21:桜華と悠斗
エリスが意識を取り戻してから確認したところ、彼女が悠斗の夢の中へダイブしていた時間は、現実世界では実に丸二日間にも及んでいたことが判明した。
その長時間のダイブによる精神的な疲労は著しく、わずかながら肉体的な衰弱も見られたため、念のためにエリスも一日入院して精密な検査を受けることになった。
悠斗に至っては、エリスよりも意識不明だった期間が長かったため、さらに一日入院が必要と診断されていた。
退院手続きが終わるのを待っている間、病室のベッドの上でエリスは一人、心細さを感じながらため息をついた。
(せっかく日本に来たのだから、ユートと二人で水入らずの時間をたくさん過ごしたい、と思っていたけれど、こればかりは体調の問題だから仕方ないよね⋯⋯。でも、退院しても、一人でホテルに戻っても特にやることもないしなあ⋯⋯)
残りの日本滞在期間をどう過ごそうかと考えていると、その時、エリスの携帯に桜華からメッセージが届いた。
『エリちゃん♪ 今日退院だよね~?お迎えに行くから、病院のロビーで待っててね~♪』
帝王大学病院からエリスが宿泊している新軸のホテルまでの道のりは、正直なところエリスには全く見当がつかない。そのため、桜華が迎えに来てくれるのは非常にありがたい。 しかし、一方で、エリスはメッセージの文面にわずかな引っかかりを感じた。
(いつの間にか『エリちゃん』呼びになっているのが、ちょっとだけひっかかるなぁ。マクミラン教授と話していた時に、ボクのニックネームを聞いたのだろうか⋯⋯)
しかし、すぐにエリスは思考を切り替える。
(まあ⋯⋯いいか。あの人のペースに真正面からあらがっても、ちょっと無駄かもね。流れに任せよう)
エリスは小さく肩をすくめて、心の内で諦めにも似た呟きを漏らした。
入院費や各種検査費用などは、幸いなことにエリスの所属する大学の研究費から支払われた。
エリスの師であるマクミラン教授は「『ドリームキャッチャー』の臨床における有用性の実証データが取れた!」と、まるで宝くじにでも当たったかのようにホクホク顔で喜んでおり、この程度の出費は全く問題ない、とのことだった。
(⋯⋯実証データが取れたのは良いけれど、夢主が悪夢を見ていた場合、その夢を共有する『ダイバー』にも精神汚染や、夢のルールに縛られるリスクがある、っていう重大な問題はまだ未解決なんだけどね⋯⋯。教授のあの楽観的な姿勢だけは、少し心配になっちゃうな⋯⋯)
エリスは専門家としての冷静な視点で現状を分析しながら、荷物をまとめて病室を後にした。ほんの少しだけ足元がおぼつかない感覚はあるが、病院という独特な緊張感から解放されることに安堵していた。
退院手続きを終えてエリスが病院の正面玄関で待っていると、ロータリーに滑り込んできた桜色の新型SUV――『ホシノ・リリック』から、桜華が大きく手を振っているのが見えた。
「エリちゃーん! こっちこっち~♪」
都会的で洗練されたフォルムのその車は、エリスが日本に来てから見かけたどの車よりも、活動的な桜華のイメージに合っているように思えた。
「ホテルは、新軸のロイヤルアネックスで良かったのよね?」
「ハイ、そうです」
「OK!じゃあ、都内はちょっと混んでるから時間がかかると思うし、車の中でゆっくりお話しながら行きましょうか^^」
エリスは、またあの超高速マシンガントークが始まるのかと、少し身構えていた。
しかし、意外にも、帰り道での彼女の話は、落ち着いた優しい口調だった。そして、その内容は、桜華がずっと見守ってきた、小さい頃からの悠斗に関する話で、それはエリスにとって非常に興味深いものばかりだった。
