はどこへ? ……ああ、埃が重なりすぎて蛇みたいになっているのは、あれか。
それを、ややぎこちない動きで掴み取り、決めた位置に置いていく。だが、必要な道具が地面に落ちてしまった。それを取りにまた椅子を伝って下に降りなくてはならないが、その動きもやはりどこかぎこちない。
「うーん、大変そうだね。見てられない。今日の所はやめにしておこう」
遅々として進まない作業に、何か当初の想定と違ったのか、ダチェットさんは少しウンザリしたように、四本の腕を上げた。それを見た時、無性に心がかきむしられるような気分になった。かけられた期待に応えられない自分に、激しい腹立たしさを覚えた。
「思えば、最初から仕事をさせようとした私も間違っていたのかもしれない。そういえば、隣家のジョージさんの所も最初は教育してからだったような。うん、いささか早急すぎたな。とりあえず、今日の所は身体を動かす練習だけしておこうか」
「うっ、それは……あー、いや、すいません、慣れるまで少し時間がかかるみたいで……」
結構行き当たりばったりなプランだとツッコミを入れようとしたが、流石に嘆いている相手に追い打ちをするのも何だし、何よりこちらも期待に応えられなかったので謝っておこう。俺は言われた通り身体を動かす練習をしようと思ったが、その命令よりも先にやってみたいことがあった。
「すいませんダチェットさん。一度外の景色が見たいのですが、問題ありませんか」
「外の景色? 見たかったら、好きなだけ見ていいよ。部屋を出て左の階段を上ってすぐのところがベランダだよ」
「ありがとうございます」
けげんな表情をするダチェットさんに頭を下げると、俺は再び歩き出した。人間の歩行と比べれば、だいぶおかしな歩き方だろう。だが、昨日の今日で“出来上がった”ばかりの、まさに歩き始めの子供のように、一歩ずつ歩を進めるのが楽しかった。
ダチェットさんの家はどこか薄汚れていて、男やもめが長年一人暮らしをして掃除をしていないことが分かる。そんな埃と砂にまみれた家の壁に自身の手跡を残しながら進む。京都の伏見稲荷を思わせるような階段の高さに、思わずため息が出た。
「しばらくは、この生活が続きそうだな……」
愚痴を漏らしつつも、階段に手をかけ一段ずつよじ登っていく。気分は道なき道を上っていく登山家だ。そして階段を上ると、すぐそこにベランダがあったのだが、それは雨戸によって閉ざされていた。
「せーのっ!」
スライド式の雨戸に手をかけ、一気に押し出した。うまく滑らず、きしむ音を立てて抵抗する雨戸を、ようやく押し出した。
「うわあ……」
俺は思わず感嘆の声を上げていた。
そこに映ったのは、異国情緒ならぬ、異星情緒あふれる景色。
普通の空気の色と言えば、透明といったところだが、この星の大気は紅く見える。
昔教科書で見た、火星のような空気をこの目で見るのは、新鮮な経験だった。
「おい、どいてくれー!」
「やあ、イジェットさん。今日は早いね」
「アンタ! また変なパーツ買ったね! 金庫のリベットが減ってるじゃないのさ!」
眼下を見下ろすと、俺やダチェットさんと同じオートマンたちが生活を営んでいた。今の時刻が朝なのか夜なのかは分からないが、家々には明かりが灯り、薄暗い中で機械の身体を持つ住民たちが知人に挨拶をし、元気に動き回っている。
街並みは日本のものではない。
言うならば…雑多だが活気のある街という雰囲気だろうか。人口が世界最大を記録した、インドを彷彿とさせる。
それに、俺の故郷にもこんな時代があったそうだ。
大昔、戦争があった時代、確か昭和時代だったろうか。博物館で見た当時の風景と今が重なる。
その時、昔見た映画の光景を思い出した。囚われたお姫様を助けるために、砂漠の星から旅立つ物語。
爽やかな青春物も悪くはないが、俺はそんなどん底から這い上がり、人生という冒険に出かけるストーリーが大好きだった。
「ああ、そうだ、俺は映画が好きだったんだ」
また記憶を取り戻した。祖父が生まれるよりも前の時代の映画が好きだった。ミレニアム前後に公開されていた映画も悪くないのだ。
そして、街の影が空間に溶け込むほど真っ暗だった空の向こうから、ゆっくりと太陽が姿を現した。
燃えるような赤い光が、この星の紅い大気を照らしていく。
人間だった頃なら、とても直視などできなかっただろう。だが、この身体は眩しさを感じることもなく、その光景を静かに見つめ続けていた。
まるで、この世界が俺の誕生を祝福しているようだった。
胸の奥――エンジンが小さく唸る。
心臓ではないはずなのに、不思議と鼓動に似た高鳴りを覚えた。
俺はもう人間ではない。
それでも、この景色を見て綺麗だと思う心だけは、確かに俺の中に残っていた。
この世界に人間はいるのだろうか。
元の世界へ帰る方法はあるのだろうか。
そんな不安は消えない。
それでも――。
俺は今日、この世界で初めて歩き、この世界で初めて朝日を見た。
だったらまずは、この世界を知ろう。
ここがどんな星で、どんな人たちが暮らし、俺が何者になれるのか。
その答えは、きっとこれから見つかる。
赤い朝日に照らされながら、俺はゆっくりと街を見下ろえた。
機械たちが生きるこの世界で、俺の新しい人生が始まろうとしていた。




