23:取り戻した温もり
EIOでの激闘を終え、仲間たちへ感謝の気持ちを伝えたあと、悠斗とエリスはログアウトした。
仮想空間での死闘と精神的な消耗は、現実の肉体にもずっしりとした倦怠感としてのしかかる。特に悠斗は、ナイトライザーとしての力の代償か、あるいは仲間に真実を告げられない罪悪感からか、普段よりも深い疲労を感じていた。
しかし、今は休んでいる暇はない。
神月亮から指定された合流場所へと、二人は逸る気持ちと、桜華の無事を一刻も早くその目で確かめたいという切実な願いを胸に、急いで向かっていた。
場所は、亮と作戦会議を行った純喫茶「ガスライト」。
帝王大学のキャンパスからも少し離れた、裏通りにひっそりと佇むその店は、昼下がりの穏やかな時間を纏っていた。
だが、店の奥にある書斎風の個室の空気は、外のそれとは全く異なっていた。重厚な扉を開けると、そこには張り詰めたような緊張感と、安堵と、そしてまだ消えぬ不安が同居していた。
部屋の中央に置かれたアンティーク調の長椅子に、女性が半ば横たわるように深く身を預けていた。彼女の腕には点滴のチューブが繋がっている。
艶やかな焦げ茶の髪は少し乱れ、いつも完璧に整えられているはずの服装も皺が深くなっているように感じる。
その顔色は青白く、目元には疲労と、そしておそらくは恐怖と混乱の痕跡が色濃く残っていた。
数日前までの、溌剌とした広報ウーマンとしての輝きは影を潜めていたが、しかし、その姿は紛れもなく――。
「桜華姉⋯⋯!」
「オーカさん⋯⋯!」
悠斗とエリスは、ほとんど同時に、その名を呼んでいた。声が震える。
そして、窓際に立つもう一人の影。神月亮は、いつもと変わらない黒を基調としたシンプルな服装で、窓の外を眺めていたが、二人の入室に気づくと静かに振り返った。
その表情は読み取りにくい。しかし、彼の纏う空気からは、作戦を遂行し終えた者の、わずかな安堵と、しかし依然として解けぬ警戒心が感じられた。
瀬島桜華は、二人の声に弾かれたように顔を上げた。
悠斗とエリスの姿を認めた瞬間、彼女の大きな瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。それは、安堵の涙か、あるいは溜め込んでいた恐怖と悲しみの発露か。
「ゆーくん⋯⋯! エリちゃん⋯⋯!」
桜華は、よろけるようにソファから立ち上がると、二人の元へ駆け寄り、その細い腕で力いっぱい二人を抱きしめた。
温かい、現実の感触。柔らかさ。微かな香水の匂い。
それは、仮想空間でのどんな体験よりも、確かな安堵と、彼女が生きてここにいるという実感を、悠斗とエリスにもたらした。
「ごめん⋯⋯ごめんね⋯⋯! 私のせいで、みんなに、あんな怖い思いさせちゃって⋯⋯! それに、心配かけて、本当に⋯⋯!」
桜華は、嗚咽混じりに謝罪の言葉を繰り返す。
彼女の声は震え、その体も小刻みに震えていた。
ガーデンに拉致され、自身が知らないうちに忌まわしいコピーAIが作られ、それが弟同然の悠斗や、大切な仲間たちを襲っていたという事実。それは、彼女にとって想像を絶する恐怖と、耐え難い罪悪感をもたらしていたのだろう。
「いや、桜華姉が無事でよかった⋯⋯! 本当に、それだけで⋯⋯!」
悠斗も、込み上げてくる感情を抑えきれず、声を詰まらせながら桜華の背中を強く、しかし壊れ物を扱うように優しく抱きしめ返す。姉のような、時には母のような存在。彼女を失うかもしれないという恐怖は、彼の心を蝕んでいたのだ。
「オーカさん、よかった⋯⋯! ほんとうに、よかった⋯⋯!」
エリスもまた、涙を流しながら、桜華の無事を心から喜んでいた。日本での頼れる保護者であり、本当の姉のように慕う存在。彼女を失うかもしれないという恐怖は、エリスにとっても耐え難いものだったのだ。その温もりが今は何よりも尊い。
しばらくの間、三人は言葉もなく、ただ互いの無事を確かめ合うように、固く抱きしめ合っていた。部屋には、桜華の静かな嗚咽と、二人のかすかな安堵の息遣いだけが響いていた。
