19:狂気の理想
「『篠上教授』という役柄は少々退屈でね。ちょうど良い機会だ、ここで完全に脱ぎ捨てさせてもらうとしよう」
彼は芝居がかった仕草で軽く肩をすくめ、天を仰ぐ。
それは、長年被り続けた温厚な教授という仮面との決別。
そして、エリスにとっては、積み上げてきた信頼と尊敬が、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、絶望的な裏切りへと変わった瞬間だった。
サイズ博士がそう宣言し、軽く指を鳴らす。
パチン、と乾いた音が、静まり返った聖域に妙に大きく響いた瞬間、彼のスーツ姿のアバターが、不気味な黒紫色のモヤのようなオーラに包まれ、その姿がぐにゃりと歪み、変貌を遂げる。
モヤが収まると、そこに立っていたのは、先ほどまでの教授の面影を骨格に留めつつも、全く異なる禍々しい印象を与える老人だった。
黒を基調とした、どこか古めかしく、しかし威厳を感じさせる仕立ての良いフロックコート風のロングスーツ。
白髪はより鋭角的に、厳しく後ろに撫でつけられ、丸眼鏡の奥の瞳は爬虫類のような冷徹さと、抑えきれない狂気を宿した光を爛々と放っている。
温和さは完全に消え失せ、冷酷非情なマッドサイエンティスト、あるいは世界の裏側で暗躍する秘密組織の指導者としての、底知れない威圧感を周囲に撒き散らしていた。
「どういう⋯⋯ことですか⋯⋯先生!」
エリスがか細い声で問いかける。目の前の信じられない光景と、恩師による完全な裏切りに、彼女の心は恐怖と混乱で砕け散りそうだった。
足元が崩れていくような、世界が反転してしまったかのような感覚に襲われる。
「君には感謝しているよ、エリス君。君のその類稀なる才能は、実に素晴らしい。いずれ私の計画の役に立つだろう」
変貌したサイズ博士は、まるで美しい蝶の標本でも見るかのように、エリスの動揺を観察し、それを楽しむかのように、歪んだ笑みを浮かべて続ける。
「だが、君はまだ若く、青すぎる。真の『進化』⋯⋯人類が肉体という牢獄から解き放たれ、精神が永遠のデータとなる新たなステージへ昇華するためには、旧い感傷や、ちっぽけな倫理観などは、ゴミのように捨て去らねばならんのだよ」
彼は、自らの狂気的な理想を、さも人類の未来を示す輝かしい真理であるかのように語る。
「君はいずれ、私の元へ来てもらう。抵抗は無意味だ。その才能、私の計画のために、存分に有効活用させてもらおう。『人類救済プログラム』⋯⋯人類の進化に貢献できるのだ、光栄に思うことだ」
それは、協力の依頼などではない。一方的な宣告であり、彼女の自由と未来を奪い去ろうとする、支配者の言葉だった。
「ふざけるな!誰かの自由を奪うことは、この俺が許さん!」
ナイトライザーは、この姿への内心の葛藤を振り払い、純粋な怒りを込めて叫び、アルバカリバーを召喚してサイズ博士へと再び斬りかかる!
白い閃光が、黒衣の老人に迫る!
だが、その動きはまたしても、博士の目前で見えない力に阻まれた。
まるで分厚い粘液に絡め取られたかのように動きが鈍化し、やがて完全に停止させられる。
不可視の障壁。アルバカリバーの刃は博士の数センチ手前でぴたりと止まっていた。
「ぐっ⋯⋯!このっ⋯⋯!」
「だから、無駄だと言っただろう?」
サイズ博士は嘲笑する。
「君のその未知の力、実に興味深い。だが、今の私を相手にするにはあまりにも未熟⋯⋯おや⋯⋯?」
――ビシッ!
サイズ博士の張った障壁に微かだがヒビが入っていた。
「なんと⋯⋯! 油断ならんね、白騎士君!」
ナイトライザーの力は博士に驚きをもたらしたようだ。
サイズ博士は懐から、先ほど黒いサクラを吸収した銀色のデバイスを取り出し、それを愛おしげに撫でながらナイトライザーに告げる。
「自由を奪う⋯⋯瀬島桜華のことかね? 確かに彼女は逃がしてしまった。あの忌々しい『ツクヨミ』の小僧⋯⋯。きゃつの妨害は想定外だった。まさか、あの施設から単独で脱出させるとはな。大したものだ」
彼は忌々しげに吐き捨てる。亮の存在は、彼の計算を狂わせる最大の要因の一つらしい。
だが、すぐに彼はデバイスに視線を落とし、歪んだ、満足げな笑みを深める。
「幸い、オリジナルから得るべき基礎データは、この『娘』にすべて吸収させてもらった。もはや余計な感情に振り回される不安定なオリジナルよりも、私が自由に調整できるこの『娘』の方が、よほど扱いやすくて好都合というものだ。これで私の理想は、より早く、より完璧に実現できるだろう」
彼の言葉は、桜華本人への関心の薄さと、AIへの異常なまでの執着、そして人間性そのものへの侮蔑を明確に示していた。
「貴様⋯⋯!!」
ナイトライザーが怒りに全身を震わせるが、不可視の障壁に阻まれ、それ以上進むことができない。ライザーソードを持つ手が悔しさにギリリと音を立てる。
「では、さらばだ。再開を楽しみにしているよ。次に相見える時は、より興味深いデータを見せてくれることを期待しよう」
サイズ博士は歪んだ笑みを浮かべると、背後の空間に手をかざす。
彼の周囲の空間が再び黒紫色に歪み始め、渦を巻いて彼自身を飲み込んでいき、障壁も同時にその効力を失っていく。
「待て!その『器』とやらをどうする気だ!」
ようやく自由になったナイトライザーが叫びながら飛びかかろうとするが、一歩遅かった。空間の歪みは完全に閉じ、サイズ博士の気配はこの聖域から完全に消え失せていた。
後に残されたのは、さらなる破壊の痕跡が刻まれた天空神の聖域と、やり場のない怒りに打ち震えるナイトライザー、そして敬愛する師の裏切りと黒幕の正体を知り、ただ呆然と立ち尽くすエリス、事態の深刻さを改めて思い知り、言葉を失うカーマインスピリットのメンバーたちだけだった。
篠上教授は、彼らの前から姿を消した。
それは、彼が表舞台から完全に退場し、ガーデンの幹部『サイズ博士』として、裏の世界で本格的に動き出すことを宣言した瞬間でもあった。




