12:悪夢の変容
ユートの精神世界へとダイブしたボクを待っていたのは、出口のない恐怖体験を、何度も何度も繰り返し再生させられている彼の痛ましい姿だった。
ドリームキャッチャーが映し出すその光景は、単なる記録ではない。
ユートの脳が、癒えることのない古傷を抉り続けることで、彼自身の意識を檻の中に閉じ込めている。
ユートがこれほどまで高所を恐れる理由は、少し聞いたことがある。
彼が小さい頃、父親の仕事の関係でユートは家族でカナダに引っ越し、新しい生活が始まる……はずだった。
しかし、不運にも父親はテロに巻き込まれ、帰らぬ人となってしまった。
頼りにしていた父を亡くし、悲しみに暮れるユートに、さらなる追い打ちが襲いかかる。 日本に帰る飛行機が激しい乱気流によって制御を失い、死の淵へと真っ逆さまに墜ちていったのだ。
幸いにも乗客は全員無事だったが、その時に刻み込まれた「足場を奪われ、虚空へと吸い込まれる」という根源的な恐怖は、彼の深層心理に消えない傷痕として刻み付けられてしまったのだろう。
ネットの世界で彼は、ボク――エリオットに対して、常に「頼れる兄貴分」でありたいと願っていた。
ボクには学力では敵わないことを知っているからこそ、せめて隣に立ち、いざという時に頼ってもらえる存在でありたい。
一人っ子の彼にとって、自分を慕う弟分を失望させることほど、耐え難いことはなかったのだ。
だからこそ、彼は今日ボクを驚かせるために、昨日のうちに一人で「下見」に来ていた。
「よし、今度こそ高いところを克服して、エリオットに自慢してやるぞ」
そんなささやかで真っ直ぐな想いが、パニックの絶頂で起きたシステム障害と重なり、彼をこの終わらない悪夢の檻に閉じ込めてしまった。
ボクはシステムに干渉し、自分自身のアバターである「エリス」を、その物語の起点へとねじ込んだ。
「ユート⋯⋯!」
「あ⋯⋯エ、エリオット⋯⋯?」
愕然とする彼に、ボクは精一杯の茶目っ気を出して笑いかけた。
「⋯⋯エリスだよ。驚かせちゃったかな」
ボクは性別を明かした「親友エリオット」として、彼のループに加わった。
彼に「一人じゃない」と思わせ、このバードビューを今度こそ無事に乗り越えさせる。それがプランだった。
だが、仮想のプラットフォームが上昇を始めた瞬間、ユートの理性が崩壊した。
「うわああああああああ!」
根源的なトラウマが、ユートの思考を奪い、パニックへと叩き落とす。眼下に広がる圧倒的な虚空。彼にとっては、あの墜落しかけた機内の再上映に他ならない。
「ユート!大丈夫だから!これはVR。あなたの体は、ちゃんと地面に接してる!」
「あああああっ、落ちる、落ちる⋯⋯っ!」「大丈夫、大丈夫だから!⋯⋯そうだ、ボクの手を握って!強く握ってもいいから!」
「あ⋯⋯あああ⋯⋯っ」
差し伸べられた手を、ユートは溺れる者が縋るような力で握りしめた。
「いたっ⋯⋯くない、いいよ。それでユートが落ち着けるなら⋯⋯」
ボクはユートの尋常ではない握力に、一瞬だけ息を呑んだ。華奢な手首と指の骨が、ギシリ、と軋む感覚。
ドリームキャッチャーが伝える触覚フィードバックは残酷なほど正確だ。凄まじい痛みがあったが、ユートのパニック状態を察していたボクは、接続を切らずに彼を支えることを優先した。
「ねえ、ユート。ボクの手、ちゃんと握れてるでしょ?どこにも落ちたりしないから!」
痛みを顔に出さず、精一杯の平静を装った声で語りかけ続ける。やがて、彼の荒い呼吸が少しずつ整い始めた。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯エリス⋯⋯」
「そうそう、大丈夫。ゆっくり息を吸って」
「⋯⋯ありがとう。少し、落ち着いてきた」
「また顔色が悪いね。このまま、ずっと手をつないでいようか?」
下降が始まり、ユートの表情にようやく安堵の色が浮かんだ。
これでいい。成功だ。これで悪夢のループは断ち切られ、彼は覚醒するはず――そう、信じていた。
だが、安堵の直後、世界はより深い絶望へと変質を始めた。
整然としていた『新軸』の街並みが廃墟へと崩れ去り、空は重苦しい暗雲へと塗り替えられていく。
スタート地点の『トライアングルプラザ』のガラスはことごとく割れ、隣接する都庁の壁面には亀裂が走り、道路には崩れた壁やガラスの破片が散乱していた。
街は崩壊していた。まるで、大災害か戦争でもあったかのように。
一緒にいたはずの他の参加者たちは、最初からそこにいなかったかのように姿を消していた。
(なんで!?ループを抜けたはずなのに!なにこの雰囲気⋯⋯ホラー映画みたいじゃない!?)
