18:脱ぎ捨てた仮面
漆黒の竜へと変化した黒いサクラとの激闘が終わり、破壊された天空神の聖域には、まるで世界の時間が止まったかのような、重く異様な静寂が支配していた。
戦闘の凄まじさを物語る黒紫色の魔力の残滓が、空気中に漂っては消え、微かに硫黄のような異臭を漂わせる。
粉塵はゆっくりと舞い降り、先ほどまで神聖な儀式が行われていたはずの中央広場の惨状を、無慈悲に照らし出していく。
美しかったはずの白い石畳は砕け散り、あちこちが黒く焼け焦げ、あるいは竜のブレスによって溶解したかのように歪んでいる。
悠久の時を刻んできたはずの巨大な石柱は、根元から無残にへし折られ、その破片が広場に無数に散らばっていた。
そして広場の中心、瓦礫の中に埋もれるようにして、抜け殻のように動かなくなった黒いサクラのアバターが横たわっていた。
カーマインスピリットのメンバーたちは、アドレナリンが急速に引いていく中で、全身を襲う激しい疲労感と、負傷箇所からの鈍い痛み、そして何よりも精神的な衝撃に打ちのめされ、しばし呆然とその場に立ち尽くしていた。
アスマは槍を杖代わりに体重を預け、荒い息をつきながらも鋭い視線で周囲への警戒を解かない。
モモは近くにいたアカリにしがみつくようにして、まだ小刻みに震えている。
カノンは冷静さを保とうと努めているのか、眉間に皺を寄せ、破壊された広場と動かなくなった黒いサクラのアバターを分析するように見つめていた。
エリスもまた、ナイトライザー(悠斗)の無事と勝利には安堵しつつも、しかし、仲間たちが未だ悠斗の消えたことを心配している声を聞くと、胸が締め付けられるように痛んだ。
仲間たちを騙しているという事実が重くのしかかる。
「⋯⋯終わった、のか⋯⋯?」
アスマが、絞り出すような声で呟く。その声は、まだ現実感が伴わない響きをしていた。
カイが、アスマの声に反応するように、ゆっくりと顔を上げた。
彼は負傷した腕を押さえながらも、瓦礫の向こうで静かに佇む、白い騎士――ナイトライザーを見上げる。
その瞳には、恐怖を乗り越えた興奮と、未知の力への畏敬の念が宿っていた。
「すげぇ⋯マジですげぇっすよ、あの白い騎士⋯⋯!いったい、何者なんすかね⋯⋯? あんな化けモン倒しちまうなんて⋯⋯」
彼のストレートな賞賛と疑問は、その場にいる多くのメンバーの気持ちを代弁していた。
アカリも、張り詰めていた糸が切れたように、ほっと息をつく。
しかし、彼女の細い眉はすぐに寄せられた。気遣わしげな視線が、動かなくなった黒いサクラへと向けられる。
「本物のサクラさんは⋯⋯どうなったんでしょう?ユートさんも、無事だと良いのですが⋯⋯」
彼女の声は、戦闘が終わってもなお残る深い憂慮を帯びていた。
ナイトライザー=悠斗は、機能停止した黒いサクラのアバターを静かに見下ろしていた。
異形の怪物を打ち倒し、仲間を守り切った。ミッションは完了した。
桜華姉は無事だというメッセージも受け取った。
けれども、実の姉にも等しい従姉と同じ顔、同じ声を持つAIを自らの手で破壊したという事実。
達成感よりも、心に重くのしかかる後味の悪さは拭えなかった。
その、誰もが戦闘の終結と、その代償の大きさを噛みしめ、一瞬の虚脱感に包まれた、まさにその瞬間だった。
――パチ、パチ、パチ⋯⋯
聖域に突如拍手が鳴り響いた。
「――見事だ。実に興味深い。予想外の展開もあったが、結果としてより価値のあるデータが収集できたようだ」
場違いなほど落ち着いた、穏やかな、しかし一切の感情の温度を感じさせない老人の声。
それは、この場の空気も、戦闘の激しさも、まるで他人事のように語る冷徹な観察者の響きを持っていた。
「!?」
ナイトライザーが弾かれたように声の主を探し、全身に再び激しい緊張が走る!
