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09:スペシャルガジェット


 悠斗とエリスに作戦の概要を伝え、協力関係を築いた数日後。

 神月(こうづき)(りょう)は再び、純喫茶『ガスライト』のカウンター席に座っていた。


 窓から差し込む午後の柔らかな光が、店内のアンティークな調度品を照らし、静かなジャズの音色とコーヒーの香りが漂う、いつもと変わらない穏やかな時間が流れている。


 しかし、亮の内心は穏やかではなかった。

 桜華が囚われている研究所への潜入ルート、警備体制、そして脱出経路⋯あらゆる情報を分析し、作戦計画を練り上げている。


 物理的な潜入と戦闘は彼の『得意分野』ではあるが、相手はガーデン。

 油断をすることはできない。

 そして、作戦の成否は現実世界の自分の行動と、仮想空間での悠斗たちの戦いが完璧に連携するかどうかにかかっている。


 亮はカウンターの向こうで黙々とサイフォンを操る、老紳士風のマスターに目をやった。彼は亮の数少ない協力者の一人であり、このガスライトは重要な連絡拠点の一つでもあった。


 そして今回のマクミラン教授からの『特別なプレゼント』の受け渡しも、この店を経由して行われることになっていた。


 カラン、とドアベルが小気味よい音を立て、一人の男が入ってきた。

 見慣れない顔だが、珈琲豆の卸売業者のロゴが入った作業着を着ている。

 彼はマスターに軽く会釈すると、カウンターの端に麻袋をいくつか積み上げた。おそらく、店の仕入れだろう。


(あれか⋯?)


 亮はさりげなく視線を送る。

 男は伝票にサインをもらうと、すぐに店を出ていった。特に亮に注意を払う様子はない。


 男が去り、店内に再び静寂が戻る。亮はカウンターに置かれたコーヒーカップに口をつける。マスターが入れてくれた、深煎りのブレンド。その苦みがわずかに思考をクリアにする。


 しばらくして、マスターが新しい豆の袋を開封する作業をしながら、静かに亮の隣に立った。そして、先ほど業者が置いていった麻袋の一つを指し、低い声で呟いた。


「⋯⋯亮さん、こちら、例の『特別ブレンド』のサンプルだそうです。お試しになりますか?」


 亮は無言で頷く。

 マスターは、その麻袋の中から、他の豆とは別に包装された、手のひらサイズの小さな紙袋を取り出しそっとカウンターごしに亮に手渡した。紙袋には、見慣れない鳥のマークが小さくスタンプされている。


「ああ、助かる」亮は短く礼を言うと、その紙袋を受け取った。

 ずしりとした、珈琲豆にしては不自然な重みが手に伝わる。


 彼はそれを素早くボディバッグに滑り込ませると、コーヒー代をカウンターに置き、静かに立ち上がった。


「例の少年たちには?」

 マスターが、豆を挽く手を止めずに尋ねる。


「ああ、これから呼び出すつもりだよ」

「そうですか。では奥の部屋をお使いください」

「ありがとう、マスター」


 亮はそれだけ言うとマスターに軽く目礼し、店の奥へと続く扉の方へ向かった。

 マスターも心得たように頷く。亮は扉の奥に入る前にスマートフォンを取り出すと、悠斗へLINKメッセージを送った。


『うまい珈琲豆が手に入った。良かったら店に来ないか?エリスちゃんも一緒に』



 ❖ ❖ ❖



 悠斗とエリスは、緊張した面持ちで再び純喫茶『ガスライト』のドアを開けた。前回と同じく、マスターが穏やかに二人を迎える。


「いらっしゃいませ。亮さんなら、奥の部屋でお待ちですよ」


 マスターはそう言って、カウンターの奥にある普段は使われていないように見える扉を示した。どうやら、ここは単なる喫茶店ではないようだ。


 案内された部屋は書斎のような雰囲気だった。壁には本棚が並び、中央には小さなテーブルと数脚の椅子が置かれている。

 部屋で待っていた亮がテーブルに紙袋を置いていた。


「よう。待ってたぞ」


 亮は軽く手を上げる。


「亮さん⋯⋯!これが⋯⋯?」


 悠斗がテーブルの上の紙袋を指さす。


「ああ。開けてみろ」


 亮に促され悠斗は袋の封を切る。

 中には、緩衝材に包まれた黒く金属質な物体が入っていた。


 取り出してみると、それはシルエットが小さな盾のようにも見える洗練されたデザインの、スマートウォッチのようだった。文字盤部分は黒いガラスで覆われ、側面には小さなボタンが付いている。


