06:暗黒の巫女
『緊急レイドイベント告知』
『――明日21:00より『マスカレネウス討伐戦』を開催します。参加希望者はレイドゾーン入口へ。詳細は追って連絡。指揮:サクラ――』
翌日の夜。現実時間は午後9時を少し回ろうとしていた。
昨日、オフラインのはずのサブリーダー「サクラ」名義で突如告知されたレイドイベント『マスカレネウス討伐戦』。
その集合場所であるレイドゾーン入口エリアには、カーマインスピリットのメンバーが集まっていた。
しかし、その場の空気はいつものレイド前の高揚感とは程遠く、不安と困惑、そして不気味な告知に対する緊張感が支配していた。
「本当にサクラさん、来るのかな⋯⋯?」
「でも、告知はサクラさん名義だったんだろ? システムエラーじゃなくて?」
「アカウント、乗っ取られてるとか⋯⋯ユートさんから聞いた話だと、リアルでも行方不明なんだろ?」
「この告知、本当にサクラさんが出したのかな⋯⋯?」
メンバーたちは口々に囁き合い、サブリーダーであるサクラの不在と、オフラインのはずの彼女からの不可解な告知について、疑念と不安を隠せないでいた。
昨日ユートとエリスから聞いた、現実世界での桜華の行方不明という情報も、彼らの不安をさらに掻き立てている。
このレイドに参加すべきか否か、直前まで迷ったメンバーも少なくなかった。
それでも彼らがここに集ったのは、仲間意識と、そして何より、リーダーであるユートと、事情を知るエリスが参加を決めたからだった。
ユートとエリスは、険しい表情で入口のゲートを見つめていた。
昨日の捜索では黒いサクラの噂以外に具体的な手がかりは得られなかった。
この異常なレイド開催告知が、唯一の手がかりと言えるのかもしれない。
だが、それが何を意味するのか⋯⋯。罠である可能性もある。それでも来るしかなかった。
「⋯⋯来たところで、本当に桜華姉なのか分からない、か」
ユートが呟く。
「うん⋯⋯。もし、あの噂の『黒いサクラ』が現れたら⋯⋯どうしよう⋯⋯」
エリスの声には、昨日の恐怖がまだ残っている。
それでも彼女がここにいるのは、桜華のため、そしてユートと一緒にいるためだ。
ユートの隣で、彼女は治癒術師の杖を強く握りしめていた。
時間だけが刻々と過ぎていく。レイド開始予定時刻の21時が近づくにつれ、メンバーたちの間の緊張感は最高潮に達していた。
誰もが固唾を飲んで、ゲートの奥を見つめている。
その時だった。
「あ⋯⋯!」
誰かが声を上げる。
ゲートの奥から、見慣れた人影が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。
ピンク色の、フワフワとした可愛らしいヒーラーローブ。
艶やかな黒髪のボブ。それは間違いなくクランのサブリーダー『サクラ』のアバターだった。
「サクラさん!」
「来てくれたんだ!」
「よかった⋯⋯! 無事だったんですね!」
メンバーたちから、安堵の声が一斉に上がる。オフライン表示だったはずなのに、どうして?という疑問よりも先に、彼女が無事に現れたことへの喜びが勝ったようだ。ユートとエリスも、驚きと、そしてわずかな希望を持ってその姿を見つめた。
しかし、近づいてくるサクラの様子は、どこかおかしかった。