亮は、そんな三人の様子を、少し離れた場所から静かに温かいとも取れる眼差しで見守っている。彼にとっても、この再会は特別な意味を持っているのかもしれない。
やがて、少し落ち着きを取り戻した桜華が、名残惜しそうに、しかしゆっくりと二人から体を離す。まだ目元は赤く腫れているが、その表情には確かな安堵の色が浮かんでいた。
「それで⋯⋯EIOの方は、どうなったの⋯⋯? 亮先輩から、ゆーくんたちが、私の⋯⋯あの『黒いサクラ』と戦ってくれてるって聞いて⋯⋯心配で⋯⋯」
桜華は、不安げに悠斗とエリスに尋ねる。自分のコピーAIがどうなったのか、そして仲間たちは無事なのか、気がかりで仕方ないのだろう。
悠斗は、エリスと視線を交わし、小さく頷き合うと、まず亮に向き直った。
「亮さん、本当にありがとうございました。姉ちゃんを助けてくれて⋯⋯言葉じゃ言い表せないくらい、感謝しています」
改めて、彼は深く頭を下げて礼を述べた。その声には、心からの感謝が込められていた。
「礼には及ばん。俺も桜華との約束を果たせたしな」
と、亮は静かに、しかし確かな声で応じた。
「それより、首尾はどうだった? EIOの方は」
彼の関心は、仮想空間での作戦の結果にあった。現実と仮想、二つの戦線がどう連携し、どのような結末を迎えたのか。
エリスが、まだ少し震える声で、しかし順序立てて報告を始めた。
「はい⋯⋯。作戦通り、『偽りのエンゲージ』で黒いサクラをおびき出すことには成功しました。それで、激しい戦闘になって⋯⋯」
彼女は一度言葉を切り、悠斗を見る。あの壮絶な戦いの光景が脳裏をよぎり、息を呑む。
悠斗が、その先を引き継いだ。
「俺が⋯⋯亮さんから受け取ったマクミラン教授のガジェット⋯⋯あれを使って、『ナイトライザー・アルバ』に変身して、黒いサクラと戦いました」
「⋯⋯そうか」
亮は短く応じた。
「成功したなら良かった。だが⋯⋯ナイトライザー? それは、なんだ?」
亮は作戦の成功を喜びつつも、自分の知らない固有名詞が出てきたことに、ふと疑問を口にした。
「えっ!? リョウさん、知らないんですか!?」
その言葉に、それまで神妙な顔つきだったエリスが、疲労も忘れたかのように、ぱっと顔を輝かせて食いついた。
日本に来てからというもの、日曜の朝に放送されているアニメ・特撮番組枠にすっかり魅了された彼女にとって、「ナイトライザー」という響きは特別なものだったのだ。
「今、とっても人気の特撮番組ですよ! バイクに乗って現れるスーパーヒーロー! 決め技はキックで!」
早口で熱弁を振るい始めるエリス。その瞳はキラキラと輝いている。
「⋯⋯エリス、落ち着け」
悠斗が呆れたように、しかしどこか微笑ましげに彼女を宥める。
「いや、まあ、その⋯⋯見た目が、そのヒーローに似てるからエリスがそう名付けただけで⋯⋯」
「ほう⋯⋯? 特撮⋯⋯?」
亮は、エリスのあまりの熱弁に少し面食らいつつ、苦笑いした。
彼は裏社会での活動が長く、そういったサブカルチャーには全く縁がなかった。
「まあ、名前はどうでもいい。とにかく、その力で黒いサクラを倒せたんだな?」
「は、はい⋯⋯」
悠斗は頷く。
「黒いサクラは⋯⋯最後、巨大な竜のような姿に変貌して、手がつけられない状態になりましたが、なんとか⋯⋯倒すことができました。」
彼は、あの激闘の結末を思い出しながら、改めて報告する。
「そうか⋯⋯よくやったな、二人とも。犠牲を出さずに済んだか?」
亮は、再び労いの言葉をかけた。
「はい、なんとか⋯⋯。でも⋯⋯」
エリスが、今度は苦渋の表情で続ける。
「その直後に、現れたんです。黒いサクラを操っていた、本当の黒幕が⋯⋯」
「⋯⋯やはりな。誰だった?」
亮が鋭く問い返す。
エリスは、隣に立つ桜華の顔をちらりと見た。
これから告げる事実は、彼女にとってあまりにも残酷だ。それでも、伝えなければならない真実。エリスは意を決し、震える声で告げた。
「⋯⋯篠上、先生⋯⋯でした」
「え⋯⋯?」
桜華の顔から、さっと血の気が引いた。
彼女は信じられないといった表情で、エリスと悠斗を交互に見る。その瞳は大きく見開かれ、混乱と絶望の色に染まっていた。