「スマートウォッチ⋯?これが、特別なガジェット?」


 悠斗が尋ねる。


「ああ。マクミラン教授からの贈り物だ。見た目はただのスマートウォッチだが中身は別物だ。ドリームキャッチャーのコア技術が使われているらしい」


 亮が説明する。


 エリスは、そのガジェットを食い入るように見つめている。

 彼女の科学者としての好奇心が強く刺激されているようだ。


「すごい⋯!このサイズに、あの機能が⋯?教授、どんなマジックを使ったの⋯?」


 彼女はガジェットを悠斗の手から受け取ると、持参していたタブレット端末を取り出し、ケーブルを接続して解析を始めた。


 この部屋なら人目も気にせず作業に集中できる。

 亮はそんなエリスの様子を見ると、「調整が終わったら呼んでくれ」と言い残し、二人を個室に残して一旦席を外した。


 静かな書斎風の個室には、エリスがタブレット端末を操作する音だけが響いていた。

 彼女はテーブルの上に置かれた黒いスマートウォッチ型のガジェットにケーブルを繋ぎ、その小さな画面に表示される複雑なコードの流れを、食い入るように見つめている。


 時折、眉間にキュッと皺が寄り、細いため息が漏れる。

 天才と称される彼女でも、この未知のデバイスの解析と調整は容易ではないようだ。


 悠斗は少し離れた椅子に腰かけ、そんなエリスの横顔を黙って見守っていた。


 自分には全く理解できない領域で、彼女は今、自分たちの未来を、そして桜華を救うための鍵を握って奮闘している。感謝と、何もできないもどかしさが胸の中で渦巻いていた。


「⋯⋯すごい出力よ、これ」


 不意にエリスが呟いた。

 その声には驚きと、わずかな戸惑いが混じっている。


「基本構造は、やっぱりドリームキャッチャーと同じみたい。教授がコア技術を応用してる。でも⋯⋯」


 彼女は一度言葉を切り、タブレットの画面をタップしながら続ける。


「普通なら絶対にかかってるはずのリミッターが、意図的にいくつか解除されてる。それに、神経パルスへの干渉レベルも⋯通常の『スパイス』どころか、オリジナルのドリームキャッチャーよりもずっと高い⋯⋯。これなら確かに、EIOのシステムそのものに干渉できるかもしれないけど⋯」

「けど⋯⋯?」


 悠斗が聞き返す。


「⋯⋯出力が規格外すぎる。これだけのパワー、ダイバーへの負荷も相当なものになると思う。教授は、ボクがユートに合わせて調整できるって信じてくれてるんだろうけど⋯⋯もし調整が完璧じゃなかったら、精神に深刻なダメージを負う危険だって⋯」


 エリスの声が震える。


 彼女は顔を上げ、心配そうに悠斗の目を見た。

「教授⋯⋯どうして、こんな危険なものをユートに使わせようとしてるの⋯⋯?」


 その不安げな表情に、悠斗は胸が締め付けられる思いだった。

 だが、ここで自分が怖気づくわけにはいかない。


「大丈夫だよ、エリス。お前なら、きっとこれを調整できるって信じてる。⋯⋯それに、これがないと桜華姉を助けられないんだろ?」


「⋯⋯うん」


 エリスは俯き、再び画面に向き直る。

 その小さな肩が、背負っているものの重さを物語っているようだった。


「無理はしないでくれよ。エリスまで倒れられたら、元も子もない」


 悠斗はできるだけ優しい声で言った。


「⋯⋯だいじょうぶ。ユートが、オーカさんを助けるために必要だから。ボクが、ちゃんと使えるようにする⋯⋯!」


 エリスは顔を上げ、決意を込めた瞳で悠斗を見返した。

 その瞳の強さに、悠斗は少しだけ安堵する。


 しばらく、エリスは再び調整作業に没頭した。指が目まぐるしくタブレット上を動き、時折、ガジェット本体が淡い光を放つ。


「しかし、これ⋯⋯なんだか不思議なデザインだな」


 悠斗が、手元に置かれたガジェットのコピーを手に取り、呟いた。

 黒く金属質なボディ、ガラスに覆われた文字盤。そしてシルエットは盾のようにも見える。シンプルだが、どこか特殊な雰囲気を纏っていた。


 エリスはその言葉に、一瞬、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻り、咳払いをした。


「⋯⋯うん。教授が、ユートのダイバー適性に合わせて、特別にカスタマイズしてくれたみたい。見た目だけじゃなくて、中身も⋯⋯規格外だから」

「そうか⋯」


 悠斗はガジェットをじっと見つめる。


「なんだか、これを身に着けたら⋯⋯不思議と力が湧いてくるような⋯⋯?」


 エリスは、悠斗の言葉に小さく頷く。

 その表情には、先ほどの不安の色は薄れ、どこか期待するような、誇らしげな色が浮かんでいた。


「⋯⋯うん、きっとユートなら⋯⋯使いこなせるよ。信じてる」


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 窓の外はすっかり暗くなり、部屋の中の照明だけが頼りになっていた。

 エリスは集中力を途切れさせず、タブレットとガジェットに向き合い続けている。


 悠斗は仮眠を取ったり、差し入れられた軽食を口にしたりしながら辛抱強く待っていた。


 やがて、空が白み始めた頃、エリスが大きく伸びをしながら顔を上げた。

 その目には深い疲労の色が見えるが、達成感も滲んでいる。


「⋯⋯ふぅ⋯⋯なんとか、基本的な調整は終わった⋯⋯かな。あとは、実際に悠斗が使うときに、ダイバーとしての特性に合わせて微調整が必要だけど⋯それは、ぶっつけ本番になるかも」


「そうか⋯⋯!ありがとう、エリス。本当に助かる。徹夜でやってくれたんだな⋯」

 悠斗は感謝と労いの言葉をかける。


「ううん。でも、本当に気をつけて。これはゲームのアイテムじゃないから⋯使用制限もあるみたいだし、連続使用は絶対に避けないと⋯」


 エリスは念を押すように言った。


「わかってる。これで⋯戦えるんだな。あの、黒いサクラと」

 悠斗は特別なガジェットを握りしめる。ひんやりとした金属の感触。


 これが、反撃の切り札。


「うん。あの子を止めないと、オーカさんも⋯」


 エリスも、強い意志を瞳に宿して頷いた。


 やるべきことは決まった。あとは作戦の実行を待つだけだ。

 二人の間に重く、確かな決意が満ちていく。


「⋯⋯亮さんを呼んでくるよ」


 悠斗は立ち上がり、個室のドアに向かった。

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