21:傷だらけの帰還
どれほどの時間が経っただろうか。
しばしの沈黙の後、冷静沈着な魔法剣士のカノンが、我に返って、こめかみを押さえながら溜息混じりに呟いた。
「バ、バイクですって⋯⋯?! このファンタジー世界に、あのようなメカニカルな乗り物⋯⋯!一体、どこまでこの世界のルールを壊すつもりなのかしら⋯⋯!」
その声には、困惑と驚嘆の色が複雑に滲んでいた。
彼女の論理的な思考では到底理解できない現象の連続だった。
「でも、助かったのは確かですわね⋯⋯。わたくしたちだけじゃ、どうにもならなかったもの」
神聖騎士ユートですらも一瞬で倒れ、誰もが為すすべがなかった事実を振り返り、カノンは現実的な視点を付け加えた。
「ナイトライザー⋯⋯! 覚えておくっす!いつかまた会いてぇっす!」
カイは、ナイトライザーが消えた方向の空を睨むように見つめ、興奮冷めやらぬ様子で拳を強く握りしめた。その瞳には、恐怖よりも強い憧憬の光が宿っていた。
エリスは、そんな仲間たちの様子を静かに見守りながら、ナイトライザーが去っていった空の彼方を見上げていた。その視線は複雑な色を帯びている。
(ユート⋯⋯すごかった⋯⋯。本当にヒーローそのものだったよ⋯⋯!)
内心で込み上げてくる興奮と、彼への誇らしさ、そして無事に作戦を遂行できたことへの安堵感。
あのガジェットを調整し、彼に託して良かったと心から思う。
しかし同時に、仲間たちへの秘密ができたことへの申し訳なさや、サイズ博士というあまりにも強大な脅威の出現に対する漠然とした不安が、エリスの胸を重く締め付ける。
これは終わりではない。むしろ、ここからが本当の戦いの始まりなのだと。
そして、悠斗の、ナイトライザーの「伝説」は、今まさにこの瞬間から始まったのだと。
エリスのその翠色の瞳には、強い意志の光が宿っていた。
理解できない事象に対するわずかな苛立ちと、未知の力への警戒心が、彼女の声に複雑な色合いを与えていた。
「⋯⋯ユートさんは⋯⋯大丈夫かな⋯⋯。あの時、光の粉になっちゃって⋯⋯」
モモが、ふと最も重要な懸念を思い出したように、か細い声で呟いた。
その言葉は、ナイトライザーへの興奮に浮ついていた場の空気を一瞬で現実に引き戻す。
ユートは、黒いサクラの凶刃に倒れ、光の粒子となって消滅したままなのだ。
ナイトライザーの登場という衝撃で、意識から外れていた事実。
メンバーたちの顔に、再び不安の色が濃く浮かび上がる。
エリスもまた、内心の安堵とは裏腹に、心配そうな表情を浮かべて俯いた。
その、メンバーたちの間に再び重苦しい空気が流れ始め、誰もがリーダーの安否を気遣い始めた、まさにその時だった。
広場の隅、天空神の聖域の転送ゲートが、不意に淡い光を放ち始めた。
それは不安定に明滅し、まるで接続が切れかかっているかのようにも見える。
「⋯⋯!」
メンバーたちの視線が一斉に、その光るゲートへと集まる。
光が強まり、ゲートの中心から人影が現れる。
それは、見慣れた神聖騎士の鎧――しかし、その姿は見るも無惨な状態だった。
鎧のあちこちは黒く煤けている。
黒いサクラから受けたダメージがそのまま残っているのか、胸当てには深い亀裂が走り、肩当ての一部は砕けて欠落している。
磨き上げられていたはずの白銀の輝きは失われ、くすんだ鈍色に変わっていた。
光の中からよろめき出るように現れた悠斗は、片膝をつき、激しく肩で息をしている。
「ユート!」
「ユートさん!」
エリスが、そしてカイが、ほとんど同時に叫びながら駆け寄る。他のメンバーたちからも、安堵の声にならない声が漏れた。
「ユートさん!ボロボロじゃないっすか!大丈夫っすか?!一体どうなって⋯⋯」
カイは悠斗の無残な姿に目を見開き、慌ててその体を支えようと手を伸ばした。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯悪い、みんな⋯⋯。心配、かけたな⋯⋯」
悠斗は、エリスとカイに少しだけ体を預け、苦しげに顔を上げ、荒い息を整えようと努める。
