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10:覚醒の可能性


――悠斗はVRゲームをプレイ中の事故で意識が戻らない。


 VR? 事故? 昨日?


 ⋯⋯嘘でしょ。今日、ボクと一緒に体験するはずだった、あのイベントのこと?

 なんで、ボクが来るのを待たずに一人で行っちゃったの⋯⋯?


『エリオットさん、いえ、エリスさんでしたわね。悠斗⋯⋯あなたと出かける前の『下見』をしてくるって言って、昨日一人で出かけて行ったんです⋯⋯』


「下見⋯⋯? どういう⋯⋯ことですカ?」


『悠斗が言うには⋯⋯あなたがその⋯⋯怖いものが苦手ということで、お化け屋敷みたいなイベントが入ってないか、確かめると⋯⋯』


 ボクに怖い思いをさせないために、先に一人でチェックしに行ったっていうの?

 馬鹿。ユートの馬鹿!


 でも、ひょっとしたら、ボクが日本に行こうなんて思わなかったら、こんなことには⋯⋯。


 いや、今はそんな後ろ向きなことを考えている場合じゃない。 早く悠斗のところに行かなきゃ!


「ユート君のお母サン、ユート君に会えますカ? 病院はドコですカ?」

『帝王大学附属病院ですが⋯⋯エリスさん、場所はお分かりですか?』


「⋯⋯ワカリマセン。日本に来るの、初めてなのデ⋯⋯」


『でしたら、今どちらにいらっしゃいますか? 私が車でそちらまでお迎えにいきますから、一緒に行きましょう』


 その申し出に甘え、ボクは新軸駅でユートのマム――美悠紀さんを待った。

 うかつに歩き回ると絶対に会えない気がしたから、アルバ広場でそのまま待つことにした。


「エリスさんですね? じゃあ行きましょう⋯⋯」


 待つこと30分くらいして40歳くらいの女性に声をかけられた。それが美悠紀さんだった。 迎えに来てくれた彼女は憔悴していたけれど、「エリスさん?」と呼ぶ声は、ユートによく似た面影を持つ、優しそうな人。


