4-197 鍋島竜胆を呪う夢
天龍リンドヴルムに取り込まれた俺は一度存在が消失し、誰かの想いによって作られた白昼夢の様な世界に降り立った。
そして俺は見た事がない、けれどよく見慣れた場所に立っている事を認識する。
(ここは……)
消毒液のニオイ、白い壁と床、清潔感しかない温もりに包まれた場所はどこかの病院の様だ。
周囲を見渡すと髪が抜け落ちた子供が楽しそうに看護師の女性とおしゃべりをしており、患者はほとんど子供だったのでこの場所は小児科病棟なのだろう。
「……………」
けれど看護師の女性は一人の女性を見て一瞬冷めた眼差しを向ける。
彼女は――鍋島竜胆もまた自分に向けられた冷たい視線に薄々気付いていた様だが、あまり気にしない様にして愛する我が子の下へと向かった。
「お母さん!」
「やあ、アルリ」
鍋島竜胆は病室に入り、ベッドの上に横たわるアルリは母親に会えただけだというのにとても嬉しそうに笑っていた。
「サトシもいつもありがとうね」
病室には何故か発展途上国で武装勢力に襲撃されて亡くなった松原医師もいた。
病院に医者がいるのは当たり前だが、松原さんは学生服を着ているので医療従事者としてこの場にいるわけではなさそうだ。
「気にしないで、竜胆さん。僕も好きでやってる事だから」
彼は鍋島竜胆を竜胆さんと呼んで挨拶を交わす。
その挨拶は他人というには親しく、けれど家族というにはややぎこちなかった。
(アタシは家族と思っていたんだけどね。結局サトシは最後までアタシの事をお母さんって呼んでくれなかったねぇ)
(っ)
少し歪な家族のやり取りを眺めていると、俺の隣に寂しげな鍋島竜胆が現れそう呟いた。
(これは一体。っていうか俺は天龍リンドヴルムに取り込まれて……)
俺は二人の鍋島竜胆を見比べ何が起きているのか把握しようとする。
まさかここは死の間際に見る走馬灯か、あるいは死後の世界なのだろうか。
(ごめんね。もうちょっとオバちゃんの昔話に付き合ってくれるかな。これが最期だから)
(……はい)
けれど鍋島竜胆からは悪意が一切感じられなかったので俺は心を落ち着かせ冷静になる。
きっと彼女は自分の想いを知って欲しかったからこの世界に連れてきただけなのだろう。
(アルリは魚座のアルファ――アルリシャが名前の由来でね。いかにも宇宙が好きな親が付けた感じの名前だろう?)
小さい頃から宇宙が好きだった宇宙飛行士が子供に星にちなんだ名前を付ける。それは当然の成り行きだ。
ならばどうして松原サトシは普通の名前なのだろう。
それについて様々な理由は推測出来るが、あまり興味本位で家庭の事情を知らないほうがいいかな。
(アルリはアタシに似て夢見がちな子供でね。死んだらお星さまになるんだって本気で信じてたんだ。死んでもお空で待っているからお母さんは夢を追いかけてって)
(……………)
無邪気に笑う愛娘は残酷な運命を何も知らなかった。
けれど夢を見続けて死ぬ事が出来たのなら幸せだったのかもしれない。
心温まる場面は暗転し、静かな病室では鍋島竜胆が嗚咽を流していた。
ベッドの上にいた娘はやせ細っていたが、彼女はまるで眠っているかの様に穏やかな顔をして空の世界へと旅立っていった。
(でもそれで子供の命よりも妄想みたいな夢を選んだ人でなしって嫌われて、子供の死に目に会えなかったら世話ないわねぇ)
その希望に満ちた死は鍋島竜胆にとって呪いとなってしまった。
彼女の叶うはずがなかった夢はやがて妄執となり、鍋島竜胆は夢に憑りつかれてしまったのだ。
(せめてアタシがもう少しまともな親だったらサトシも……夢じゃなくて現実を見て、平和な日本で普通の医者になっていたのかねぇ)
しばらくして松原サトシもまた異国の地から無言の帰宅をする。
彼女が夢を追い続けている間に鍋島竜胆は二人の我が子を失ってしまったのだ。
次の場面で鍋島竜胆は多くの人々から糾弾されていた。
話している内容はわからないがそれは単純な怒りではなく、彼等は皆一様に彼女の目を真っすぐに見ていたのだ。
考え直してほしい、他に方法があるはずだ。
そうした言葉が飛び交っていた事から彼等は友人でもある鍋島竜胆を説得していたと考えられる。
(宇宙開発ってのは利益が理解されにくい上に金がかかる。だから毎回毎回お偉いさんを説得して予算を取って来るのに上の人は必死なのさ。年々予算が削減されて夢への扉は少しずつ閉じられていった)
多くの人はその夢を簡単には賛同しないだろう。何故ならその夢には膨大な税金が投入されるからだ。
だからこそ宇宙飛行士は数が限られており、巨額の金を託すのに相応しい選ばれた人間しかなれないのだ。
