10:桜華救出作戦
ユートが個室のドアを開け、外で待っていた亮を呼び入れる。
亮はいつの間にか仮眠を取っていたのか、わずかに寝癖がついているが、その目は鋭く覚醒している。
マスターが気を利かせて淹れてくれたのだろう、部屋には再び温かいコーヒーの香りが漂っていた。その香りが、徹夜明けの二人の疲れた神経を少しだけ癒やす。
「調整、終わったようだな」
亮はテーブルの上に置かれた特別なガジェットと、疲労の色を浮かべながらも、どこか達成感を滲ませるエリスを見て静かに言った。
彼の視線はガジェットに注がれ、その性能を確かめるように細められる。
「はい、基本的な調整はなんとか⋯。でも、実際にユートが使うときに特性に合わせて微調整しないと、完全とは言えません。それに、やっぱりこれは⋯かなり危険なものです」
エリスは改めてガジェットのリスクについて説明する。
規格外の出力、ダイバーへの負荷、そして使用制限。
彼女の表情は真剣そのものだった。徹夜作業の疲労よりも、このデバイスが持つ潜在的な危険性への懸念が勝っているようだ。
「ああ、マクミラン教授からも聞いている。まさに『切り札』だが、扱いを間違えれば自分も傷つく諸刃の剣、だとな」
亮は頷き、ユートに向き直る。
その視線は、ユートの覚悟を問うているようだった。
「それで、準備はできたわけだが⋯⋯
俺の方も、研究所への潜入ルートとタイミングの目処はつけた。決行は、明後日の深夜。それがベストだ。⋯⋯だが、この『切り札』を使って、どうやって黒いサクラを叩く? 同時にやらなければ意味がない」
亮の声は淡々としているが、その言葉の端々には作戦の重要性と危険性が滲み出ている。
亮の問いに、ユートは息を呑む。
隣に立つエリスと視線を交わし彼女が小さく頷くのを確認すると、覚悟を決めたように口を開いた。
「⋯⋯作戦があります。黒いサクラの⋯⋯あいつの感情を利用するんです」
「感情、だと?」
亮が訝しげに聞き返す。AIの感情を利用する、という発想が意外だったのかもしれない。
「はい。あいつは、異常なまでに俺に執着しています。そして、エリスを激しく憎んでいる⋯⋯。だから⋯⋯」
ユートは一瞬ためらったが、続けた。その言葉は、部屋の空気をさらに張り詰めさせる。
「俺とエリスが、EIOで『エンゲージする』と告知します」
「エン⋯⋯?なんだって?」
亮はわずかに目を見開いた。
予想外の作戦内容に、彼の表情が少しだけ揺らぐ。
「あ、えっと⋯エンゲージっていうのは、EIOの中での結婚みたいなシステムのことデ⋯⋯」
亮が怪訝な顔をしているのに気づき、エリスは補足した。
彼女の声はうわずっていて少しカタコト感がでていた。
偽りの儀式とはいえ、その言葉の重みを感じているのだろう。頬が微かに赤らんでいるのは緊張かそれとも⋯⋯。
「ええ。俺がエリスとエンゲージするなんて、あいつにとって絶対に許せないことのはず。必ず式を潰しに現れるでしょう。そこを叩きます」
ユートは強い意志を込めて説明する。
その瞳には、作戦への自信と、同時に大きなリスクを伴うことへの覚悟が浮かんでいた。エリスを危険に晒すことへの葛藤も心の奥底にはあるはずだ。
亮はしばらく黙って考えていた。指で眉間を軽く叩きながら、作戦の有効性と危険性を天秤にかけているようだ。
彼の周りだけ時間がゆっくり流れているように見える。
やがてフゥッと息を吐いた。
「⋯⋯なるほどな。確かにあのAIの歪んだ感情を考えれば、最も効果的な『釣り餌』かもしれん」
彼は懸念点を指摘する。その声は低く、現実の厳しさを突きつける。
「だが問題は、お前さんの仲間たちだ。彼らは前の戦闘で酷い目に遭っている。黒いサクラの姿は桜華そのもの。そんな状況で『エンゲージ』に協力してくれると思うか?」
「それは⋯⋯」
ユートは言葉に詰まる。亮の指摘は、最も懸念していたことだった。
前回の戦闘で傷つき、恐怖に震えていた仲間たちの顔が脳裏をよぎる。
彼らに、これ以上危険な役割を頼めるだろうか。リーダーとしての自分の無力さを突き付けられた気がした。
「オーカさんの従弟であるユートが、オーカさんそっくりのAIをおびき出すために、自分たちのエンゲージを利用する⋯⋯なんて、事情を知らないメンバーから見たら、あまりにも身勝手に映るかもしれないですね⋯⋯」
エリスも不安げに付け加える。
彼女もまた、クランメンバーの心情を深く理解していた。彼らの信頼を失いたくない、という思いが痛いほど伝わってくる。
「それに、敵の正体も、このガジェットのことも明かせない。どうやって説明する?」
亮がさらに問いかける。説得材料が乏しい中でどうやって信頼を得るのか。それはまるで、手足を縛られた状態で戦うようなものだ。
重い沈黙が流れる。
窓から差し込む朝日が、部屋の埃をキラキラと照らし出す。
どうすれば秘密を守りつつ傷ついた仲間たちの信頼を取り戻し、協力を得られるのか。答えは簡単には見つからない。部屋の空気が鉛のように重くなっていく。
「⋯⋯正直に話せることだけ、話すしかないと思います」
