13:夢の真実
アンドロイドに投げ飛ばされ、抵抗する術もなく宙を舞った悠斗の体は、冷たい壁に背中から叩きつけられ、後頭部をしたたかに打ち付けられた。
衝撃で視界が歪み、そして、意識は急速にブラックアウトした。
深い闇の底から、意識が徐々に浮上してくる。重い瞼を押し上げ、悠斗が最初に目にしたものは、眩しいほどに真っ白い天井だった。
「う⋯⋯いてて⋯⋯どこだ⋯⋯ここは⋯⋯」
気づけば悠斗の体はストレッチャーに固定された状態で寝かされ、長い廊下を運ばれていた。視界の両脇を、等間隔に配置された蛍光灯が、規則正しいリズムで後ろへと流れていく。
「大変でしたね。お客さん⋯⋯」
「あ⋯⋯?」
かけられた声に気づいて頭上を見上げると、ストレッチャーを押していたのは、あのVR体験イベントで案内をしてくれたスタッフの女性だった。
だが、その顔からは一切の感情が抜け落ちており、磨き上げられた義体のような冷たさを湛えている。
「一体俺⋯⋯何が、どうなって⋯⋯」
「お客さんが体験を始めた直後、大規模なサイバーテロが東京首都圏で発生してしまったのです。お客さまが現時点での唯一の生存者です」
「現在、東京首都圏は、所属不明のウイルスに感染し暴走したアンドロイド群によって完全に占拠されており、外部からの救出は極めて困難な状況です」
事務的な、あまりにも淡々とした宣告。
「東京でテロが⋯⋯??いや、ちょっと待って、俺が唯一の生存者?お姉さんだってそうでしょ?」
「私ですか⋯⋯?私はアンドロイドなのです⋯⋯」
と応答したその女性スタッフは微笑んだ。否、無表情のまま口角だけを不自然に吊り上げ、『微笑んだように見せかけた』。その動きには生物的な予備動作がなく、ただサーボモーターが駆動しただけのような、薄気味悪い違和感があった。
「ひっ⋯⋯?!」
「さきほど、お客様は暴走したアンドロイドに襲われましたので、念の為医務室で怪我の様子を見させていただきます」
「あ、アンドロイドが暴走してるっていうなら⋯⋯お、お姉さんは⋯⋯?!」
「私は⋯⋯ガガッ⋯⋯大丈夫です。ウイルスには⋯⋯感染、シテおりません⋯⋯」
再度スタッフの女性=アンドロイドはにっこり微笑んだ。だが、その動作が、無理に引き伸ばされた人工皮膚の限界を超えた。 ピキッ、と乾いた音が響き、顔面に蜘蛛の巣状の亀裂が入る。次の瞬間、顔半分が陶器のように砕け散り、内部の黒ずんだ電子部品とレンズ状の瞳が露わになった。
――そう、悠斗を襲った、あの受付アンドロイドと同じ姿に。
「うっ!うわぁあああ!やめろ!俺をはなせ!!!」
悠斗は体を激しく動かして必死に抵抗したが、ストレッチャーの固定ベルトの金具がガチャガチャと無情な音を立てるだけで、拘束が緩む気配は微塵もなかった。
「センセイ⋯⋯お客様ヲ⋯⋯お連れしました⋯⋯」
「うむ⋯⋯ご苦労さま。あとは引き継ぐよ」
運び込まれた医務室で悠斗を待っていたのは、丸眼鏡をかけ、白衣を纏った白髪の老人だった。 その表情からは人間なのか、それとも精巧なアンドロイドなのか、判別することはできなかった。
「瀬島⋯⋯悠斗君⋯⋯というんだね。頭を打ったそうだからちょっと心配だね⋯⋯。ここでは検査できないが⋯⋯念の為痛み止めの注射でもしておこうか⋯⋯」
「ちゅ、注射?い、いや、俺は大丈夫です!だからこの拘束をといて⋯⋯ひっ?!」
医師がトレイから持ち出してきたのは、一般的な医療用よりも一回り太く、中には不透明でドス黒い液体が詰まった、禍々しい注射器だった。
「そ、その薬は何ですか⋯⋯?」
「なに、問題ない。気分が良くなり、今の君を『救済』してくれる薬だよ」
医師は何一つ具体的な説明をしようとせず、悠斗の腕の血管を探るように、その太い針をじりじりと近づけてきた。
「やっ、やめろ⋯⋯!」
絶体絶命とも言えるその時。
「やめなさいっ!!!」
ブシュシューーーーーーーッ!
激しい噴出音とともに、悠斗を運んできた女性アンドロイドの顔面の欠けた部分へ、消火器の噴射口が力任せに差し込まれた。内部へと直接、白い消火液が勢いよく流し込まれる。
「ア⋯⋯アガ⋯⋯ガ」
内部回路を汚染された女性アンドロイドは、激しいスパークを放ちながらその場に崩れ落ちた。 そして――
「目を閉じてて!ユート!」
その声の主、薄汚れてしまったピンク色のワンピースを着た少女――エリスが、たじろぐ医師に向かって消火液をフルパワーで噴射した。
ブシュシューーーーーーー!
