13:真月の夜
「困ったことに、アイツラはそれが人類にとっての幸福だと思っているんだよ。だれもそんな進化なんて望んでねぇのにな」
「進化⋯⋯が悪いことなの⋯⋯?」
「お前はその実験に使われてたんだよ」
「⋯⋯!」
そんな現実なのか非現実なのかよくわからない話をしていると、トンネルの先が見えてきた。
そこは森だった。いや、森というレベルではなく樹海⋯⋯だろうか。
本当にどこに自分がいるのかまったくわからない。
知覚反応研究所は都心から離れているとは言え、東京だったのに。
「富士の樹海だよ。ここなら奥の方まで入ってくるやつはあまりいないから、奴らが研究施設を作るには都合が良かったんだろうな」
そういって先輩は私を物陰に降ろすと、トンネルの先を凝視した。
トンネルの先には警備兵がこちらを監視していて、脱出しようとしている私たちを待ち構えているようだった。
「足が必要だな。ちょっとアイツらを眠らせて確保してくるか」
先輩は彼らの後にオフロード車が止まっているのを確認すると、またあの不思議なハンドサインを結びはじめた。
次の瞬間、彼の輪郭が陽炎のように揺らぐ。まるでそこに居るのに居ないかのような、注意深く見ないと見失いそうなくらい存在感が希薄になっていった。
その直後、先輩は警備兵たちに気づかれることなく背後へ回り込み、一瞬で彼らを制圧していた。
動きが速すぎて何が起きているのかよくわからないが、警備兵たちもさっきの隊長を倒したときのように電気が走ったような動きをしていたので、命は奪っていないのだろう。
「先輩、助けてくれてありがとう。でも、ちゃんと説明してもらえますか?」
先輩が敵から奪ってきたオフロード車に乗り込みひと心地ついたあと、ようやく口が普通にまわるようになってきた私は、先輩にそのように質問した。
「まあ、状況がつかめなくて気持ち悪い、というのはよく分かる」
「そうですよ⋯⋯」
「説明するよ。だがその前に、弟くんにメッセージを送ってくれないか?」
「え? 弟って⋯⋯ゆーくんに?」
「ああ、悠斗も今戦ってるよ。お前のコピーとな」
「どういうこと?!」
先輩が何を行っているのか全くわからないので、思わず先輩に掴みかかってしまった。
「わかったわかった、ちゃんと説明する。だから、一言自分は無事だと送ってやってくれ」
ゆーくんが戦っているというのがよくわからないが、こういう状況である以上、心配をかけているのは間違いない。
差し出されたスマホで、ゆーくんの名前を探す。
胸が痛む。
――悠斗も今、戦ってるよ。お前のコピーとな――
コピー⋯⋯私の? あの悪夢は現実⋯⋯? 私のせい⋯⋯?
違う、と思いたい。でも、心の奥底にある黒い気持ち⋯⋯エリちゃんへの嫉妬、ゆーくんを手放したくない気持ち⋯⋯それを利用された⋯⋯?
(ごめん⋯⋯ゆーくん、エリちゃん⋯⋯!)
震える指で、メッセージを送る。
『無事。亮先輩と一緒だから心配しないで』
どうか、届いて。そして、無事でいて⋯⋯。
「よし、行くぞ」
先輩の声で現実に引き戻される。そしてオフロード車が走り出す。
窓の外は樹海の闇。信じられない状況だけど、これが現実。
先輩が語るガーデン。人類の進化。私が実験に⋯⋯。
吐き気がする。私の知らないところで、何てことを⋯⋯。
「コピーは、俺がお前をカプセルから解放したことでリンクが切れ、弱体化しているはずだ。悠斗は今頃、その弱ったAIを叩いている。エリスちゃんと一緒に、俺が渡した『切り札』を使ってな」
ゆーくんが、戦ってる。エリちゃんと、二人で。
私が守ってきたはずのゆーくん。もう、守られるだけの存在じゃないんだ。
これが「巣立ち」? ⋯⋯寂しい。でも、今はただ、申し訳なくて⋯⋯。
落ち着かない気持ちを切り替えるために先輩に問いかける。
「先輩は⋯⋯どうして⋯⋯?『ツクヨミ』って⋯⋯?」
あの強さは何? コードネームって?
先輩は車を走らせながら静かに語る。
「俺は月読命を祀る『神月家』の末裔だ。子供の頃から一族の忍術を叩き込まれてきた」
神月家⋯⋯忍術⋯⋯。やっぱり、ただの人じゃなかった。
「子どもの頃、里が襲撃され俺はガーデンに囚われた。⋯⋯強化人間の実験体にされたんだ」
強化人間⋯⋯? 彼の過去は、想像を絶する。
「何度も薬を使われ、改造され⋯⋯一度、死んだ」
「え⋯⋯?」
「だが、それが引き金になったらしい。封じられていた『神月の血』が目覚め、蘇生した。⋯⋯満月の夜だったおかげでな。そのまま、研究所を壊滅させて逃げた」
死んで、蘇った⋯⋯?『神月の血』⋯⋯? 信じられない。
でも、彼の瞳は嘘をついていない。
「俺は自分を忍術が使えるだけの、ただの人間だと思ってたんだけどな」
先輩は自嘲する。
いや、ただの人間に忍術は使えないですよ⋯⋯。
思わず心の中でツッコミを入れる。この人、自分が何なのか、分かってるのかな⋯⋯。
「ガーデンは俺の一族の仇だ。だから俺はガーデンをつぶす!」
静かな、でも激しい怒り。彼の戦う理由は、復讐⋯⋯。
「それにお前との約束もあったからな『本当に困ったことが起きたら、助けに行く』って」
⋯⋯あの時の、約束。覚えててくれたんだ。もう何年も前のことなのに。
あの頃は知らなかった先輩の強さ。でも、危うい気もする。
不思議と怖くはない。守られているという感覚。
今までずっと、守ることだけ考えてきたのに。
ゆーくんは巣立っていく。私は、先輩に守られてる。
え?⋯⋯守られてる?私が⋯⋯?
気づけば、私は自分の胸元をそっと押さえていた。
ドクン、ドクンと、まるで初めて自分の心臓の存在に気づいたかのように、その鼓動が手のひらに伝わってくる。
熱い。何かが、私の中で急速に変わっていくような、そんな予感がした。
目の前でハンドルを握る彼の横顔を、盗み見るように見つめてしまう。昔とは違う。今の彼は、私にとって、一体⋯⋯?
私達の乗る車は樹海を抜けた。追っ手はいないらしい。
どこかへ向かっている。どこへ⋯?
窓の外の闇が流れていく。私の価値観も、何もかも、流れていくみたいだ。
疲れた⋯⋯。
罪悪感と、少しの安堵と、よく分からない感情が渦巻いてる。
今はただ、眠りたい。
目が覚めたら⋯⋯何かが変わっているんだろうか。
ゆーくん、エリちゃん、無事でいて⋯⋯。
窓の外に浮かぶ満月の光は、深く広がる樹海の闇だけでなく、ハンドルを握る神月亮の横顔をも静かに照らし出していた。
そして私は、助手席で深く目を閉じた。