いつもなら、満面の笑顔でメンバーに駆け寄り『お待たせしました~♪遅れてごめんなさ~い!』などと明るい声をかけるはずなのに、今日の彼女は、無表情だった。
人形のように整った顔には何の感情も浮かんでおらず、その足取りもどこかぎこちない。
まるで、プログラムされて動いているようにも見える。
「サクラさん⋯⋯? どうしたんすか?昨日から連絡もなくて、みんな心配してたんすよ!」
カイが代表して声をかけるがサクラはカイを一瞥するだけで、何も答えない。
その瞳は、いつもユートたちに向けてくれる慈愛に満ちた光ではなく、氷のように冷たい光を宿していた。
「サクラさん⋯⋯?」
エリスが不安げに呼びかける。
その瞬間、「サクラ」の視線がエリスに向けられた。
その瞳には、邪魔者に向けるような、冷たい敵意が宿っている。
だが、それもすぐに消え、興味を失ったようにその視線はエリスを通り越し、彼女の後ろに立つユートへと注がれた。
ユートに向けられた瞳には、先ほどまでの冷たさや憎しみとは全く違う、ねっとりとした暗く、そして熱っぽい光が宿っていた。
エリスは、そのユートに向けられた粘つくような視線と、自分に向けられた明確な敵意に気づき、言いようのない恐怖と嫌悪感に背筋を凍らせた。
サクラは、ユートだけを見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「ゆーくん⋯⋯こっちにいらっしゃい⋯⋯わたしが、まもってあげる⋯⋯」
その声は、サクラというより桜華のようでいて、どこか無機質で、甘く、そして有無を言わせぬ響きを持っていた。
まるで、母親が幼子を諭すような、あるいは、所有者がペットを呼び寄せるような⋯⋯。
「え⋯? サクラ⋯? 姉ちゃ⋯?」
ユートは、彼女から放たれる異様な雰囲気に戸惑いを隠せない。
目の前にいるのは確かにサクラのアバターだが、中身はまるで別人のようだ。
そして、ユートが返答に窮している間に、異変が始まった。
「な⋯⋯なんだ、これ?!」
「ローブの色が⋯⋯!」
周囲のメンバーがどよめく。
サクラが身に纏うピンク色のローブが、まるで黒インクを垂らしたかのように足元から徐々に黒く染まっていく。
最初は裾だけだった黒色が見る見るうちにローブ全体へと広がり、美しいピンク色は完全に漆黒へと変貌を遂げた。
そしてサクラ――いや、もはや禍々しいオーラを放つ『黒いサクラ』の表情も、冷たい無表情から、どこか歪んだ嘲るような笑みへと変わっていた。
その瞳は、依然としてユートだけを恍惚と見つめている。
「サク姉⋯⋯じゃない!お前、誰だ?!」
ユートが聖剣を抜き放ち、叫ぶ。その声に、黒いサクラはようやくユートから視線を外し、少し不満そうに周囲を見渡した。
「わたしは⋯⋯サクラ⋯⋯」
黒いサクラが、言葉を発した。
それは、サクラ――桜華の声だったが、抑揚がなく、どこか合成音声のような響きを持っていた。
「でも⋯⋯少し、変わったの⋯⋯」
黒いサクラは、右手に持っていた杖を掲げる。
本来なら聖なる光を放つはずの杖の先端に、黒紫色の不気味な光が集束していく。
「エリちゃんは⋯⋯邪魔⋯⋯」
ユートの隣に立つエリスを邪魔者と認識したように呟くと同時に、黒いサクラは杖を振り下ろし、集束した黒紫色のエネルギーを、一直線にエリスへと放った!
「エリス!」
ユートは咄嗟にエリスの前に飛び出し、盾を構える!
――ガギンッ!!