「今よユート!逃げよう!!!」
消火液の白煙を煙幕にし、エリスは驚くべき手際で悠斗の拘束を外すと、その手を強く引いた。 白煙の立ち込める医務室を飛び出し、二人は無機質な廊下を駆けた。 背後からは、ショートした機械の断末魔のようなノイズと、医師の「待ちなさい⋯⋯君の治療はまだ⋯⋯」という、感情の欠落した声が追いかけてくる。
「ハァ、ハァ⋯⋯!エリス、一体何なんだよ、あいつらは!東京でテロが起きたって⋯⋯俺が唯一の生存者だっていうのは、本当なのか!?」
悠斗が叫ぶ。隣を走るエリスは、汚れたワンピースの裾を翻しながら、険しい表情で首を振った。
「全部嘘!これはあなたの脳が作り出した『最悪のシミュレーション』!いい、ユート。ここは現実の都庁じゃない。あなたの意識が⋯⋯ううん、あなたの『恐怖』が作り出した偽物の世界なのよ!」
「偽物⋯⋯?でも、あいつに掴まれた腕の痛みも、頭を打った時の衝撃も、あんなにリアルだったのに⋯⋯」
「それはこれがユートの『悪夢』だから!あなたの脳がここを『現実』だと100%誤認したら、ここで受けたダメージはそのままあなたの精神を焼き切っちゃう!最悪、ユートは二度と目覚められなくなる!!」
悠斗の背筋に冷たい戦慄が走る。
そして、前方から人工皮膚が完全に剥がれ落ち、金属骨格が剥き出しになったアンドロイドたちが、コマ送りのような不自然な動きで現れた。
「ユート!こっち!」
エリスが指さした先に、エレベータールームがあった。運よく扉が開いていた籠の中に二人は滑り込み、閉まるボタンを連打する。
「地下駐車場に行けば、車が手に入れられるかも!」
ゴウン⋯⋯とエレベーターの駆動音が響き、密室内でようやく二人は一息つくことができた。
「これが⋯⋯夢だと言ったな?じゃあ、今目の前にいる君は⋯⋯俺が作り出した、ただの幻なのか?」
悠斗の問いに、エリスは柔らかく微笑み、小さく頭を振った。
「ううん。ボクは本物。エリス・ハートフィールド本人。ユートからしたら『エリオット』の『中の人』ってことかな」
「それは出会った時にも聞いた。なら、エリス本人が、どうして俺の夢の中にいるんだ?」
悠斗はさらに問いを重ねる。
「それに、エリオットはあんなに片言だっただろ。君が本当にエリオットの中の人なんだとしたら、君の日本語も、もっと片言になるはずじゃないか?」
すると、エリスは少し困ったような、だが決意を秘めた瞳で悠斗を見つめ返した。
「『ドリームキャッチャー』だよ」
「!?」
その名には、悠斗にも確かな聞き覚えがあった。 エリオットが、大学の教授と共に開発しているという『夢を共有するシステム』。
悪夢を祓うインディアンの魔除けになぞらえて名付けたのだと、エリオットが自慢げに話してくれた記憶が鮮明に蘇る。
「そう。ボクは『ドリームキャッチャー』を使って、今、ユートの夢の中にダイブしているの」
かつてエリオットが興奮気味に語っていた。ドリームキャッチャーは、既存のVRを遥かに超越した、脳とコンピューターを直接接続する『フルダイブシステム』に近いものなのだと。
「ボクは今、頭の中では英語で考えて話している。その思考信号を、ドリームキャッチャーがリアルタイムで解析して、日本語の音声データとしてユートの脳に直接伝えているはずだよ」
「じゃあ⋯⋯じゃあ、本当に君はエリオットで、本当の名前がエリスで⋯⋯アメリカから、俺の夢の中に⋯⋯?」
悠斗が呆然と尋ねると、エリスは少し涙ぐんで、それでもはっきりと頷いた。
「ううん、今、日本にいるよ。病院のベッドで、悠斗のすぐ横で寝ているの。
本当は、リアルでユートに直接伝えたかった。⋯⋯こんな形になっちゃったけど、これが本当のボク。エリス・ハートフィールドです」
悠斗は言葉を失い、ただ目の前のエリスに見惚れてしまった。あの無骨なアバターだったエリオットが、こんなにも華奢で、守ってあげたくなるような少女だったなんて。
そして、自らの命のリスクさえ顧みず、自分を助けるために、こんな深淵まで無茶なダイブをしてきてくれたなんて。
(リスク⋯⋯?そうだ、リスクがあるって言ってた!)




