08:純喫茶ガスライト
リョウと名乗る人物からの突然のメッセージ。
それは、昨日のEIOでの惨敗と桜華姉の安否不明という絶望的な状況に打ちひしがれていた悠斗にとって、一条の光だった。
罠かもしれないという疑念は消えない。
だが、今はどんな可能性にも賭けるしかなかった。エリスと連絡を取り合い、二人は指定された待ち合わせ場所へと向かう。
亮が指定したのは、帝王大学のキャンパスから少し離れた裏通りにひっそりと佇む純喫茶『ガスライト』だった。
店名が示す通り、玄関の柱にはアンティークなガス燈が設置され、店内には磨き込まれた木のカウンターやアンティーク調の家具が置かれた、レトロで落ち着いた雰囲気だ。
壁には古い映画のポスターが飾られ、静かなジャズが流れる都会の喧騒から切り離されたような隠れ家的な空間だった。
「いらっしゃいませ」
カラン、とドアベルが鳴ると、メッシュ状の白髪が印象的な紳士風のマスターが、柔らかな物腰で迎えてくれた。
悠斗とエリスは少し緊張しつつ店内を見回すと、平日の昼下がりで、客はカウンターに座る男性が一人だけだった。
(あの人かな⋯⋯?)
悠斗が値踏みするようにその男性を見ていると、相手がふっと顔を上げ、こちらに視線を向けた。目が合う。年の頃は二十代後半くらいだろうか。
身長は悠斗と同じくらいか、やや高い。体格はいわゆる中肉中背で、服装もシンプルな黒のジャケットとパンツスタイル。特別派手な印象はない。
しかし、なぜだろう。悠斗はこの男から、言葉では言い表せないような異様な存在感を感じ取っていた。
整った顔立ちだが、華やかさとは違う。落ち着き払った佇まい、そして静かにこちらを見つめる瞳の奥に宿る底知れない何か。
一度見たら忘れられないような、人を惹きつけると同時に、どこか近寄りがたいオーラを放っている。
(この人⋯⋯ただ者じゃない⋯? LINKではライターって言ってたけど⋯⋯)
悠斗は直感的にそう感じ、警戒心を解かずに相手を見つめ返した。
「君が悠斗くんかな?」
穏やかだが、どこか芯のある声で呼びかけられた。
やはりこの人が「亮」らしい。悠斗とエリスは顔を見合わせ、彼の座るカウンター席へと近づいた。
「え? はい。瀬島悠斗です。」
男は軽く頷き、改めて二人を見た。
その視線は鋭く、まるで二人の内面まで見透かしているかのようだ。
「それで、そちらのカワイイお嬢さんがエリスちゃん、かな?」
亮は、やや砕けた親しげな口調でエリスに微笑みかけた。
「あっ、は、ハイ⋯⋯! エリス・ハートフィールドです」
不意にカワイイと言われ、エリスは顔を赤らめて俯いてしまう。
(⋯⋯なんなんだ、この人⋯⋯掴みどころがないというか⋯⋯)
悠斗は、エリスの反応を見て少しだけ眉をひそめた。この男の真意が読めない。
「あの⋯! あなたがリョウさん、ですか?メッセージをくれた⋯⋯桜華姉のことで⋯⋯」
悠斗が本題を切り出そうとすると、亮は「ああ、悪い悪い」と苦笑した。
「ちゃんと名乗るべきだったな」
そう言って、彼はジャケットの内ポケットから一枚の名刺を取り出し、悠斗に差し出した。
『神月亮――Freelance Web Writer』
「俺は神月亮。職業はまあ⋯⋯見ての通り、しがないWebライターってとこかな」
彼は肩をすくめてみせる。
その態度からは、先ほど感じた異様な雰囲気は薄れているように見えた。
「君の従姉さん⋯⋯桜華は、高校の1コ下でね。少しだけ世話になった」
「桜華姉の⋯⋯先輩だったんですか」
悠斗は少し驚きつつも、名刺を受け取る。
(桜華姉は教えてくれなかったな、そんな先輩がいたことを⋯⋯)
