17:残響の聖剣
「ユート、危ない!〈ウインドストーム!〉」
エリスの鋭い叫びと同時に、猛烈な突風が車内を吹き抜けた。歪んだルーフにへばりついていた蜘蛛型の異形が、不可視の圧力に弾き飛ばされ、アスファルトの上をごろごろと転がっていく。
「ギィイィィィ!!」
異形の叫びが廃墟に響く。その隙に、悠斗とエリスは半壊したクロカンから這い出すようにして脱出した。立ち上がった悠斗の脳裏に、激しい既視感と寒気が襲いかかった。
「思い出した⋯⋯俺はコイツに殺されたことが⋯⋯」
「ループの中でね。これも悠斗の一つのトラウマになってるのかも。だから倒してしまえば目覚めにつながるかも!」
エリスは必死に悠斗を鼓舞するが、その余裕を奪うように、蜘蛛型が一瞬で距離を詰めてきた。損傷して逆折れになった関節がギチギチと音を立て、獲物を仕留める動きを見せる。
「くっ、〈スプラッシュウォーター!〉」
エリスが放つ水の魔法が蜘蛛型を押し留める。
しかし、本来は支援職である治癒術師の魔法では、敵の外殻を貫くほどの決定打にはならない。
「だめっ、治癒術師の魔法じゃ、ほとんど効果が⋯⋯!」
「くそっ⋯⋯俺も神聖騎士の力が使えれば⋯⋯!」
自分にできることが何もないという歯がゆさが、悠斗の心を焦がす。
「ギッギッギッ」
嘲笑うかのように、蜘蛛型が壊れたスピーカーのような音声を発した。
「このままじゃ、エリスのマナが尽きてしまう⋯⋯どうしたら⋯⋯」
絶望が迫ったその時、悠斗の脳裏に、凛とした、けれど懐かしい響きを持つ「声」が届いた。
『――もう少しだけ耐えて。そうすれば、道が開けるから』
「えっ⋯⋯この声は⋯⋯?」
悠斗が周囲を見渡した瞬間、天空より鋭い光が降り落ちた。凄まじい轟音と共に、蜘蛛型と悠斗たちの間の地面に深く突き刺さったのは、一本の剣だった。
「これは⋯⋯俺の剣⋯⋯?」
「教授⋯⋯? 悠斗の武器を送ってくれたの?」
「わからない⋯⋯でも⋯⋯これで俺も少しは戦える!」
悠斗は聖剣の柄を握りしめた。だが、その瞬間、腕に凄まじい負荷がかかる。
「くうっ⋯⋯なんだ? すごく重い⋯⋯」
「身体が神聖騎士じゃないからなのかも⋯⋯待って、バフをかけるわ!〈インヴォーク・マイティ〉!〈インヴォーク・アダマント〉!」
エリスの詠唱と共に、悠斗の身体を神々しい光が包み込んだ。筋肉が膨張し、神経が研ぎ澄まされるような感覚。
「!⋯⋯これで、なんとか振り回せそうだ!」
悠斗は聖剣を振るい、蜘蛛型と正面から激突した。
斬撃を繰り出すごとに火花が散り、敵の装甲を削り取っていく。しかし、やはり『スキル』が使えない今の悠斗ではあと一歩が足りない。
周囲を見渡していたエリスは、ある一点を見つめて叫んだ。
「ユート! 蜘蛛の注意を引いておいて!」
「わかった⋯⋯!〈シャインプロボーク〉! ⋯⋯だめか」
神聖騎士なら敵の注意を引きつける挑発スキルが使えるはずだが、今の悠斗にはそれを発動することができなかった。エリスに蜘蛛の視線が向かないよう、悠斗は力任せに剣を振り回す。
悠斗が捨て身の牽制を続ける中、エリスは蜘蛛、自分たちが乗ってきたクロカン、そして自分が一直線になる位置へ滑り込んだ。
「ユート!避けてぇっ!〈ウインドストーム〉!!」
放たれた突風が、クロカンを質量爆弾として撃ち出した。唸りを上げる鉄の塊が蜘蛛型に直撃し、凄まじい爆発が巻き起こる。
「蜘蛛が⋯⋯動かなくなった。エリスのアイデアの勝利だな⋯⋯!」
だが、安堵する悠斗の横で、エリスの顔面が蒼白になった。
「⋯⋯! 待って、蜘蛛の様子が⋯⋯!」
炎の向こう側で、蜘蛛型が最後の絶叫を上げた。それは音声データがバグを起こしたような、金属が軋む音が混ざり合った不快な絶叫だった。
「ギィィィィィィィィィ――ッ!!」
その断末魔が止むと同時に、世界の底を揺らすような音が響き始めた。
――ズシン。ズシン。
地響きと共に「白い虚無」の中から姿を現したのは、ビルの如き巨大な蜘蛛。
しかし、それは神話やファンタジーに登場するような、幻想生物としての巨大蜘蛛ではない。
「巨大蜘蛛のボス……!? まさか、あの時のクエストの……」
その姿に戦慄する悠斗。だが、エリスは恐怖に顔を引きつらせながらも、その正体を正確に見抜いていた。
「似てるけど……違う! よく見て! 機械の塊、兵器だよっ!」
全身は鈍色の金属装甲に包まれ、関節の隙間からは油圧パイプのようなものが覗いている。
八つの目は不気味な赤い光を放つカメラアイで、背中には電柱並みに太い巨大な筒状の主砲が備え付けられていた。
それは暴走アンドロイドたちを支配する多脚式戦車。
人類の叡智が歪んだ形で生み出した、崩壊都市に君臨する『機械神』とも言える存在。
その名は『アラクネ・ディストピア』。
冷徹な鈍色の機械神は、内部から溢れ出す破壊の衝動にその巨躯を振動させ始めた。
――ギュィィィン!