 病院へ向かう車の中で、彼女はさらに詳しい状況を教えてくれた。ユートは原因不明の昏睡状態に陥っており、医師たちも頭を抱えているのだという。


 一時間半ほど車に揺られ、ボクたちは帝王大学附属病院に到着した。


「エリスさん、ここです」


 美悠紀さんに呼びかけられて窓の外に目を向けると、夕闇の中に白亜の近代的な巨大施設がそびえ立っていた。


 そこは、恩師であるボストンの教授から「日本でも屈指の最先端医療を誇る病院だ」と聞いていた場所だった。


 美悠紀さんに案内され、いくつもの自動ドアを抜けて長い廊下を進み、その先の集中治療室(ICU)へ向かう。


 静まり返った空間には、ボクと美悠紀さんの靴音だけが響いていた。


 ICUに着くと、ガラス越しに見えたのは、数多くの電極とチューブに繋がれ、ベッドで静かに眠るユートの姿だった。


 顔色は青白いけれど、その寝顔は驚くほど穏やかで⋯⋯本当に、いつもEIOで見慣れている彼のアバターにそっくりだった。


 特別な許可を得て病室に入り、ボクはそっとユートの手を握った。

 ⋯⋯少し、冷たい。


 意識があれば握り返してくれるはずの彼の指先は、ピクリともしない。


 いつもは画面越しに力強くボク――エリオットの名を呼んでくれたその口も、今は人工呼吸器につながれ、規則正しい呼吸音だけを響かせていた。


「ユート⋯⋯エリオット⋯⋯いえ、エリスだヨ。日本に、ユートに会いに来たんだヨ⋯⋯」


 話しかけてみたけれど、ユートからの反応はなかった。

 そこへ、白衣を着た医師が入ってきた。


「ご家族の方ですね。担当医の市川と申します。⋯⋯悠斗君の現在の状況について、少しご説明したいことがあります」


「あ⋯⋯ボ、ワタシも、お話、聞いても良いですカ?」


 ボクは思わず身を乗り出した。


 市川先生は少し意外そうな顔をしたが、美悠紀さんの同意を得て、モニターの数値を指しながら説明を始めた。


「瀬島悠斗君は昨日、VRイベントに参加中、脈拍が異常に上昇しました。心拍数は百五十を超え、脳波には極度のパニック状態を示す波形が観測されています」


「そのアトラクションの内容は、ドノようなものだったのですカ?」

「仮想空間での『バードビュー』⋯⋯空中散歩だそうです」


 やっぱり。


 ユートは極度の高所恐怖症だと言っていた。VRのリアルすぎる映像と浮遊感に、彼は逃げ場のない恐怖を感じていたんだ。


「その最中、運が悪いことに、会場で大規模な電力供給トラブルが発生しました。システムが不安定になる中、彼が使用していたデバイスはセーフティが正常に作動せず、脳に強いノイズを流し込んだまま強制終了した形跡があります。他の参加者は軽症でしたが、彼は⋯⋯パニックのピーク時に『支え』を失い、脳が自己防衛のために、外部からの情報を完全に遮断してしまったようです」


「⋯⋯光過敏性発作の可能性は、ありまスか?」


 VR機器の異常終了時に起こりうる、強い光刺激による発作。ボクの専門分野でもある質問に、市川先生は驚いたように頷いた。


「よくご存知ですね。ええ、その疑いも考慮しています。ですが、現在最も不可解なのは、器質的な損傷がないにもかかわらず、深い昏睡⋯⋯JCSで30の状態から全く変化がないことです」


「どういう⋯⋯ことでしょうか? 悠斗はどうなってしまうのですか?」


 市川先生の口から医学的な専門用語が飛び出し、美悠紀さんは意味がわからず、不安が募って顔色がさらに悪くなっていた。


――JCSジャパン・コーマ・スケール

 ボクが学んできたアメリカの指標とは違うけれど、日本で主流のこの方式の意味は理解できる。


 それは、強い痛み刺激を加え続けて、ようやく辛うじて目を開ける⋯⋯二桁ランクでは最も重い数値。


「ミユキさん、今のユートは、刺激を与え続けると一瞬目を開くけれド、やめてしまうと、また深く眠ってしまう⋯⋯そういう状態でス」

「じゃ、じゃあ、悠斗は何もしなかったら目覚めてくれない⋯⋯そういうことなの? エリスさん?!」


 美悠紀さんは、ボクの説明を聞いて少し動揺してしまったのか、息を荒くしていた。思わず、ボクは彼女を落ち着かせるようにゆっくりと背中をさすった。


「大丈夫、大丈夫ですヨ。ユートは強い人だかラ⋯⋯」

「ありがとう……エリスさん……」


 やがて落ち着きを取り戻したのか、美悠紀さんの呼吸は徐々に穏やかになっていった。


 市川先生は、ボクの口からつらつらと医学用語が出てくるのを不思議そうな顔をしながらも、説明を続けた。


「まだ事故から二日目です。急性期の反応として一時的なものなら良いのですが⋯⋯このまま数週、数ヶ月と回復の兆しがなければ、いずれは長期的な意識障害を覚悟しなければなりません。現代医学では、彼が自ら『目覚めたい』と願わない限り、物理的に覚醒させる手段はないのです」


 現代医学の限界を告げるかのような、市川先生の言葉が冷たく病室に響いていた。


 空中に放り出された恐怖の中で、縋るものも、握るべき手もなかった。

 独りきりで絶望に直面したユートの心は、自分を深い闇の奥へと閉じ込めてしまったんだ。


(⋯⋯ボクがいれば。ボクが、隣で彼の手を握ってさえいれば、こんなことには⋯⋯!)


 後悔が胸を締め付ける。


 でも、もし原因が「心の封鎖」なら。

 ボストンから持ち込んだ、ボクの研究室の試作機――脳の深層領域に直接介入するあのデバイスを使えば、ボク自身が彼の心の中へ入り込み、ユートの「手」を握ることができるかもしれない。


 待ってて、ユート。


 今度はボクが、君を救いに行くから。

 それがどんなに深い闇の底でも、必ず君を見つけ出してみせる。



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