凍える前の駆け引き
倉庫に戻った四人を、沙耶が無言で出迎えた。その顔には、安堵よりも先に、警戒の色が浮かんでいた。
「……どうだった?」
孝は手短に、風間との接触、そして拘置所内部の構造について報告した。恐怖で民衆を縛る国東、身動きの取れない警察官僚、忠誠なき自衛隊崩れ。そして、底を突きかけている燃料備蓄。
沙耶は黙って聞き終えると、地図の上に指を這わせた。
「……つまり、あの拘置所は、遅かれ早かれ内側から壊れる」
「風間さんは、そう言っていた」
「なら」沙耶は顔を上げた。「私たちがすべきことは、ひとつしかない。壊れる前に、少しでも有利な立場を作っておくこと」
*
翌朝、倉庫の外に見張りを立てていた瑞希が声を上げた。
「……誰か来る。今度は、ちゃんとした格好の人」
現れたのは、国東の使いだという若い男だった。国東直属の下働きらしく、木村とは違い、身なりも態度もどこか慇懃だった。
「国東より言付けを預かって参りました」男は一同を見回しながら言った。「昨夜、施設内に何者かが侵入した形跡がある、と。……もし、そちらの方々に心当たりがおありでしたら」
孝は表情を変えなかった。武藤も、コータも、沙耶も。訓練されたわけではないが、モールでの経験が、こういう時に顔に出さない術を、いつの間にか教えていた。
「さあ。我々は昨夜からずっとここにおりましたが」
沙耶が涼しい顔で答えた。使いの男は、疑わしげな視線を向けたが、それ以上追及はしなかった。
「……まあ、よろしいでしょう。それより本題です。国東より、改めての提案がございます。武装解除と労働力登録を条件に、正式な受け入れを検討する、と」
「条件は変わらないんですね」
「ええ。ただし」男は声を落とした。「今回は少々、特別な計らいも。……お嬢さん方の中に、腕の立つ方がいらっしゃるなら、施設の〝治安維持要員〟として登用する用意がある、と」
その言葉に、コータの眉がぴくりと動いた。武藤が代わりに口を開いた。
「それは、渡りに船だな。だが、詳しい条件を聞かせてもらおうか」
*
使いの男が去った後、倉庫の中に重い沈黙が落ちた。
「……治安維持要員、か」武藤が腕を組んだ。「要するに、武力を持つ人間を、自分の駒として取り込みたいってことだ」
「危険な誘いだね」沙耶が言った。「でも、悪くない側面もある。中に入り込めれば、風間さんとの接触ももっとしやすくなる」
孝はしばらく考えてから、口を開いた。
「コータ、お前はどう思う」
コータは猟銃を膝に乗せたまま、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「……別に。撃てって言われりゃ、撃つだけだ」
その言葉の平坦さに、沙耶がわずかに眉をひそめた。以前のコータなら、もう少し躊躇いや、あるいは高揚が言葉に滲んだはずだった。今の彼の声には、そのどちらもなかった。ただ、乾いた事実だけがあった。
(沙耶のモノローグ)
――撃てと言われれば、撃つ。それは兵士としては、正しい答えだ。でも、人としては……。
その先を、沙耶は考えないようにした。
*
その夜、初めて息が白くなった。
「……冬だな」
武藤が呟いた声に、誰もが空を見上げた。雲の隙間から覗く月が、やけに冷たく見えた。
「本格的に寒くなる前に、決めなきゃいけないことが多い」沙耶が言った。「燃料、防寒具、食料の備蓄……このままだと、屋外での長期生存は厳しくなる」
「拘置所に入るしかない、ってことか」
「入る、というより……上手く〝使わせてもらう〟。国東にも、警察官僚にも、完全に肩入れしない。その方が、後々動きやすい」
孝は沙耶の言葉に頷きながらも、ある種の居心地の悪さを感じていた。かつて自分たちが批判した、あの近隣コミュニティの大人たちのエゴ。それと、今自分たちがやろうとしていることの違いは、果たしてどこにあるのか。
(孝のモノローグ)
――俺たちは、あの大人たちを軽蔑した。誰かを利用し、誰かを切り捨てる姿を見て、心底、嫌悪した。……でも今、俺たちがやろうとしていることは、それと本当に違うのか?
答えは、すぐには出なかった。
*
数日後、寒さが一段と増した朝、木村が再び倉庫を訪れた。今度は、緊張した面持ちで。
「……変な噂を、聞きました」
「噂?」
「自衛隊崩れの連中の中に、国東さんのやり方に不満を持ってる人がいるらしくて……もし国東さんが弱みを見せたら、寝返るかもしれないって」
武藤が眉をひそめた。
「クーデターの芽か」
「わかりません。でも……なんか、施設全体がピリピリしてます。配給も、この前よりさらに減らされて」
孝は木村の報告を聞きながら、風間の言葉を思い出していた。――「そう長くは持たない」。それが、思っていたよりも早く現実になろうとしているのかもしれなかった。
「沙耶、どう動く」
沙耶はしばらく地図と、そして頭の中の情報を整理するように黙り込んでから、口を開いた。
「……治安維持要員の話、受けよう。ただし、コータじゃなく、私と孝で」
「なに?」孝が驚いて聞き返す。
「コータを表に出すのは、まだ早い。彼の腕は、切り札として温存しておくべき。それより、私たちが中に入り込んで、情報を集める方が先決」
コータは何も言わなかった。ただ、その目には、切り札として扱われることへの微かな苛立ちが浮かんでいるように、沙耶には見えた。
――冬が迫る中、拘置所という名の脆い王国は、静かに軋み始めていた。恐怖で支配する者、法を掲げながら動けぬ者、忠誠なき武力。そのいずれもが、いずれ来る崩壊の予兆に、気づかぬふりを続けていた。孝たちはその隙間に、静かに足を踏み入れようとしていた。
翌朝、孝と沙耶は、国東の使いに「提案を受け入れる」旨を伝えるべく、正門へと向かった。