「そういうことだ。よろしくな、悠斗くん、エリスちゃん」
亮は改めて二人に向き直る。
「まあ、立ち話もなんだ、席に座ってよ。マスター、二人にもメニューを」
彼は慣れた様子でマスターに声をかける。どうやらこの店の常連らしい。
促されるままにカウンター席に座り、メニューを渡される。
エリスは少し迷ってからオレンジソーダを、悠斗はマスターが勧めてくれたアイスウインナコーヒーを注文した。
飲み物が運ばれてくるまでの間、重い沈黙が流れる。
悠斗もエリスも、目の前の男が何者なのか、そして桜華の居場所について何を知っているのか、聞きたいことは山ほどあったがどこから切り出すべきか迷っていた。
亮もまた、何も言わずにマスターの手元を眺めている。
やがて、マーブル模様のアイスウィンナコーヒーと、鮮やかなオレンジ色のソーダが運ばれてくる。
悠斗がコーヒーに口をつけようとしたタイミングで、亮が口を開いた。
「さて、本題に入ろうか」
その声には、先ほどの軽さが消え、真剣な響きが宿っていた。
彼はボディバッグからクリアファイルを取り出し、カウンターの上に置く。
中には、いくつかの書類と白い近代的な建物の写真が見えた。
「単刀直入に言う。桜華は、おそらく秘密結社『楽園』に拉致された」
「は⋯⋯? 秘密結社⋯⋯?」
悠斗は思わず聞き返した。まるで漫画や映画のような言葉に、現実感が追いつかない。隣のエリスも目を丸くして亮を見ている。
(秘密結社? ガーデン⋯⋯? この人、一体何を言ってるの⋯⋯?)
「ああ。表向きには存在しない、裏の世界の組織だ。目的は⋯⋯まあ、色々とあるんだが、君たちに関係するのは『人類の強制的な進化』を標榜する連中だと思ってくれればいい」
亮は淡々と説明する。
「俺が調べたところ、桜華が最後に確認されたのは、戸古沢にある『知覚反応研究所』という施設だ。シナモン社の関連研究施設だが、内部にガーデンの構成員あるいは協力者に入りこまれている可能性が高い」
「知覚反応研究所⋯⋯! オーカさんが味覚テストのモニターで行ってた場所⋯⋯!」
エリスが声を上げる。シナモン社からの連絡と話が繋がった。
「そうだ。彼女はそこで、スパイスの次期バージョン⋯⋯味覚実装のためのテストに参加している最中に攫われた。カプセルごとな」
亮はこともなげに言う。
「どうして、そんなことまで⋯? あなたは一体⋯⋯?」
悠斗が尋ねる。普通のライターがどうやってそんな機密情報を知れるのか。
「まあ、いろいろと『コネ』があってね」
亮は肩をすくめる。
「俺も、ガーデンには個人的な『借り』があって、連中の動向をずっと追っているんだ。今回の件もその過程で掴んだ情報だ」
彼の言う『借り』が重い何かを意味しているであろうことは、その静かな怒りを湛えた瞳から窺えた。
彼は続ける。
「桜華は優秀なダイバー適性を持っている。おそらく、ガーデンは彼女の能力⋯⋯あるいは彼女自身を、何らかの目的で利用しようとしているんだろう。君たちが昨日EIOで遭遇したというAI、『黒いサクラ』もその一端である可能性が高い」
亮は、昨日のEIOでの惨劇まで把握しているようだった。
「あの黒いサクラは⋯⋯やっぱり桜華姉じゃなかったんですね⋯⋯?」
悠斗が確認するように言う。
「あれは、おそらく桜華の人格を元に作られた⋯⋯コピーAIのようなものだろう。そして、そのAIは、現実の桜華と精神的にリンクしているかもな」
亮は断言する。
「リンク⋯⋯? じゃあ、桜華姉は⋯⋯」
悠斗の声が震える。もしリンクしているなら、あの黒いサクラの暴走は、現実の桜華にも影響を⋯?