メンバーたちも、その声に含まれた不穏な響きを敏感に察知し、反射的に武器を構え直した。疲労困憊のはずの体が、新たな脅威の出現を前に無理やり奮い立つ。
そこには、いつの間にか一人の老人が立っていた。機能停止した黒いサクラのアバターのすぐ傍らに、まるで空間から滲み出るように、音もなく。
エリスが日常的に大学で見てきた落ち着いた色合いの上品なスーツ姿。
綺麗に整えられた白髪。知的な印象を与える丸眼鏡。それは、紛れもなく――彼女がよく知る人物の姿。
「し、篠上⋯⋯先生!?」
エリスが、ほとんど悲鳴に近い、信じられないといった表情で、震える声で老人の名を呼んだ。
なぜ、彼がここに?いつも大学の研究室で穏やかに笑っている、あの優しい指導教官が、どうしてこんな、EIOの中でも隔絶された最奥の地に?
ありえない。何かの間違いだ。
エリスの思考は混乱を極める。だが、彼の纏う雰囲気は、エリスの知る『篠上教授』とは決定的に異なっていた。
穏やかな微笑みの代わりに、全てを見透かすような冷たい計算が。温和な眼差しの代わりに、得体のしれない目的意識が、その丸眼鏡の奥の瞳に宿っているように見える。
それは、獲物を前にした捕食者のような、冷たく鋭い光だった。
「先生⋯⋯?どうして、ここに⋯⋯?」
エリスは混乱し、後ずさりながら言葉を続けるのがやっとだった。
彼女の尋常でない様子と、老人の放つただならぬ雰囲気に、他のメンバーたちもざわめき、老人への警戒を一層強める。
カイやアスマはエリスと老人の間に割って入るように位置取りを変え、カノンとアカリは魔法や弓の発動準備を整える。
篠上教授は、エリスの問いかけにも、周囲の警戒にも全く意を介さず、まるで道端に落ちている珍しい石でも見つけたかのように、ゆっくりと黒いサクラのアバターへと歩み寄った。
彼はアバターの傍らに屈み込むと、その壊れた顔を覗き込んだ。
戦闘で傷つき、汚れた頬を、彼はまるで貴重な芸術品を扱うかのように、優雅な仕草でそっと指で拭う。
その所作は一見すると慈しみに満ちているようにも見えるが、彼の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「ふむ⋯⋯リンク切断の影響はやはり大きいか。それに謎の白い騎士というイレギュラー⋯⋯。予想以上に手こずったようだが、おかげで実に興味深いデータが取れた」
彼は個人的な感傷を滲ませるかのように見せながらも、その呟きは冷徹な研究者の分析そのものだった。彼はアバターの壊れた腕に触れ、その内部構造を確かめるように動かす。
「だが、心配はいらない『我が娘』よ。この記録があれば、お前はさらに完璧な存在へと生まれ変われる⋯⋯」
独り言のように紡がれる言葉。AIに向けられた「娘」という呼びかけ。
特定の誰かを重ねているような歪んだ執着。
その異様さに、エリスだけでなく他のメンバーたちも背筋が凍る思いだった。
「貴様が⋯⋯このAIを操っていた黒幕か!」
ナイトライザーが、低い、地を這うような怒りを抑えた声で言った。
確信があった。
この老人こそが、黒いサクラを生み出し、桜華を苦しめ、仲間たちを危険に晒した元凶なのだと。
その言葉に、篠上教授はゆっくりと立ち上がり、初めてナイトライザーへと視線を向けた。
その顔には、もう大学で見せる温和な教授の仮面は微塵も残っていなかった。
全てを見透かすような冷徹な瞳。そして、唇の端に浮かんだ、薄く、冷たい、まるで獲物を見つけた蛇のような、嘲るような笑み。
「ようやく理解が追いついたかね、イレギュラーな騎士君。そうだ、私が『サイズ博士』⋯ガーデン、『アーカイブス』派の指導者だよ」
彼は、あっさりと、まるで長年隠していた秘密を披露するかのように、自らの正体を明かした。
「『篠上教授』という役柄は少々退屈でね。ちょうど良い機会だ、ここで完全に脱ぎ捨てさせてもらうとしよう」




