09:予期せぬ状況
ボストンのローガン国際空港から成原国際空港までは、直行便でも十四時間以上かかる長いフライトだった。
初めての一人旅、初めての海外、そして初めての日本。
ずっと画面越しにしか知らなかった初恋の人との、初めての対面。
期待と不安で胸がいっぱいで、機内ではほとんど眠れなかった。
窓から見える雲の海を眺めながら、ユートに会ったら何を話そうか、どんな顔をしてくれるだろうか、そもそも、ボクが女だと知ったら……どう思うんだろうとか、そんなことばかりを考えていた。
新軸でユートと会う約束の日は、日本に到着した翌日。
ユートのアバターは彼自身に割と似ているという話だから、きっと爽やかで、ちょっと可愛い感じの男の子だと思う。アメリカンな筋肉ムキ出しのゴツい人たちばかり見慣れたボクには、きっと新鮮に映るはずだ。
最初、ユートは「クランのみんなでエリオットを歓迎したい!」と言ってくれていた。その気持ちは嬉しいけれど、それだと当然、そこにはサクラもいるわけで⋯⋯。
まったく!少しは女心を勉強しなさいよね!
――と、心の中で憤慨したものの、相手はボクを「男の親友」だと思っているのだから、無理もないか。
結局「長旅で疲れているだろうから、初日は二人だけでゆっくり会いたい」という理由をつけて、その日はユートと二人だけで会うことにしてもらった。
もちろん、せっかく日本に来たのだし、クランのみんなにも会いたい。
ユートのことでは一方的にライバル視しているけれど、サクラ自身のことは別に嫌いじゃない。
むしろ、あの完璧なヒーラーぶりは尊敬しているくらいだ。だから、リアルのサクラがどんな人なのか、ちょっと見てみたい気もする。
そして翌日。ついにユートに会う日。
昨夜は時差ボケと興奮と緊張で、結局あまりよく眠れなかった。目の下にうっすらクマができているかもしれない。鏡で念入りにチェックする。大丈夫、まだ許容範囲。
今日の予定は、朝十時に新軸駅で待ち合わせて、少し早めのランチを食べて、それから例のVRイベントに参加。その後は、ユートが東京の面白い場所に連れて行ってくれるそうだ。完璧なデートプラン!
……デート、というのはボクの一方的な思い込みだけど、第一印象は大事よね。可愛いって思ってもらえたら嬉しいな。
サクラがレイヤーボブだから……きっとユートは短めの髪型の女の子が好みなんだろうと思って、髪型を思い切ってショートにしたけれど、服装はどうだろう。
今日の日のために新調した淡いピンク色のワンピース。普段大学では研究しやすいようにラフな格好してるせいか、ちょっと慣れない……。
彼、気に入ってくれるかな⋯⋯なんて、考えてたらソワソワしてきちゃった。このまま待ち合わせの時間ギリギリまでホテルにいるのも落ち着かないし、ボクは準備を済ませると、新軸駅へと向かった。
待ち合わせ場所の新軸駅東口、アルバ広場には、約束の三十分も前に着いてしまった。 巨大なスクリーンには最新のCMが流れ、周囲のビルからは様々な音が聞こえてくる。
行き交う人々の流れをぼんやりと眺めながら、ユートの姿を探す。まだ時間があるのは分かっているのに、心臓がドキドキして落ち着かない。
「ねー、そこの金髪のおねーさん、超かわぃいねぇー!一瞬だけでもいいから、お茶しない?」
突然、馴れ馴れしい口調で声をかけられた。
見ると、髪を明るく染めた派手な服装の男がニヤニヤしながら立っている。
――これが、ユートが言っていた日本の『ナンパ』というやつか!