今ではスポーツ万能で健康そのものの悠斗が、小さい頃は体が弱く病弱だったこと。 五歳年上だった桜華は『この子は私が守ってあげなくちゃ』と、強い保護欲をかきたてられ、まるで母親代わりのように、世話焼きの『お姉ちゃん』になっていったこと。
小さい頃は入退院を繰り返し、小学校に入っても体力の無さからいじめの標的にされることもあった悠斗。
悠斗の母が悠斗を連れて実家の瀬島家に戻ったため、一緒に暮らしていた二人は、桜華が六年生、悠斗が一年生の頃、同じ小学校に通っていた時期もあった。
そのとき、悠斗がいじめられていると知るや否や、桜華は一人でいじめの首謀者たちを体育館裏に呼び集め、烈火のごとく長時間にわたってお説教をしたのだった。
(あまりの迫力と正論に、止めに入ろうとした先生方ですら、なかなか介入するタイミングを見つけられなかった、という逸話もあるとか⋯⋯)
「子どもたちの間では、私、『鬼ねーちゃん』なんて呼ばれてたらしいわ。失礼よねーこんなに優しいお姉さんなのにー」
「お、鬼⋯⋯」
当時、子どもたちの間には「ユートをいじめると、あの怖い鬼ねーちゃんがやってくる」という噂が瞬く間に広まり、その後、悠斗にちょっかいを出すような連中はいなくなったらしい。
(鬼⋯⋯オーガ?⋯⋯オーカさんに名前が似てる⋯⋯)
エリスは内心で冷や汗をかいた。
(⋯⋯なんて、口が裂けても言えない。言ったらとんでもないことになりそう⋯⋯。この連想は心の一番深い場所に封印しておくことにしよ⋯⋯)
もちろん、その後、悠斗自身も成長と共に体が丈夫になり、持ち前の明るさと優しさで、自然とクラスの人気者になっていった、ということも、いじめられなくなった大きな理由の一つだろう、と桜華は嬉しそうに付け加えた。
桜華の話を聞いて、ようやくエリスの中で全ての点が繋がった。
(それで、ようやく全てが繋がった。オーカさん⋯⋯いや、EIOのサクラは、ボクの恋のライバルではなかったんだ。EIOの中で、ユートにやたらとベタベタしていたように見えたのは、恋人的な甘い関係じゃなくて、本当に、世話の焼ける可愛い弟に対する、お姉さんの愛情表現みたいなものだったのね)
エリスは、肩の荷が下りたような安堵感を覚えた。
(なあんだ、心配する必要なんて、全然なかったんだ⋯⋯)
胸のつかえが取れたような気がしたが、しかし、すぐに彼女の心に新たな不安がよぎる。
(ん⋯⋯? あれ? でも、待って。たしか、日本では、いとこ同士って結婚できるんだっけ⋯⋯? や、やっぱり、まだ油断はできないかもしれない⋯⋯)
結局その日は、そのまま桜華と一緒に夕飯を食べることになり、そして、半ば強引に押し切られる形で、ホテルではなく、桜華が一人暮らしをしているという都内のマンションのお部屋に泊まることになった。
「ゆーくんの小さい時の秘蔵アルバムを見せてあげる♪」
そんな甘い言葉に、エリスがすっかり乗せられてしまった、というのもあった。そして、そのアルバムに収められていた幼い頃の悠斗は⋯⋯。
(かっかわいいっ⋯⋯! 本当に、鼻血が出そうになるほど、天使みたいに可愛い⋯⋯!)
エリスは、アルバムの中の幼い悠斗の写真を見つめながら、強く思った。
(もし、ボクにこんな可愛い弟がいて、その子がいじめられたりしたら⋯⋯ボクもきっと、鬼になるね。うん、なる)
間違いない、とエリスは深く頷いて確信していた。
「ねぇ、この笑顔の写真なんかどお? 今の⋯⋯大きくなったゆーくんの面影があるんじゃない?」
隣で楽しそうに解説する桜華の横顔を見ながら、エリスは不思議と、この『自称・優しいお姉さん』への親近感が、自分の中で静かに芽生え始めているのを感じていた。




