11:精神の深淵
「ユートの症状⋯⋯ボクなら、なんとかできるカモしれません」
「えっ?」
市川先生とユートのママが、驚きと戸惑いの混じった顔でボクを見ている。無理もない。いきなり現れた外国人の少女が、専門医でも解明できない昏睡を治せると言い出したのだから。
「どういうことですか?あなたは一体⋯⋯?」
「ワタシは、エリス・ハートフィールドとイイマス。アメリカの大学で、脳科学の研究をしていマス」
「エリス・ハートフィールド⋯⋯? まさか、あの『ドリームキャッチャー』の⋯⋯?」
市川先生が、眼鏡の奥の目を見開いてボクの名前を繰り返した。
『ドリームキャッチャー』
それは、ネイティブアメリカンが悪夢を祓うために使ってきた装飾品の名にちなんで、ボクと指導教官のマクミラン教授が共同開発した、最先端の意識介入システムだ。
被験者の脳波を読み取るだけでなく、思考パターンそのものを同期させ、他者の『深層意識(夢)』を共有し、そこへ直接アクセスすることを可能にする。
「夢を完全に変える力は、まだありまセン。それに、ダイバーにも相手の精神負荷がフィードバックされるリスクもありマス。⋯⋯でも、ユートの意識に直接語りかけることなら、可能デス!」
「それって⋯⋯つまり、エリスさんも危険な目に合わせてしまうということでは⋯⋯?」
美悠紀さんがボクのことを心配してくれている。その優しさが胸に痛い。
「それに治療とはいえ、担当医としても、まだ研究段階の技術を使用することに許可を出すわけには⋯⋯」
市川先生はドリームキャッチャーの利用に消極的だった。
当然だ。未承認の医療機器を使い、担当している患者だけでなく、ボクにまで何かあったら、彼の医師生命は終わる。責任なんて取れるはずがない。
「わかりましタ。イチカワセンセイの責任にならないようにすればイイんですよネ?」
ボストンは真夜中のはずだけれど、ボクは急いでマクミラン教授に国際電話をかけた。
「ふぁ⋯⋯やあエリー、どうしたんだい? こんな真夜中に緊急事態かい?」
もしかすると、眠っているところを起こしてしまったのかもしれない。教授の声はかなり眠そうだった。
「教授、お願いがあります! 今すぐ、日本の帝王大学附属病院からのアクセス権限を発行してください! ドリームキャッチャーを使います!」
「⋯⋯無茶を言わないでくれ、エリー。大学のサーバーは厳重管理されているし、そもそも日本の病院で我々のシステムを動かすなんて⋯⋯」
「ボクの親友が⋯⋯いえ、違います。ボクの『彼』が、原因不明の意識不明で、重体なんです! お願い、教授!」
スマートフォンの向こうで、教授が息を呑むのがわかった。
「⋯⋯なんだって?エリーのボーイフレンドが?⋯⋯よし、分かった。相手は帝王大学病院だね。ボクの旧友である篠上君が帝王大学の生命科学部で教授をやっている。彼に直接連絡を入れて手を回して貰おう。なんとかしてみせるよ!」
ドリームキャッチャーのシステムは、プログラム本体がインストールされたメインサーバーと、接続端末によって構成される。
この接続端末は、一般的なVRマシンを遥かに超える脳波センサーと、五感の情報を神経パルスとして脳に伝える高精度ジェネレーターを備えている。
いわば、現時点での人類が到達した唯一の『フルダイブマシン』だ。
ユートがVRに強い興味を持っていると知っていたから、今回の旅で一緒に遊べるようにと、ボクは開発中の最新型端末を教授に内緒で二台、スーツケースに忍ばせて持ってきていたのだ。
まさか、こんな形で使うことになるなんて。
ボストンのマクミラン教授から帝王大学の篠上教授へ。
そして篠上教授から、現場の市川先生へと連絡が回る。