その顔色は蒼白で、見るからに消耗しきっている様子だった。
ナイトライザーとしての激しい戦闘は、アバターのHPやMPといったゲーム的な数値には現れない、精神的な消耗を彼に与えていた。
「ああ⋯⋯死に戻りになっちまった⋯⋯油断したわけじゃないんだが⋯⋯。ダメージが強すぎて意識が飛んでてさ。気づいたら時間が経ってて……みんなが心配で、慌ててリスポーン地点から戻ってきたんだ⋯⋯」
彼のその声からは、言葉の端々から苦痛が滲んでいるように聞こえ、激戦の末に力尽きた事に説得力を与えていた。
「それにしても、酷い目にあった⋯⋯。死ぬかと思うくらい痛かった⋯⋯あれは、もうゲームのダメージじゃないな⋯⋯」
悠斗は顔を顰め、亀裂の入った胸当てのあたりや、節々を押さえる。
メンバーたちも、自分たちが経験したあの異常な痛みを思い出し、彼の言葉に疑いを持つ者はいなかった。
そして、彼は改めて周囲の惨状――破壊され尽くした聖域と、今はもう存在しない黒いサクラの痕跡――を見渡した。
「⋯⋯俺がやられた後、何があったんだ⋯⋯? 黒いサクラは⋯⋯?」
悠斗の問いかけに、アスマが重々しく口を開いた。
「⋯⋯お前が光の粉になった後、謎の白い騎士が現れた」
彼は淡々と、しかしその言葉には確かな重みがあった。周囲の瓦礫を一瞥し、続ける。
「そいつが、あの黒いサクラ⋯⋯いや、最後は巨大な竜の姿になっていたが、それを倒していった」
「『ナイトライザー』と名乗っていましたわ」
カノンがアスマの言葉を引き継ぐように説明する。
彼女は冷静な目で悠斗を見据え、その観察眼で彼の反応を探るように問いかけた。
「その力は尋常ではありませんでした。まるで、この世界の理そのものを書き換えるような⋯⋯。ユートさん、何か心当たりは? あの黒いサクラの出現も含めて、今回の件はいったい何が起きておりますの?」
カノンの鋭い問いかけに、悠斗は内心で冷や汗をかいた。彼女の推察力は侮れない。
「ナイトライザー⋯⋯? いや、俺もリスポーン地点からここまで戻ってくるのに必死だったから⋯⋯。でも、俺たちが手も足も出なかった相手を、その人が倒してくれたってことですよね⋯⋯?」
彼は、心底安堵したように大きく息をつき、カノンの追及から巧みに話題を逸らそうとする。
「ゆ、ユートさん⋯⋯! ほんとによかったぁ⋯⋯! ぐすっ⋯⋯すごく怖かったよぉ⋯⋯!」
モモが、感極まったように涙ぐみながら悠斗に駆け寄る。
彼女はリーダーが無事だと判り、心の底から安堵していた。
「ユートさん、お怪我は⋯⋯?」
傷ついた悠斗の鎧を見て心を痛めながらも、アカリはそっと言葉をかけた。
「リアルの怪我は、してないと思う⋯⋯エリス、回復お願いできるかな? さすがにHPがギリギリみたいで⋯⋯」
悠斗は、仲間たちの心配を受け止めつつ、エリスに回復を頼む。
エリスは「うん、任せて!」と力強く頷き、白く輝く杖を構える。
柔らかな光が悠斗のアバターを包み込み、HPゲージが回復していくエフェクトが表示される。
「いやー、マジ、強かったっすね、ナイトライザー! 一体何者なんすかね!オイラ、ファンになっちまったかも!」
カイは、悠斗の無事を喜びつつも、まだナイトライザーへの興奮が冷めない様子で、目を幼い少年のように輝かせている。
彼の単純さが、今の悠斗にとっては少しだけ救いだった。
「まあ、今は助かったことを喜ぼう。そのあと、結局、あの黒いサクラはどうなったんだ?」
悠斗は、回復魔法を受けながら、ナイトライザーへの関心を逸らすように、そしてリーダーとして状況を把握するために、核心に触れる質問をメンバーに投げかける。
「黒いサクラが倒れたあと……サイズ博士と名乗る老人が現れて……あのAIを連れていきましたわ……」
カノンは悠斗の疑問に沈痛な面持ちで答え、その真実について言葉を詰まらせていた。
「サイズ博士……何者なんだ?」
「篠上先生……だったんだよ、ユート」
エリスは、恩師が「優しい篠上教授」の仮面を外し、「サイズ博士」へと変わっていく姿を思い浮かべ、またしても悲しみに包まれている。