(アタシは手っ取り早く金を手にするために軍事転用出来るよってなりふり構わずいろんな所にアピールをした。そういうのが大嫌いな人もいっぱいいたのにねぇ)
鍋島竜胆の周囲からは一人、また一人と人が去っていく。
彼女は夢を叶える対価に彼等の夢を奪ってしまったのだ。
(そんなふうにアコギに稼いでいたからまあまあ嫌われてたのに、コネと技術しか取り柄がなかったアタシがよく宇宙飛行士になれたもんだよ)
元々宇宙関連の技術者だった鍋島竜胆は宇宙飛行士の夢を諦めた後、技術屋から経営者、そしてようやくかつての夢だった宇宙飛行士になったという異色の経歴を持っている。
惜しむらくは彼女がその全てにおいて超一流だったという事だ。
(宇宙飛行士になれなくても宇宙に関わる手段はいくらでもある。だからアタシは折り合いをつけて技術者になった。割と高給取りだったしその辺で諦めていればよかったんだろうさ)
傍から見れば全てを手にした彼女はこれ以上夢を見る必要などなかった。
稀代の天才技師でもあり経営者だった彼女は大災厄がなければ傑物として語り継がれたはずだ。
(……だけどねぇ、やっぱりどれだけ自分の気持ちを誤魔化しても、あの場所に辿り着く事を諦める事は出来なかったんだよねぇ)
けれど夢に憑りつかれた彼女は手にするはずの名誉を全て失ってしまった。
見果てぬ夢は鍋島竜胆に全てを与え、そして全てを奪い去ったのだ。
(竜胆さん。あなたは予算削減のあおりを受けて衰退した宇宙産業を立て直して、持たざる者から宇宙飛行士になりました)
彼女は自らを卑下したが俺にはとてもそうは思えなかった。
(コネと技術だけって事はないと思います。結果はともかく、あなたは夢を叶えるに相応しい人間だったと思います)
諸々の功罪はあれど鍋島竜胆が成し遂げた事は偉業というより他ない。
彼女は自らの行動力と才能だけで本来想像する事も出来なかったはずの無謀な夢を叶えたのだ。
鍋島竜胆がため息をつくと場面が転換し、焦土と化した焼け野原に立っていた。
「結果はともかく、か。これでもかい?」
「っ」
死体はないがここは多分俺の故郷だった京都だろう。
もしもそんなものがあったら確実に発狂していたが、精神が壊れない様に配慮してくれたのだろうか。
「大災厄がなければ日本が戦争に巻き込まれる事もなかった。『桜龍』を生み出したアタシは智樹ちゃんからすれば殺したいほど憎い相手のはずだ。なのにどうして智樹ちゃんはそんな事が言えるんだい?」
「……そうですね」
俺は一瞬動揺してしまったが、心を落ち着かせて鍋島竜胆の問答に答える。
「きっと知ってしまったからだと思います。鍋島竜胆という人間の心を。鍋島竜胆という人間の葛藤を。だから正直そこまで恨んでいないのかもしれません」
世界中の人の故郷を、家族を、人生を奪った鍋島竜胆は本来百回殺しても足りないくらい憎い相手のはずだ。
似た様な事をした瀬田直子は今も憎くて仕方がない。
けれどそれは身も蓋もない事を言えばあいつの言動や振る舞いが全く理解出来なかったからだ。
鍋島竜胆に対してそんな感情が浮かばなかったのは、結局リンドウさんを介して理解してしまったからなのだろう。
だから俺は彼女に復讐したいと思わなかったのかもしれない。
「そうかい。智樹ちゃんは優しいんだね。だけどその優しさはアタシにとっては呪いでしかないんだよ」
「竜胆さん」
けれど俺の答えに落胆した鍋島竜胆は、寂しげに微笑み全身を徐々に変異させていく。
「家族を犠牲にして、仲間も犠牲にして、戦争を引き起こして、罪の無い人を犠牲にして、これだけ多くの人の想いを踏みにじって来たのに、アタシはそれでもあの場所に辿り着きたいと願うどうしようもないクズなんだよ」
桜の花弁の様な鱗が全身に咲き誇り、背中からは蛹から蝶が羽化する様に歪な龍の羽が生え、彼女は悍ましくも美しい鬼女へと変貌していった。
この歪な姿は彼女の夢への強い執着によって生まれたものなのだろう。
彼女の夢への想いは肉体が滅んだくらいでは消える事がなかった様だ。
「智樹ちゃんが皆の所に帰りたいなら、生きたいと願うのなら、いい歳をして夢を見続ける痛いオバちゃんの最期の我が儘に付き合ってくれるかな」
「そうですね。お互いスッキリさせるためにもそのほうがいいでしょう」
俺にとっては鍋島竜胆を撃ち滅ぼす事は大災厄の復讐にもなる。
けれど仮にこの無意味な戦いに勝利したとしても、決して心が満たされる事はないのだろう。
だけどあの日から前に進むためにも、そして何より未来を掴み取るためにも俺はこの戦いに勝利しなければならない。