それから数分が経過した頃、市川先生のスマートフォンが激しく鳴り出した。画面に映し出された発信元の名前を確認した瞬間、彼は驚愕に目を見開いた。
それはそうだろう。だってそこには『帝王大学の権威』の名が記されていたのだから。
「ちょっと⋯⋯失礼します⋯⋯」
市川先生から、電話対応のために中座したいとの申し出があった。ボクと美悠紀さんは顔を見合わせ、揃って静かに頷いて見せた。
廊下に出た市川先生の声が、扉越しに微かに聞こえてくる。
「し、篠上先生でいらっしゃいますか。はい、市川です。……ええ、ですが担当医としては、研究段階の機材を安易に……。はい、リスクが……」
市川先生は、患者へのリスクを懸念して食い下がっているようだ。自分のキャリアよりも患者の安全を優先しようとする、彼なりの誠実さが伝わってくる。
「……はい。……大学側が全責任を? ……分かりました。そこまで仰るなら、私も全力を尽くします」
やがて通話を終えた市川先生が、少し上気した顔で病室に戻ってきた。
「……驚きました。篠上教授が、マクミラン教授と連携して全面的にバックアップすると仰っています。大学の学術用サーバーも開放する、と」
先生はボクの目を真っ直ぐに見つめた。
「エリスさん。正直、医師としてはまだ反対です。ですが、篠上先生は『これ以外に彼を目覚めさせる方法はない』と……。しかし、具体的にどうやって彼を呼び戻すつもりですか?」
「このシステムの本来の目標は、人工的に『明晰夢』を作り出すことデス。夢の中で『これは夢だ』と自覚させ、意識の主導権を取り戻させる」
「……でも、今のシステムはまだ不完全デス。強制的に目覚めさせる力はありまセン。ボク自身が夢の中で『これは夢だ』と強く自覚し続け、その意識をユートに伝播させる必要がありマス。もしボクの精神が夢に呑まれれば、二人とも戻れなくなるリスクがありマス。……それでも、ボクがユートを内側から叩き起こしマス!」
ボクの説明に、市川先生は息を呑んだ。
「それは⋯⋯あなた自身が夢に呑まれてしまったら⋯⋯二人とも危険じゃないですか!?」
「そうならないよう⋯⋯しっかりモニターしていてくださいネ?」
ボクは努めて明るく、冗談めかして言った。けれど、その瞳に宿った揺るぎない決意に、市川先生は言葉を失ったようだった。
自分の医学知識を遥かに超える理論。その飛躍に驚きつつも、目の前の少女が放つ確信に満ちた空気が、彼の迷いを断ち切ったのかもしれない。
「……できる事があるならばやってみるしかないでしょう」
「ハイ! ありがとうございマス、先生!」
市川先生の指示で、ユートのベッドの隣にボク用のもう一つのベッドが運び込まれる。
準備は整った。接続端末の一つを、眠るユートの頭部に慎重に装着し、もう一つはボクが装着する。
ダイブ時、ボク自身の思考を安定させるためのアバターには、以前EIOでこっそり作った、ボク自身に似せた治癒術師の『エリス』をリンクさせておく。今のボクの気持ちに、一番近い姿だから。
教授から、帝王大学病院の学術用サーバーを経由したアクセス権限発行の通知が入る。
ボクは隣に横たわるユートの手を、もう一度そっと握った。
⋯⋯まだ少し冷たい。
でもボクが温める。そして現実に連れ戻す!
ボクはシステム起動のコマンドを、震えるのを堪えてはっきりと発音した。
「Dream Catcher StartUp Execution. Diver ID:Ellis!」
視界に鮮やかなHUDが現れ、意識が猛烈な勢いで仮想空間へと引き込まれていく。加速する感覚の中、ボクは祈るように目を閉じた。
(待ってて、ユート。今、ボクが君を連れ戻しに行くから!)
こうしてボクは、愛するユートの「夢」の深淵へと、ダイブした。




