24:アーカイブス
「うそ⋯⋯でしょ⋯⋯? あの、優しい篠上先生が⋯⋯? だって、発表会でも一緒に⋯⋯どうして⋯⋯?」
彼女の声はか細く震え、言葉にならない。
シナモン社の発表会で同席し、穏やかに微笑んでいたあの人物が、自分を拉致し、あのような恐ろしいAIを作り出した張本人だというのか?あまりにも非現実的で、到底受け入れがたい事実だった。
「俺も、信じられなかったよ⋯⋯。でも、あの姿は間違いなく篠上教授。それに本人がそう名乗ったんだ。『サイズ博士』⋯⋯それが、奴の本当の名前らしい。そして、黒いサクラのデータを回収して、どこかへ消えた⋯⋯」
悠斗が、苦々しげに付け加える。
桜華は、その場で崩れ落ちそうになるのを、悠斗とエリスが慌てて支えた。
「そんな⋯⋯どうして⋯⋯私が? それに、あの黒いAIは⋯⋯私のコピーだって⋯⋯? あの子がみんなにした酷いことは⋯⋯私のせい⋯⋯?」
罪悪感と混乱で、彼女の思考はまとまらない。
自分が知らないうちに、自分の分身が悪事を働いていた。その事実は、彼女の心を容赦なく深く傷つけていた。
「違うよ、桜華姉! 桜華姉のせいであるはずがない! 悪いのは全部、篠上⋯⋯いや、サイズ博士だ!」
悠斗は、桜華の肩を強く掴み、必死に訴えかける。
「オーカさんのせいじゃないです! 悪いのは、あんなものを作り出したサイズ博士です! オーカさんも被害者なんですから!」
エリスも、涙ながらに桜華を励ます。
「⋯⋯やはり、篠上だったか」
その時、静かに状況を見守っていた亮が、重い口を開いた。
その声は低く、どこか苦々しさが滲んでいる。
「お前たちと桜華の救出作戦を練っている時にも話したが、奴が糸を引いている可能性が高いと見ていた。⋯⋯最悪の形で的中したな」
彼は、以前悠斗とエリスにだけ示唆していた疑念が、確信に変わったことを告げる。彼の表情には、怒りとも諦めともつかない、複雑な色が浮かんでいた。
「亮先輩は⋯⋯知ってたんですか⋯⋯? 篠上先生のこと⋯⋯」
桜華がか細い声で尋ねる。
「確証はなかった。だが、奴には以前からきな臭い噂があった。脳科学の権威という表の顔とは別に、裏で妙な研究に手を出している、と⋯⋯な。そして、その背後には、例の組織⋯⋯『ガーデン』の影があった」
亮は、自分が掴んでいた情報を、三人に共有し始めた。その声は淡々としているが、語られる内容は衝撃的だった。
「ガーデン⋯⋯? それって⋯⋯前に話してくれた、秘密結社⋯⋯?」
悠斗が聞き返す。
「ああ。表向きには存在しない、裏の世界の組織だ。連中の目的は多岐にわたるが、篠上⋯⋯サイズが属しているのは、『アーカイブス』と呼ばれる派閥だ。ヤツらは、人間の精神や意識をデータ化し、ネットワーク上にアップロードすることで、肉体という枷から解放された永遠の存在へと『進化』させることを目論んでいる」
亮は淡々と、しかしその言葉の端々には、ガーデンへの明確な敵意と侮蔑が込められていた。
「精神をデータ化⋯⋯? 進化⋯⋯?」
エリスが、信じられないといった表情で呟く。
脳科学者である彼女にとって、それはあまりにも突飛で倫理観を欠いた、危険極まりない思想に聞こえた。人間の尊厳を踏みにじる行為だ。
「そうだ。そして、そのために、奴らはドリームキャッチャーの技術⋯⋯特に、人間の精神に深く干渉し、意識データを抽出・転送できるコア技術を欲している。」
「桜華が攫われたのは、桜華の高いVR感応適性と共に、シナモン社のドリームキャッチャー関連の技術情報が目的だろう。黒いサクラは、その過程で生まれた副産物、あるいは、意識データ抽出のための実験体かもな」
亮の説明は、断片的だった情報を繋ぎ合わせ、事件の恐ろしい背景と輪郭をより明確にしていく。
