4-207 三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい
寝落ちしたマタベエをウルトの根元に運び、俺は幹を背にして小説の文章を考えていた。
地べたにそのままというのは少し雑な気もするが、キノコのマタベエにとってはとても快適らしく、布団に包まる様に心地よさそうな顔をしている。
「三千世界の烏を殺し主と朝寝をしてみたい、ってな」
頭上から舞い散る桜の花弁を眺めながら俺は幕末の志士が遺した都々逸を呟いた。
彼の様に煩わしいものを全て殺し、狂おしいまでに好きな事だけを楽しめる人生を歩めればどれほど幸せなのだろう。
(まあいっか……)
何も見たくない。
何も見なくてもいい。
こんなにも桜が美しいのならばただ美しさを愛でればいい。
たとえ一瞬で散ってしまうとしても、終わりがもたらす荘厳な景色を受け入れない道理はない。
(それでいいのよ、智樹)
(母さん……?)
うたた寝をしていると俺は母さんに膝枕をされていた。
どうして母さんがここにいるのだろう。
何かとても悲しい事があった気がする。
でもどうだっていいか。
(悲しい事から、辛い事からお母さんは全部智樹を護る。だからあなたはただ眼を閉じて眠りなさい)
(うん……)
俺は母さんに言われるがまま目を閉じて夢を見続ける。
そうだ、最初からこうすれば良かったんだ。
無理に戦わなくて良かったんだ。
疲れたのならば眠って、思う存分休んだらまた頑張ればよかったんだ。
それだけの事なのに、なんで俺はずっと無理をしていたのだろう。
荒んだ心は母さんの温もりと桜の香りによって癒され、俺は少しずつ運命に立ち向かう意志を取り戻していった。
(そう。智樹はあの場所に戻りたいのね)
(うん……)
ここはとても幸せな場所だ。
だけど皆がいない。
俺は母さんに別れを告げ、ゆっくりと目を開けた。
…。
………。
……………。
「ん……」
昼寝から目覚め、俺はもふもふした感触で目が覚めた。
するとそこには何故かモリンさんがいて、とても寂しそうな顔で微笑んでくれていたんだ。
「おはようございます、智樹さん」
「……うん?」
だけどその時何故かモリンさんが一瞬母さんに見えてしまった。
確かに母さんもタヌキっぽい見た目だったけど、どうしてそう見えたのだろう。
「おはようございます」
俺はもぞもぞと動いて身体を持ち起こした。
涎とか垂らしてだらしない姿を見られていなかったかなあ。
「なんか久しぶりに会いましたね。ニライカナイ以降ドタバタしてちゃんと話せませんでしたけど」
「いえ、智樹さんはお忙しい身ですから。気にしないで下さい」
モリンさんはどことなく雰囲気が変わっていた。
けれど具体的に何か、と言われるとわからない。
星のかけらを食べても彼女は特に変化がなかったけど、実はステルス強化されていたりとかそういうのがあったりするのだろうか。
「お金も貯まって仕入れも出来ましたし、そろそろリーボルトに戻ろうかなと思いまして。出発する前に智樹さんにお別れを言いに来ました」
「随分急ですね。寂しくなりますけど……仕方ありませんね、子供もいますし」
モリンさんは行商人であり、成り行きで俺達と同行していたに過ぎない。
用事が済んだ以上愛する家族の下に帰るのはごくごく自然な事で、むしろこちらの都合で引き留めてはならないだろう。
「今まで本当にお世話になりました。智樹さんと巡り合えて、私は本当に幸せでした」
「そんな大層なもんじゃないですよ。それに生きていればまた会えると思いますし」
モリンさんはまるで今生の別れであるかのようにオーバーに言った。
元々涙もろい人ではあったけど、ここまで涙ぐまなくてもいいのに。
「……はい。智樹さん」
だけどモリンさんは俺の目を真っすぐ見て、
「どうか生きて下さい。逃げても嘘をついても、どんな卑怯な方法を使ってもいいので生きる事だけを考えて下さい。生きる事は恥ではありません。生きたいと願う事は罪ではありません。だからどうか、生きる事を諦めないで下さい」
と、別れの言葉というには少しばかり仰々しい事を告げたので俺は呆気に取られてしまったのだ。
「モリンさん?」
「さよならですポ、智樹さん」
ポカンとしながらも彼女の名前を呼んだ時、モリンさんは思い出したかの様に口癖を語尾につけ、頭をぺこりと下げ背を向けて去っていった。
そして彼女は一度も振り返る事なく俺の前から消えていった。
俺もまた最後に見た強い決意を秘めたモリンさんの眼差しと、白百合の様に気高くも悲哀を帯びた後姿のせいで何も声をかけられなかったんだ。




