内側からの視点
正門の鉄格子窓が、今度は音もなく開いた。国東が、待ちわびていたかのような笑みを浮かべて現れる。
「ようこそ。賢明なご判断です」
孝は表情を殺したまま、一歩前に出た。
「条件は、聞いた通りでいいんですね。武装は預ける。労働力として、俺と彼女が登録される」
「ええ、その通りです」国東は鷹揚に頷いた。「ああ、それと……お連れの方々は、当面、外の倉庫で待機ということでよろしいですね? 施設の収容能力にも限りがありますので」
その言葉に、孝は一瞬眉をひそめた。人質、という言葉が頭をよぎる。だが顔には出さなかった。
「わかりました」
*
門をくぐる瞬間、孝は背後を振り返った。土手の向こうに隠れているはずの武藤たちの姿は見えなかったが、確かにそこにいる。その事実だけが、今の孝を支えていた。
内側は、外から想像していたよりも整然としていた。同時に、その整然さの裏に張り詰めた緊張が、肌でわかるほど濃く漂っていた。
案内された先は、かつて職員食堂だったという広間だった。長テーブルに並ぶ人々は、皆一様に俯き、黙々と粗末な食事を口に運んでいる。誰も、新参者である孝と沙耶に視線を向けようとしない。それが、かえって不自然だった。
「見ない振りをする作法、ってやつだね」
沙耶が小声で言った。孝は頷いた。目立たないことが、生き延びるための知恵になっている場所。それは、モールで見た人間の縮図と、また違う形の恐怖だった。
*
初日の「業務」は、施設内の物資搬入の手伝いだった。孝は重い木箱を運びながら、周囲の様子を観察した。倉庫番をしているのは、国東直属の男たち。彼らの態度には、明らかな優越感が滲んでいた。
「新入りか。……体、しっかりしてるな。使えそうだ」
倉庫番の一人がそう言いながら、孝の肩を無遠慮に叩いた。孝は何も言わず、ただ黙って作業を続けた。ここで感情を見せることは、得策ではない。
一方、沙耶は炊事場に配属されていた。米を研ぎながら、周囲の女性たちにさりげなく話しかけている。
「配給、前より減りましたよね」
「……しっ。大きな声で言わないで」
隣にいた中年の女性が、慌てて周囲を窺った。
「でも、本当のことでしょう?」沙耶は声を落としながらも続けた。「燃料も、そろそろ厳しいって聞きました」
女性はしばらく沈黙してから、ぽつりと呟いた。
「……冬を越せるかどうかも、怪しいって話よ。でも、誰もそれを口に出さない。国東さんの機嫌を損ねたら、真っ先に配給を止められるのは、私たちみたいな下の人間だから」
沙耶は、その言葉に頷きながら、頭の中で情報を整理していった。恐怖による沈黙。それは支配する側にとって都合が良いが、同時に、限界に達した時、最も凶暴な形で爆発する種類のものでもあった。
*
夕刻、孝は作業の合間、風間と再び顔を合わせる機会を得た。今度は、堂々とした接触ではなく、廊下ですれ違う一瞬の交錯だった。
「……娘は、元気か」
風間が、すれ違いざまに囁いた。
「元気です。あなたのことを、話していいですか」
「まだだ」風間は首を振った。「今は、内側の状況が悪すぎる。国東の下働きの中に、私を探る目がある」
「何か、進展は」
「……自衛隊崩れの連中の一部が、俺たち警察官僚に接触してきている。国東のやり方に不満があるらしい」風間の声は、切迫していた。「奴らは、寝返る先を探しているのかもしれん。だが、それが吉と出るか凶と出るか……まだわからん」
その言葉を最後に、風間は何事もなかったかのように歩き去った。孝は、その背中をしばらく見つめてから、自分の持ち場へと戻った。
*
夜、割り当てられた狭い部屋で、孝と沙耶はようやく二人きりになれた。小声で、一日の情報を交換する。
「風間さんの話だと、自衛隊崩れの一部が、警察官僚側に寝返りかけてるらしい」
「それは、好都合か、悪材料か……」沙耶は考え込んだ。「もし本当に寝返るなら、国東の武力基盤は崩れる。でも、その過程で施設内が武力衝突になったら、私たちも巻き込まれる」
「コータたちは、外にいる。中に閉じ込められてるのは俺たちだけだ」
「うん。でも」沙耶は窓の外、暗い夜空を見上げた。「今のところ、私たちがここにいることには意味がある。目と耳になれる」
孝は頷きながらも、ある種の焦燥を隠せなかった。
「……母さんは、大丈夫かな」
「武藤さんとりかと瑞希がいる。心配ないよ」
沙耶の言葉に、孝はわずかに肩の力を抜いた。だが、頭の片隅には、常にあの倉庫での光景――目に光のない人々の姿が、こびりついて離れなかった。
(孝のモノローグ)
――ここにいる人たちも、きっと最初は、ただ生き延びたかっただけなんだ。それが、いつの間にか、こんな風に飼い慣らされてしまった。……俺たちは、同じ道を辿らずにいられるだろうか。
*
深夜、遠くで何かが軋むような音がした。孝は反射的に身を起こした。
「……何の音?」
沙耶も目を覚まし、耳を澄ませた。
「……発電機、かな。燃料が減ってきてるせいで、動きが不安定になってるのかも」
その音は、しばらく続いた後、ふっと途切れた。代わりに、施設のどこかから、誰かの怒鳴り声が微かに響いてきた。内容までは聞き取れなかったが、その声には、明らかな苛立ちと焦りが滲んでいた。
沙耶は暗闇の中で、静かに呟いた。
「……始まってるのかもね。何かが」
孝は何も答えず、ただ闇に目を凝らした。