「サイズは、EIOでの戦闘の後、黒いサクラを回収したと言ったな?」
「おそらく、今回の戦闘データや、ナイトライザーというイレギュラーな存在の情報を元に、さらにあのAIを改良してくるだろう。あるいは、全く別の形で、ドリームキャッチャー技術の悪用を企むかもしれん。奴は諦めるような男じゃない。」
亮の言葉は、事態がまだ終わっていないこと、そしてこれからさらに厳しい戦いが待っているであろうことを、冷徹に示唆していた。
部屋には、再び重苦しい沈黙が流れた。
篠上教授の裏切り、ガーデンの存在、人類のデータ化という狂気的な目的、そして回収された黒いサクラのデータ⋯⋯。
突きつけられた現実は、あまりにも重く、そして巨大だった。
彼らが立ち向かわなければならない敵は、想像を遥かに超えていた。
桜華は、まだショックから立ち直れずにいるのか、ソファに座り込んだまま俯き、その肩は小さく震えている。
エリスは、科学者として、そして篠上教授の元教え子として、サイズ博士の歪んだ思想への強い嫌悪感と、ドリームキャッチャーという自らが関わった技術が悪用されることへの強い危機感を抱き、唇を固く結んでいた。
悠斗は、これから立ち向かうべき敵の巨大さに改めて身が引き締まる思いだった。ナイトライザーの力は確かに強力だが、それだけでは足りないかもしれない。
「⋯⋯それでも」
最初に沈黙を破ったのは、悠斗だった。
彼は、俯いていた顔を上げ、その瞳には強い決意の光を宿していた。ここで立ち止まるわけにはいかない。
「それでも、俺たちは戦うしかない。あいつらの好きにはさせない。桜華姉を、エリスを、そして⋯⋯俺たちの日常と未来を守るために」
「⋯⋯うん」
エリスも、悠斗の隣で力強く頷く。彼女の瞳にも、迷いの色はなかった。
「サイズ博士のやろうとしていることは、絶対に間違ってる。ドリームキャッチャーは、人を幸せにするために作られた技術のはずだもん。あんな風に使わせるわけにはいかない⋯⋯!ボクが、止めてみせる⋯⋯!」
桜華も、ゆっくりと顔を上げた。
まだ瞳には涙の痕が残っているが、その奥には、二人と同じ、強い意志の光が灯り始めていた。彼女もまた戦うことを決意したのだ。
「⋯⋯私も、戦う。もう、誰かにつらい思いをさせるのは嫌だから。それに⋯⋯私にも、できることがあるはず。このまま黙って見ているだけなんてできない」
三人の決意を受け止め、亮は静かに頷いた。
その表情には、彼らへの信頼と、共に戦う者としての覚悟が浮かんでいるように見えた。
「覚悟は決まったようだな。だが、相手は巨大な組織だ。力だけでなく、情報、戦略、そして慎重さが求められる。俺も全力でサポートするが、決して無茶はするな。」
彼の言葉は、冷静な現実認識に基づいた、確かな重みを持っていた。
「まずは、情報を集め、体制を整えることからだ。サイズやガーデンの次の動きを探る必要がある。連中のアジトや協力者についても、さらに詳しく調べる必要があるだろう。それと⋯⋯」
亮は、そこで一旦言葉を切った。
(悠斗たちには監視タグが付けられている可能性がある。だが、今はまだ言うべき時ではないか⋯⋯)
「それと?」
悠斗は、話の途中で言葉を切った亮に、不思議そうに問いかけた。
「⋯⋯いや、今はまず、桜華の回復が最優先だ。そして、俺たちも一度落ち着こう。戦いは、始まったばかりだ。焦りは禁物だ」
亮の言葉に、三人は頷く。重苦しい空気は依然として残っている。
目の前には、あまりにも巨大で、底知れない敵が存在する。
その脅威は、仮想世界だけでなく、現実世界にまで及んでいる。
だが、それは絶望だけではない。
共に戦うという確かな決意と、互いを支え合う強い絆が生まれていた。
それは、これから始まるであろう過酷な戦いに立ち向かうための、小さくとも強い光だった。