盾が黒紫色のエネルギーを受け止め、激しい衝撃と共に火花が散る。
それは強力な一撃だった。到底ヒーラーの使う魔法ではない。
「なっ⋯⋯!」
「サクラさんが攻撃を?!」
他のメンバーたちも、信じられない光景に愕然とし、武器を構える。
「ゆーくん以外⋯⋯みんな⋯⋯いなくなればいい⋯⋯」
黒いサクラは、歪んだ笑みを浮かべたまま、杖から次々と黒いエネルギー弾を放ち始める。
それは、ユートを避けるように軌道を変えながら、周囲のメンバーたちに無差別に降り注ぎ、呪いのような効果でプレイヤーたちを蝕んでいく。
「くそっ! やっぱり罠だったのか!」
ユートは盾で攻撃を防ぎながら叫ぶ。
「ユート! あれは、サクラさんじゃない! きっと、あの噂の⋯⋯!」
エリスも杖を構え、回復魔法で被害を受けたメンバーを治療しようとするが、黒いサクラの攻撃は止まらない。
黒いサクラの攻撃は、執拗にエリスに向けられていた。
ユートが盾で庇おうとするが、その防御を掻い潜るように、ユートを傷つけないギリギリの軌道で、的確にエリスへと攻撃を仕掛けてくる。
その動きは非常に洗練されていた。
ユートは必死に盾を構え、エリスを守る。
しかし、黒いサクラの攻撃は苛烈で、盾越しに伝わる衝撃だけでもユートのHPはじりじりと削られていく。
他のメンバーも応戦するが、全く歯が立たない。
「このままじゃ、やられる⋯⋯! 強すぎる⋯⋯!」
ユートは焦る。相手はサクラそっくりの姿をしているが、中身は得体のしれない敵だ。
しかも、その力は計り知れない。
エリスを狙う黒いサクラの攻撃を、ユートが懸命に防ぎ続ける。
しかし、多方向から放たれる黒い波動を捌ききれず、ついに盾が弾かれ体勢を崩してしまう。
「ユート!」
がら空きになったユートの横をすり抜けるように、黒いサクラはエリスへと狙いを定める。
「もう⋯⋯やめて⋯⋯!」
エリスは涙ながらに黒いサクラに訴えかけた。
「邪魔者は⋯⋯消えて⋯⋯」
黒いサクラはその訴えを無視し、とどめの一撃をエリスに放とうと杖を振り上げるが⋯⋯。
満身創痍でありながらユートはエリスを庇い、黒いサクラに立ちふさがった。
「⋯⋯ゆーくん⋯⋯? なんで邪魔するの⋯⋯?」
黒いサクラはなぜ自分の意に沿わないのか理解できないといった表情で、体勢を崩したユートを見つめ、忌々しげに舌打ちをした。
ユートが身を挺してエリスを庇い続けることに、理解できない、裏切られたような感情を抱いているようだ。
彼女は杖を高く掲げ、周囲の空間がぐにゃりと歪むような、異様なプレッシャーを放ち始めた。
「な、なんだ⋯⋯?!」
「空間が⋯⋯!」
「ここじゃ⋯⋯やりづらい⋯⋯なら⋯⋯」
黒いサクラがそう呟くと、彼女を中心に黒紫色の光が渦を巻き、ユート、エリス、そしてその場にいた全てのカーマインスピリットのメンバーを飲み込んでいく!
「うわあああっ!」
「きゃあああっ!」
視界が闇に包まれ、強烈な浮遊感と圧迫感に襲われる。
まるで、無理やり別の次元へと引きずり込まれるような感覚。
次の瞬間、ユートたちが叩きつけられたのは、先ほどまでいたレイドゾーン入口とは全く違う場所だった。
溶岩が流れ、禍々しい雰囲気の広大な空間。モンスターの骨が散乱し、空には不気味な赤い月が浮かんでいる。
本来のレイドボス『マスカレネウス』と戦うための、専用のバトルフィールドだ。
「ここは⋯⋯マスカレネウスの⋯⋯!」
ユートは周囲を見渡し愕然とする。強制転移させられたのだ。
メンバーたちも混乱し周囲を警戒している。
その時、エリアの中央、巨大な溶岩溜まりの中から地響きと共に巨大な影が姿を現した。
全身を黒曜石のような強固な鎧で覆い、背には悪魔的な翼を生やした巨人。
それは、帝国の将軍の一人とも噂されるレイドボス・マスカレネウス。
本来であれば、多数のプレイヤーが連携してようやく倒せるかどうかの強大なモンスターだ。
だが、そのマスカレネウスの肩の上に、黒いサクラが優雅に腰掛けていた。
彼女はマスカレネウスを完全に支配下に置いているかのように、その頭を撫でている。
「さあ⋯⋯始めましょう⋯⋯ゆーくんにまとわりつく、悪い虫たちのお掃除を⋯⋯」
黒いサクラは歪んだ笑みを浮かべ、眼下のプレイヤーたちを見下ろす。
絶望的な戦力差。そして、変わり果てたクランサブリーダーの姿。
『マスカレネウス討滅戦』は、今『暗黒の巫女討滅戦』へとその姿を変えた。




