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14:開演・偽りの誓約


 蒼穹の果て、眼下に広がる無限の雲海を見下ろす場所にその忘れられた聖域は存在した。


 EIOーーエターナル・イマジン・オンラインの中でも最難関とされる空域を踏破し、さらに複雑なギミックを解き明かした者だけが到達を許される高難易度エリア――「天空神の聖域」。


 かつて天空を支配したという古の種族が遺した文明の残滓。

 磨耗し、蔦に覆われた巨大な石柱が、物理法則を無視するかのように虚空に林立している。そして柱の間には、一部が崩れ落ちた回廊が続いていた。


 吹き抜ける風は、仮想空間のデータでありながら、どこか肌寒く、古の記憶を囁くような低く不思議な音を運んでくる。


 降り注ぐ陽光は白く拡散し、聖域全体を神聖な、しかしどこか現実感の薄い光で満たしていた。滅びの美しさとでも言うべき、物悲しくも荘厳なフィールドだ。


 カーマインスピリットのメンバー以外に、この聖域への道を知る者はごく僅かであり、外部からの干渉は限りなくゼロに近く、作戦実行には最適な場所だった。


 その聖域の中でも比較的開けた中央広場。

 そこには、今回の作戦のために急ごしらえされた簡素な祭壇がぽつんと設けられていた。

 白い布が掛けられ、周囲にはこの聖域にのみ自生するというレアアイテム、淡く燐光を放つ白い花々――「星屑の百合」――が清らかに飾られている。


 だが、その神聖な雰囲気とは裏腹に、その場を満たしているのは祝福の空気ではない。

 極度の緊張感が漂い、全員の神経が最大限に研ぎ澄まされていた。


 参列者は、作戦に同意してくれたカーマインスピリットの精鋭メンバー約20名のみ。

 カイ、アスマ、アカリ、カノン、モモ、ケビン⋯⋯といった中心メンバーは皆、決戦に備えた完全装備――輝きを放つ鎧、魔力を秘めたローブ、抜き身の剣や構えられた杖――を纏い、祭壇を半円状に囲んで配置についている。


 それは祝福の列席者というより要人を警護する陣形、あるいは、いつ現れるとも知れぬ強敵を迎え撃つための迎撃態勢そのものだった。


 彼らの表情は一様に硬く、強張っている。

 視線は祭壇上の二人に注がれているようでいて、その実、周囲の空間――柱の陰、回廊の入り口、頭上の虚空、眼下の雲海――あらゆる方向へ絶えず警戒を巡らせていた。


 二日前の、あの悪夢のような戦闘。

 仲間サクラの姿をした敵からの、リアルな痛みを伴う一方的な蹂躙。

 その記憶と恐怖は、彼らの精神に深く刻み込まれ、今もなお生々しく蘇ってくるのだろう。


 双剣士カイは落ち着きなく双剣の柄を何度も握り直し、

 槍術士アスマは石像のように動かず、ただ一点、空間の歪みが生じそうな場所を睨みつけている。


 弓術士アカリは心配そうに祭壇上のエリスを見つめ、魔法剣士カノンは眉間に皺を寄せ、この作戦の倫理的な危うさにまだ葛藤しているかのようだ。


 そして召喚術師モモは、小さな体で杖を胸に抱きしめ、恐怖に耐えるように小さく震えていた。


 精霊術師ケヴィンは、モモとアカリの背後に控え、周囲を警戒していた。いつもの軽口を叩くような余裕は、そこにはなかった。


 その張り詰めた空気の中心、祭壇の前に立つのは、この作戦の核であり最大の囮であるユートとエリスだ。


 今日のこの作戦のため、二人は普段の戦闘装備ではなく、特別な衣装を纏っていた。

 EIOで執り行われる魂の結びつきを確認する儀式ーエンゲージ。これはその儀式のための正装である。


 神聖騎士ユートは騎士の鎧をモチーフにした、白地に金の刺繍が施された気品ある騎士礼服。手には剣ではなく儀式用の短い杖を持っている。

 治癒術師エリスは、純白のシルクと星屑のような輝きを持つレースで仕立てられた、繊細なデザインのウェディングドレス。


 風に揺れるベールが彼女の表情を神秘的に覆っている。

 その姿は、EIOのシステムが生み出すアバターとはいえ、息を呑むほどに美しく、この古代聖域の神聖な雰囲気に奇妙なほど溶け込んでいる。


 だが、その美しさとは裏腹に、彼らの内面は他のメンバー以上に張り詰めていた。

 ユートは凛とした姿勢を保ちながらも、内心ではリーダーとしての重圧と作戦への不安を感じていた。

 礼服に隠れた左手首には例の腕時計型のガジェットが、その存在を主張するように冷たく巻かれている。これが最後の切り札。


(大丈夫⋯ユートも、みんなも、ボクが守る⋯!)