ドリームキャッチャーは思考を同期させる。
ユートは今、自分の恐怖が和らいだことで、無意識に隣にいるボクを気遣ってしまったのだ。
『エリスはホラーが極端に苦手だったはずだ。彼女は大丈夫か?』と。
その優しすぎる連想が、ボクの脳内の「恐怖」を呼び覚まし、この世界を最悪の「ホラー演出」に塗り替えてしまった。
「都庁の中を調べてみよう」
ユートの提案に、ボクの喉が引き攣る。
「いや、ちょっと!中に入るなんてホラーの鉄板!絶対にバッドエンドになるやつだよ!」
ボクは物事を論理的に考えられる反面、最悪の可能性まで推測できてしまう。だから、平静を装う演技も限界だった。
だからといって⋯⋯ユートから離れてしまったら⋯⋯この『悪夢のループ』に入り込んだ意味がない。ボクはしぶしぶユートに付いて都庁に入っていった。
外観の惨状から考えて、内部も酷いことになっているかと思ったけれど、意外にも内部は原型を留めていた。
けれど、非常灯の赤いランプが点滅するだけのエントランスホールは薄暗く、床には観光パンフレットや書類が散乱していた。
その薄暗さと、妙に静かなのが逆に不気味で、ボクの恐怖心を刺激した。
「なんだか⋯⋯ゾンビ映画みたい⋯⋯」
ガタッ、と通路の奥で鋭い音が響いた。
「ヒッ!」
ボクは文字通り飛び上がり、反射的にユートの腕にしがみついた。
――キリキリキリ⋯⋯。
何か歯車のようなモノが駆動する音まで聞こえてきた。
こういう展開、本当に弱い。ボクの膝が笑い、本当に動けない。
「誰かいるのかな。様子を見てくる。⋯⋯ここで待ってろ」
「ダメ!行っちゃダメだってば!」
パニックから立ち直った彼は、今度こそ「兄貴」としてボクを守ろうとしていた。ボクはソファーに座らされ、彼を見送ることしかできなかった。
(しっかりしなきゃ⋯⋯!ボクが彼を助けに来たのに、これじゃあ逆じゃない⋯⋯!)
数分後。暗闇の奥から、ユートの短い悲鳴が響いた。
「うわあああっ!」
「ユート!? 大丈夫!?」
ボクはふらつく足で立ち上がり、角から奥を覗き見た。
ユートが都庁の職員風の制服を来た女性に腕を掴まれていた。
いや、あれは⋯⋯暴走したアンドロイド?!
ユートに近づこうとしたボクが見たものは、顔の半分の皮膚が剥がれ落ち、内部の金属フレームが露出した不気味な女性型アンドロイドがユートを抱え上げ⋯⋯そのままユートを人形のように軽々と投げ飛ばす光景だった。
そしてユートは壁に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなる。
「ユート!しっかりして!ユート!」
この瞬間、世界は急速に無彩色へと変化し、続いて輪郭が飽和していく。
非常灯も明るさを失い、完全な闇が押し寄せてくる。
ユートの脳が「死」を疑似体験したため、またもや世界がリセットされたのだ。
(⋯⋯終わらない。ユートの心が絶望するたびに、この悪夢は振り出しに戻ってしまう⋯⋯!)