とちょっと感動したけれど、もちろん英語でまくしたててお断りした。
「Excuse me, do you even speak English?」
「はぁ?」
「So you're attempting to hit on me without the basic language skills to even hold a conversation? That's some serious nerve.」
「な、なにいってんのぉ??」
「I asked if you speak English. Is that sentence too complex for your brain to process?」
「くっそ、わかんねぇ! もうめんどくせえ、いいから付き合えよ!」
そう言い放つと、ナンパ男は強引にボクの腕を掴みにかかってきた。
とっさに身を引こうとしたものの、背後には冷たい柵。逃げ道を完全に塞がれ、ボクがすくみ上がったその瞬間――。
「おいおい、兄ちゃん。その子嫌がってるじゃねぇか」
その瞬間、ボクの体に伸びていたナンパ男の手首が別の手に阻まれ、鮮やかな手際で背後に捻り上げられていた。
――その人物を目にしたボクの脳裏に浮かんだのは、『黒い人』という言葉だった。身につけた上着から靴に至るまで、すべてのアイテムが黒で統一されていたのだ。
「なんだぁ?! てめぇ! いでっいでででで!」
「兄ちゃん、男には引き際ってのも大事だぜ? ここらで辞めとこうな?」
『黒い人』に腕の関節を極められたナンパ男は、激しい痛みに必死で耐えているようだった。
「あ、ありがとう、ゴザイマス」
「いや気にしないでいい。お嬢ちゃん。観光かい?」
「は、ハイ、そうでス」
「人待ちか? 君みたいな可愛い子は目立つから、あまり一人でいないほうがいい」
「そ、そうなんデス。ぼ、ボーイフレンドを待ってテ」
「なるほどな。じゃあちょっと変な虫が来ないよう『おまじない』だ」
そういうと『黒い人』は不思議なハンドサインをする。
ほんの一瞬だけ、周囲の音が消えたような……?
「じゃあな、お嬢ちゃん。日本を楽しんでいってくれ。おっと兄ちゃんは……こっちだ」
「いだいいだいっ! う、腕が折れちまうよ!! わかった、わがったがらぁ!」
『黒い人』はナンパ男の腕を極めたままその場を離れ、群衆の中に消えていった。
(不思議な人だったな……。あれ……?)
ボクを助けてくれたあの『黒い人』。ホンのちょっと前のことなのに、どんな顔をしていたのか記憶が霧の中に消えていくような感覚がある。
――気づけば時計の針は十時を過ぎていた。
おかしい。ユートは基本的に時間に正確な人のはずだ。それに、約束を破るような人でもない。日本の電車が時間に正確なのは世界的に有名だし⋯⋯何かトラブルに巻き込まれたのだろうか?
でもまあ、10分くらいなら遅れることも……あるよね。きっと。
20分たった。うーん? ユートどうしたんだろう。ちょっとLINKでメッセージ送ってみようかな。
……30分が過ぎた。
ちょっと心配になってきたので、LINKを起動してメッセンジャーで『ユート、今どこ?』と送ってみる。しかし、既読がつかない。
返事がないまま、時間は無情にも十一時になってしまった。さすがにおかしい。
もしかして、ボクが待ち合わせ場所を間違えた? このアルバ広場じゃなかったってこと?
ここじゃなかったとしたらどこへ行けばいいんだろう……新軸駅は巨大な迷路だと聞いていたし⋯⋯。
でも、もし別の場所だったとしても、土地勘のないボクにはどこへ行けば良いのか見当もつかない。
直接会ってビックリしてもらうつもりだったけれど、もう仕方ない。
ボクは携帯を取り出し、ユートの番号を呼び出して電話をかけてみた。しかし、呼び出し音が鳴るだけで、彼が出る気配はない。
どうしよう⋯⋯。
途方に暮れて広場に立ち尽くしていると、ふと、ユートの自宅の電話番号を教えてもらっていたことを思い出した。
緊急時以外はかけないでと言われていたけれど、今はその緊急時かもしれない。ボクは意を決して、彼の実家に電話をかけることにした。
数回のコールの後、電話の向こうから、少し疲れた感じのする落ち着いた女性の声が聞こえた。
「はい⋯⋯瀬島でございます⋯⋯」
ユートのママだろうか。
「アノ、ワタシ、ユート君のアメリカのトモダチで⋯⋯」
緊張で、片言の日本語になってしまう。
「あら⋯⋯あなたが、エリオットさん? 男の子だって、悠斗から聞いておりましたが⋯⋯」
「ア、スイマセン、本当は女デス。エリスといいマス」
「まあ、そうでしたの⋯⋯! 私は悠斗の母の美悠紀と申します。いつも息子が大変お世話になっております⋯⋯」
「ハ、ハジメマシテ⋯⋯! こちらこそ、お世話になってマス⋯⋯! それで、あの、ユート君ですが⋯⋯今日、待ち合わせの場所に、まだ来なくて⋯⋯」
「⋯⋯悠斗は今、病院に⋯⋯入院しているんです⋯⋯」
病院!? どうして!?
おとといまで普通にメッセージをやり取りしていたのに、病気の話なんて一言も⋯⋯。
もしかして、事故!?
一人で最悪の事態ばかり考えてパニックになりかけていると、ユートのママが、さらに衝撃的な言葉を続けた。
「私も、まだ詳しいことは良く分からないのですけれど⋯⋯。昨日の午後、新軸でVRのゲーム? をしていたら、何か事故があったとかで⋯⋯そのまま、意識が戻らない、と⋯⋯」