不気味な駆動音が、瓦礫の街に響き渡る。
アラクネの背部に備わる巨大な主砲が、逃げ場のない悠斗たちへ向けて、ゆっくりと、無慈悲に照準を定めた。
そして砲身の周囲で空気がパチパチと弾け出す。強烈な放電現象と共に、肌を刺すようなオゾン臭があたりに立ち込めていった。
「まさか⋯⋯あれって、荷電粒子砲?!」
その兵器の正体を察知したエリスは絶望に顔を青くして悲鳴を上げる。
アラクネ・ディストピアの巨大な体から放たれる威圧感は、先ほど相対した人間サイズの蜘蛛のものとは比べ物にならないほどだ。
そして、ついに一点に収束しきったエネルギーは臨界点を超え、超高熱の奔流となって悠斗とエリスへと無慈悲に放たれた。
「〈マナ・ウォール〉!」
エリスの鋭い叫びと共に、悠斗たちの前に半透明の光の壁が出現した。
治癒術師が使う高位防御魔法マナ・ウォール。
展開されたその壁が、荷電粒子砲から放たれたエネルギー弾を真っ向から受け止める。凄まじい熱量と光の奔流が周囲を白く染め、衝撃波が悠斗の頬を叩いた。
「ユート、早く逃げて!」
光の壁を維持し、両手を突き出したままエリスが叫ぶ。足元の地面は圧倒的な荷電粒子砲の圧力に耐える彼女の足で深く削れていた。
「エリスを置いて逃げられるわけがないだろう!」
「ボクのことは良いから、早く!」
(そんなわけに行くか!)
悠斗は歯を食いしばり、聖剣を握り直す。
マナ・ウォール展開中の治癒術師は、防御に全精神を集中するため、他の行動が一切できなくなる。展開をやめれば動けるようになるが、その瞬間、アラクネの無慈悲な一撃が二人を粉砕するだろう。
しかも、エリスの表情を見れば分かった。この魔法には効果時間に制限があり、そう長くは持たないのだ。
「あなたを助けるために、ボクはここに来たの!ここでユートに何かあるくらいなら!ボクが盾になる!」
「バカなこと言うな! 一人で死ぬ気か!」
悠斗の叫びに、エリスは苦悶の表情を浮かべる。
「!⋯⋯ダメ! もう制限時間が⋯⋯! 早く行って!」
エリスの悲鳴のような声が響く。
なんと言われようと、エリスを一人残して逃げるなんて選択肢は、悠斗にはなかった。
(一方的にやられるものか。せめて一太刀でも⋯⋯!)
悠斗は必死に活路を探し、聖剣を構える。バフのおかげで身体は動く。だが、機械の巨蜘蛛のパワーはそれを遥かに凌駕していた。
「ああ⋯⋯障壁が⋯⋯!」
エリスが展開した光の壁に、ミシ、ミシ、と不吉な亀裂が入り始める。
アラクネ・デストピアの圧倒的な出力の前に、高位防御魔法ですら限界を迎えようとしていた。
(抗ってやる。この悪夢に⋯⋯この不条理に!)
悠斗は決死の覚悟で前へ踏み出そうとした。だが――。
――バキィィーーーン!!
無常にも、ガラスが粉々に砕け散るような激しい衝撃音と共に、光の障壁は跡形もなく霧散した。