最初に口を開いたのはエリスだった。彼女は顔を上げ、二人をまっすぐに見つめた。徹夜明けとは思えない、強い光がその瞳に宿っていた。
「オーカさんが、シナモン社のテスト中に外部の組織⋯⋯例えば、違法な研究グループとか、技術を狙う産業スパイのような連中に攫われたこと。黒いサクラは、その連中が悪用しているコピーAIである可能性が高いこと。そして、前の戦闘でボクたちが受けたリアルな痛みは、その連中の危険な技術によるもので、放置すれば現実のボクたちにも危険が及ぶかもしれないこと⋯⋯」
彼女は冷静に、しかし切実に説明すべき内容を整理していく。
言葉を選びながら、核心を隠しつつも真実味のあるストーリーを組み立てようとしている。
「ガーデンや秘密結社なんて言っても、信じてもらえないだろうからな。その説明が妥当か⋯⋯」
亮はエリスの説明に頷く。嘘ではないが、真実の全てでもない。
それが、今の彼らに許されたギリギリのラインだった。
「そして、作戦についてです」
ユートが引き継ぐ。彼の声にはリーダーとしての責任感が滲んでいた。迷いは振り切ったようだ。
「『偽りのエンゲージ』は、黒いサクラの感情的な弱点を突いて、確実におびき出すための作戦だと説明します。危険な賭けですが、他に有効な手がないことも正直に話します」
「協力の依頼は?」
と亮が促す。ここが最も難しい部分だ。
ユートの言葉一つで、クランの結束が揺らぐかもしれない。
「⋯⋯みんなに辛い思いをさせたことは、俺が直接謝ります。その上で、これは桜華姉を助けるためだけじゃなく、俺たち自身を守るための戦いでもあるんだと伝えます」
悠斗は拳を握りしめる。言葉に力がこもる。
「そして⋯⋯具体的な力は見せられませんが『黒いサクラは俺とエリスだけで戦う』と伝えます。みんなには、戦ってほしいとは言いません。」
彼はメンバーへの負担を最小限に抑えつつ、それでも協力を求めるという、苦渋の決断を口にした。
その声には仲間への申し訳なさと、それでも頼らざるを得ない切実さが滲んでいた。
「無理強いはしない、という姿勢は必要だろうな」
と亮が付け加える。彼の声には、若きリーダーへの理解と共感が含まれているようだった。
「はい。最終的に協力してくれるかどうかは、みんなの判断に任せるしかありません。でも、俺はリーダーとして諦めずに頼み続けます」
悠斗の瞳には、迷いのない決意が宿っていた。
「⋯⋯わかった。その方針でいこう」
亮は頷いた。時間は限られている。これが最善手だと判断したのだろう。
「クランメンバーへの説明は、悠斗、君に任せる。エリスちゃんは技術面でのサポートと、メンバーへの説明補助を頼む」
「はい」
「わかりました」
ユートとエリスは力強く頷く。
やるべきことは山積みだが進むべき道は見えた。
「では、作戦の最終確認だ」
亮はテーブルに手元のデバイスを置き、操作すると、空中に淡い光でとある研究所の簡易的な立体図が表示された。
「今ここに桜華はいるはずだ」
と亮は続けた。
「俺が研究所に突入するのは、明後日の深夜0時。内部の警備システムを無力化し、桜華の居場所を特定、確保するまで約30分かかるだろう。」
「君たちがEIOで黒いサクラと接触するのは、俺の突入と同時に開始してほしい。敵の注意を少しでも引きつけてくれると助かる。」
「そして0時30分。それが俺が桜華を確保し、脱出を開始する目標時刻だ。
その瞬間、AIとのリンクが不安定になる可能性が高い。そこが、君たちにとって最大の好機になるはずだ」
彼の説明は簡潔だが、その裏にあるであろう熾烈な戦いを想像させ、二人に緊張が走る。0時に始まり、0時30分に転機が訪れる。
「0時戦闘開始⋯⋯そして、0時30分が決着のタイミング⋯⋯」
ユートが反芻する。
「連絡はどうしますか?」
エリスが尋ねる。作戦の連携には情報共有が不可欠だ。
「作戦開始後の直接連絡は難しいだろう。敵地への潜入中は、通信が傍受されるリスクが高すぎる」
亮は厳しい表情で答える。
「0時30分。それが、俺が桜華を確保し、脱出を開始する目標時刻だ。もし、その時刻を過ぎても状況に変化がなければ⋯何か問題が発生した可能性もある。だが、君たちは目の前の敵に集中してくれ」
「連絡がない場合でも⋯亮さんを信じて俺たちは戦い続ける、ということですね⋯⋯?」
ユートが確認する。それはあまりにも不確実で、重い信頼だった。
もし亮が失敗していたら?その可能性を考えると背筋が凍る思いだった。
「ああ。互いを信じるしかない。失敗した場合の連絡手段は⋯⋯考えるだけ無駄だろう」
亮の言葉は重かった。作戦の失敗は、すなわち死を意味するのかもしれない。彼の覚悟がその静かな言葉から伝わってくる。
作戦の全容が見え、やるべきことが明確になった。
部屋には再び重い沈黙が訪れるが、それは先ほどまでの不安げなものではなく、決戦を前にした張り詰めた緊張感と確かな決意に満ちたものだった。
窓から差し込む朝の光が、三人の覚悟を照らし出しているようだった。
桜華を救い出す。そして、クランとEIOプレイヤーを守る。
三人は、それぞれの胸に重い責任を刻み込み、静かに頷き合った。




