痴漢小僧
ただしイケメンに限る、なんて言葉をずっと昔に聞いたけれど、あれは訂正した方が良い。
たとえイケメンだとしても、むかつく。少なくとも私はそう。
「今時壁ドンなんて流行らないですよ。退いてください」
学園の人通りの少ない通路の壁に追い詰められ、逃げ道はその腕で塞がれている。こんなことされるの初めてだけど、こういうのが好きなお嬢さんたちはこれにときめくのだろうか。私の感性が人と違うのは分かるのだが、ときめきなどという感情には微塵も掠ることもせず、早く退け、そして通せや、としか思えない。
私の好きな人はこんなことはしないけれど、万が一クレイスくんにされたとしても嬉しいとは感じないだろう。どうしてしまったのか心配になるだけだ。
私調べで学校一格好良いクレイスくんにされたとして、嬉しくはないけどギリギリむかつかない、というラインだというのに、目の前の小僧はどうだ嬉しいだろうと言わんばかりに不適に微笑んでいる。
「ルルちゃんだっけ、フォンスが呼んでるの聞いたよ。いろいろあったけど、フォンスと仲良くなったなら俺ともお話してくれるよね?」
紫の髪に黒い瞳。この状況じゃなければ、その深い色に親近感を持ったかもしれないのに。理由も分からず行く手を阻まれている今は、苛立ちが募るだけだ。
「フォンスくんはお友達ですし。貴方はお友達じゃないので名前で呼ばないでください」
シュシュちゃんとの件で一悶着あったフォンスくんからは、きちんとユリーシア様への謝罪ももらったし、今は同じ趣味の仲間だ。オタクにとって同じ趣味のお友達というのはとても貴重な同志なわけで。ほぼ初めて喋ったような人に、そこと同じ呼ばれ方をされる謂れない。そもそもフォンスくんは、私のことをさん付けで呼ぶ。
「そんなこと言わないでよ。あ、僕のことはロイくんで良いからね。これから妹がお世話になるって聞いたよ。ね、ね、だから仲良くしようよ」
なんとも軽薄な小僧だ。この一見フレンドリーな態度で騙される女の子もいるかもしれないけど、私は好きになれない。
妹がうんたらって言ってるってことは、お姉様から依頼があったなんたら侯爵家の小僧だとは思うんだけど。揉めていた時に何度か顔は合わせているはずだが、和解もしていない小僧は覚えておく必要もないかと記憶を放り投げたので記憶が朧げだ。
でも、そうだとしたら、クレイスくんがこいつとは仲良くしてほしくないって言っていたし、それでなくとも碌でもなさそうなので、とっとと退散したい。
「私、こういう強引なことをする人とはお友達になりたくないです」
お友達を増やしたいなら、素直にそう言うだけで良い。こんな風に逃げ道を塞ぐ必要性はないのだ。
こうして会話することでクレイスくんとの約束を破ることにもなってしまっているから、せめて少しでも早く開放されたいんだけど。
対話での解決を試みるべきかもしれないが、それは相手に理性が備わっている場合だ。目の前の小僧には、そういったものはあるのだろうか。
もし、どうしても開放してくれないと言うのなら。
最終手段がある。
最強の痴漢撃退術、金的という秘技が。
でも、死ぬほど痛いっていう話だし、私だって一応は貴族令嬢だ。本当に奥の手だし、まだそれを繰り出すには早いか? っていうか、普通にそんなところに触れたくない。いや、でも、やめてくれそうにないし……と考えあぐねていると、指先で顎を持ち上げられた。
「ねえ、ルルちゃん、そんなこと言わないで」
吐息混じりに囁きながら、唇が近付いてくる。
えっ、むりむりむり。
「成仏してください!!!」
成仏って仏教用語だっけ。通じるのかな、なんて考えながら力を込めた私の足は、悲しいかな股間は外してしまったけれど、痴漢小僧の膝にヒットした。
「……っ!」
それなりの威力にはなったようで、小僧が痛みに蹲った隙を見て走り出す。
単独行動好きがこんなところで仇に出るなんて。でもでも、いくら人気のない校舎といえど学園内だ。痴漢が出没するなんて聞いてない。
後ろを振り向く余裕もなく全力で駆けていった先に、ようやく人影が見えた。
金糸の髪に紅い瞳。誰よりも美しいその人が、驚いたようにこちらを振り向く。
クレイスくんのお姉様。ユリーシア様だ。
知っている顔が、より私を安心させる。
「ルル? 校舎は走っちゃ駄目って言ったでしょう」
「許してくださいっ。痴漢から逃げてるんです!」
立ち止まって振り返ると、やっぱり追ってきている。思わずユリーシア様の背中に隠れてしまったけれど、しまった。この小僧、無差別系の痴漢な気がする。今度はユリーシア様が狙われてしまう。
だって、狙うなら断然ユリーシア様だ。私だって可愛いけれど、ユリーシア様はこの世の誰より美しい。
ユリーシア様を犠牲になんて出来ない、と出ていこうとすると、その長い腕で小僧との間を遮られる。え、守ろうとしてくれている。格好良い。
「あなた、わたくしのルルになんの御用? こんなに怯えさせて」
クレイスくんとの約束を破ってしまっている状況に堪えられなかっただけで、別にこんな小僧くらい怖くはないんだけれど、それでも庇ってくれるのが嬉しい。
「ユリーシア様、好きぃ……」
「ええ……、僕には靡かなかったのに。クレイスと付き合ってるくらいだから顔の良い男が好きなんじゃないの? 顔が良ければ女の子でもいいの? ついでに、僕、この公爵令嬢様のこと嫌いなんだけど」
「あなたがわたくしを嫌っていることくらい存じ上げていてよ。それより、ルルに酷いことをしたようね」
「このこぞ、……この人、ナルシストです! 自分に口説かれたら誰でも嬉しいはずって思うタイプの勘違い系痴漢ですっ。こんな人よりクレイスくんやユリーシア様の方が格好良いのにっ」
痴漢行為への仕返しだ。平均よりは整った顔をしているのかもしれないが、私の大好きなお二人の足元にも及ばないから、その過剰な自信は捨てた方が良い。
「えー、悲しいなあ。でも、顔で負けても女の子を喜ばせる方法は僕の方が知ってると思うよ」
今のところむかつくことしかされていない。世の中の痴漢ってみんなこんな理屈で犯行に及ぶの?
「その諦めの悪さが好かれない理由なのではなくて?」
「うわ、可愛げない。これだから嫌いなんだよなあ。……まあいいか。またね、ルルちゃん」
「またはないですっっ」
手を振って去っていったけれど、もう二度と関わりたくない、切実に。