「落ち着け、悠斗くん」
亮が静かに制する。
「まだ断定はできないが、危険な状態であることは間違いないだろう。だからこそ、急ぐ必要がある」
彼は悠斗とエリスの目を真っ直ぐに見据える。
「桜華を無事に救出するためには、二つのことを同時に行う必要がある。一つは、現実世界で彼女が囚われている研究所から物理的に救出すること。そしてもう一つは、仮想空間(EIO)で活動している黒いサクラを無力化⋯⋯シャットダウンすることだ」
「物理的な救出は、俺が引き受ける。それが俺の『得意分野』だからな」
彼の言葉には、揺るぎない自信が窺えた。
(この人の『得意分野』って、一体? ただのライターじゃないのは確かだ⋯⋯)
悠斗は疑問に思うが、今は彼の言葉を信じるしかない。
「そして、VR空間での戦闘⋯⋯黒いサクラのシャットダウンは、君たちに頼みたい」
亮は悠斗に向かって言った。
「俺は⋯⋯少し特殊でね。ああいう高度な仮想空間にダイブしたり、システムに干渉したりするのは得意じゃないんだ。だが、君ならできるはずだ。それに⋯⋯」
亮は少しだけ表情を和らげた。
「桜華を一番心配しているのは君だろう? 彼女にとって、君は大切な『弟』だと聞いている。君が助けに行くのが、一番いい」
彼は悠斗と桜華の関係性を理解しているようだった。
「俺が⋯⋯?」
悠斗は戸惑う。昨日の戦闘で、自分たちの無力さは痛いほど分かっている。
まったく歯が立たなかった黒いサクラを相手にどうしろと?
「もちろん、無策で突っ込めとは言わない。君たちの協力者⋯⋯マクミラン教授にも話は通してある。彼から、君の力を最大限に引き出すための『特別なガジェット』が、近いうちに届くはずだ」
「エッ?! マクミラン教授とお知り合いなんですカ!?」
エリスが驚きの声を上げる。自分の恩師であり、ドリームキャッチャー開発の権威であるマクミラン教授の名前が、こんなところで出てくるとは思わなかった。
この男は一体何者なのだろうか。
驚いたエリスの問いかけに、亮は「まあ、少しだけね」とだけ答え、不敵な笑みを浮かべる。
「あの⋯⋯それなら、篠上先生にも相談した方がイイでしょうか? 先生も、ドリームキャッチャーのことはよくご存知ですし⋯⋯」
エリスは、以前ドリームキャッチャーを貸してくれた篠上教授の顔を思い浮かべ、おそるおそる尋ねた。
亮の表情が、一瞬だけ、わずかに曇ったように見えた。
「⋯⋯いや、それはやめておいた方がいいだろうな」
彼は静かに、しかしきっぱりと言った。
「篠上教授の立場もある。今回の件に彼を巻き込むのは得策じゃない。確実に君たちの味方だと言えるのは、マクミラン教授だよ」
その言葉には、何か含みがあるように感じられたが、亮はそれ以上は語らなかった。
「それを使えば、君は黒いサクラと互角以上に戦えるようになるだろう。エリスちゃん、君にはそのガジェットの調整と、悠斗のサポートを頼むことになる」
「特別な⋯⋯ガジェット⋯⋯? ドリームキャッチャーに関連するもの⋯⋯?」
エリスが聞き返す。マクミラン教授が関わっているなら可能性は高い。
「ああ。準備が整い次第、作戦を決行する。俺が研究所に突入するタイミングに合わせて、君たちはEIOで黒いサクラを叩く。ガーデンの連中は俺が引き受ける。それでいいな?」
亮の言葉には、有無を言わせぬ力があった。
彼は自分以外の誰かを犠牲にするつもりはないのだろう。
犠牲が必要なら、自分が前に出る、という覚悟が感じられた。
そして、電脳戦を得意とする今回の敵に対して、自分とは違う力を持つ悠斗に期待している部分もあるのかもしれない。
悠斗とエリスは顔を見合わせる。状況は依然として厳しい。
だが、目の前の男は、桜華姉を救うための具体的な道筋と希望を示してくれた。そして、その瞳には確かな覚悟が宿っている。
(この人を信じるしかない⋯⋯! 桜華姉を助けるために!)
「⋯⋯わかりました。やります」
悠斗は、決意を込めて答えた。
「俺たちが、必ず黒いサクラを止めます」
亮は満足げに頷くと、カウンターにコーヒー代とソーダ代を置き、静かに立ち上がった。
「ガジェットが届いたころ、また連絡する。それまで油断するなよ」
そう言い残し、彼は一礼すると、静かにカフェを後にしていった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように、その存在感はすっと消えていた。
残された悠斗とエリスは、まだ緊張感を漂わせながらも、互いの目を見て頷き合う。
やるべきことは決まった。
あとは、その時に備えるだけだ。桜華を救い出す、その時を。