 エリスは、ユートの隣でドレスの裾を微かに震わせながらも、翠色の瞳には強い意志の光を宿していた。


「⋯時間だ」


 ユートの声が、静寂を破った。

 時計の表示が示すのは深夜0時。作戦開始の合図。


 エリスが、祭壇の脇に控える神官風NPCに、小さく頷いて合図を送る。NPCはプログラムに従い、荘厳な、しかし感情の欠落した合成音声で口上を述べ始めた。


「天空の神々の御名において、今、ここに集いし者たちの祝福を受け、二つの魂は一つとならん⋯。ユート、そしてエリス。汝ら、永遠の絆を誓うか⋯」


 NPCの声が、柱と回廊に虚しく反響する。

 儀式の言葉とは裏腹に、誰もがその先の破滅的な展開を予期していた。

 風の音に紛れて聞こえる微かなノイズ。視界の端で揺らぐ光の粒子。仮想空間のテクスチャが僅かに乱れる感覚。


 ピリッ――!


 空気が灼けるような感覚。明確な『悪意』の気配が、すぐそばまで迫っている!


「⋯来るぞ!」


 アスマが低く警告を発し、槍の穂先を揺らぎの中心に向ける。

 他のメンバーも一斉に武器を構え、スキル発動の準備に入る!

 祭壇の真正面、広場の中央の空間が、突然、黒い泥の中に石を投げ込んだかのように激しく揺らぎ始めた。


 まるで空間そのものが悲鳴を上げているかのような、耳障りな高周波ノイズが全員の聴覚を(仮想的に)突き刺す。揺らぎの中心が、急速に漆黒へと染まっていき、そこからゆっくりと、粘性のある闇を引きずるように人影が滲み出した。


 艶やかな黒髪。

 死人のように白い肌。そして、光すら吸い込みそうな禍々しい漆黒のローブ。

 背には、死神が持つような丈のある黒檀製の大鎌が装備されており、禍々しい存在感を放っている。湾曲した黒鉄色の刃は鋭い。


 寸分違わぬサクラの姿でありながら、その存在が放つオーラは、生命に対する冒涜そのものだった。


 ――彼女、『黒いサクラ』が、顕現した。


 黒いサクラは、ゆっくりと顔を上げ、集まったカーマインスピリットのメンバーたちを一瞥する。

 その瞳には何の感情もなく、まるで路傍の石を見るかのようだ。彼らの存在など、取るに足らない邪魔な背景オブジェクトでしかない、とでも言うように。


 そして、その視線は真っ直ぐに祭壇の上の二人へと固定された。

 ユートを捉えた瞬間、その凍てついた無表情が、ぐにゃりと歪む。


 見る者の心を掻き乱す暗く粘つくような光。それは歓喜、憤怒、あるいはその両方が倒錯的に混じり合ったものか。


 強烈な独占欲と支配欲。次いで、隣に立つエリスに向けられた時、その瞳は一転して純粋な憎悪と殺意に染まった。

 温度のない炎が、エリスの存在そのものを焼き尽くさんと燃え盛る。


「⋯⋯みぃつけた⋯⋯」


 囁きは、死の宣告のように響いた。


「よくも⋯⋯わたしの、大切なゆーくんを⋯⋯誑かしてくれたわね⋯⋯この、泥棒猫⋯ッ!」


 静けさの中に、煮えたぎるマグマのような憎悪を秘めた言葉。


「ゆーくんは、わたしのもの。誰にも渡さない。あなたなんかには、絶対に⋯!」


 壊れた人形のようにぎこちなく、しかし明確な悪意を宿し、黒いサクラは背負っていた大鎌を音もなく抜き放ち、両手で構える。


 巨大な鎌の刃に、黒紫色の破滅的なエネルギーが奔流のように集まっていた。

 空間がバチバチと軋み、その奔流が放つ圧力だけで広場の空気は重く歪む。


「だから⋯⋯まずはあなたから、消えてもらうわ⋯⋯エリスゥゥゥ!!」

「エリス、危ない!」


 ユートが叫び、礼服の裾を翻してエリスを庇うように前に出るのと、黒いサクラが大鎌に凝縮された黒紫色のエネルギーを薙ぎ払うようにして解き放つのはほぼ同時だった。


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