4-173 回想・心が壊れた帰還兵達
俺達が立っていた場所は何の変哲もない住宅街だった。
工務店の三階建てのビルが建っている以外に高い建物や会社はなく、日本中どこにでもある高級路線でも低所得者向けでもない普通の住宅街だ。
ピンポーン。
住宅街では小学校低学年くらいの子供が友人と一緒にピンポンダッシュをして遊んでいた。
あまり褒められた事ではないが子供なら一度くらいは経験するイタズラだ。
だがこれも平和の国日本だったからこそ成立していた遊びだと言える。
ピンポーン。
少年は同じ様に別の家にもピンポンダッシュをした。
けれどその直後家からドタドタという足音とガシャンという食器が壊れる音がし、怒られると思ったのか子供はすぐに逃げ出す。
「デッスゥーッ! デッスゥーッ!」
「ッ!」
家主は即座に玄関から飛び出して叫び、素人には聞き取れない大音量の潰れた声に子供は驚愕してしまった。
日常で生きてきた少年はおそらくこんな獣の様な声を人生で一度も聞いた事がないだろう。
物陰に隠れた少年は恐る恐る様子を伺い、そしてそこにいた人ならざる存在を認識して青ざめてしまった。
「フー、フー、フー……ッ!」
浮浪者の様な男はずっとジャングルにいたかの様に髪と髭を無造作に伸ばし、研ぎ澄まされたミリタリーナイフを握りしめ周囲の様子を伺う。
ナイフを正しい構えで持ちつつも、生存本能のままに襲撃者を確実に仕留めようとする獣の様な眼差しは最早人間のそれではなかった。
「っ」
不幸な事に彼のすぐ近くにはスマホを持って歩く女子高生がいた。
ながらスマホをしながら歩く彼女はイヤホンをつけていたので男の存在に気付かなかったらしい。
「アアァアアアアッ!」
「ギャアアッオゴッ!?」
その瞬間、男も女子高生も人間の声を発する事はなかった。
おそらく野生の草食動物が、狼に喉笛を食いちぎられ噛み殺された時にこんな声が出るのだろう。
ここはどこかのスーパーマーケットだろうか。
店内からは気の抜ける様なポポーポポポポ、という呼び込みのBGMが流れ、買い物客はいつも通り商品を購入していた。
ポスターには客のクレームを意識せず『万引きは重大な犯罪です』『皆やっているから、なんて言い訳は通用しない!』というポスターがそこかしこに貼られていた。
また店内には防犯カメラで撮影した万引き犯の写真や個人情報も掲示されおり、プライバシーとかそういうので法令違反になりそうだ。
だがあまりにも頻発してしまったので、店側にはもうそんな事を気にしている余裕はないのだろう。
若い主婦らしき女性は三倍近く値上がりした卵を見て顔をしかめてしまう。
店内の商品は白黒のパッケージかつどれも品薄で、今までとは比べ物にならないくらい高くなっており家計の負担となっていたらしい。
買い物かごを持っていた彼女はちらちらと周囲を伺った後、そっとハンドバッグに総菜を忍び込ませた。
戦争によるインフレと市民の順法意識の変化――これだけでも生々しい日常の崩壊だと言えるが、さっきの凶行があるのでそういうのではないはずだ。
バッ! バッ!
「ッ!?」
「敵襲ッ! 一匹残らず駆逐せよッ! 敵はゾンビだッ! 我々はヒーローだッ! バンバンバーン! わっはっはー、わっはっはー!」
呼び込みの間抜けな音が聞こえる中、突如として日常には不釣り合いな銃声と奇声が聞こえた。
だが店内にいる人間は最初その音が何なのかわからなかったらしく、すぐに逃げる事は無く驚きつつも万引きを続けていた。
軍服を着た男は笑いながらライフルを乱射し、敵と判断した物を片っ端から破壊し尽くす。
包丁を持った食肉担当の店員も、リンゴを持っていただけの客も。
(この人って……ひょっとして錦界収容所にいた)
(日本に帰ってからクスリをキメてこうなっちゃったんだろうねぇ)
ヒカリはどうやらこの常軌を逸した眼の男に見覚えがあったらしい。
希典先生は薬物中毒者だと説明してくれたが、そんな事は言われなくても見ればわかる。
死の恐怖を紛らわせる為か、地獄の様な経験を忘れる為か――たった一つだけ言える事は、この元自衛隊の男はもう誰にも救う事が出来ないという事だった。
「うわっ、ヤベっ……」
(こいつ馬鹿かッ!?)
そしてさらに驚く事に一部の人間はスマホで撮影していたという事だった。
目の前にライフルを持っている薬物中毒の男がいるというのにそれはあまりにも愚かな行為だった。
この頃の日本では銃による犯罪は滅多になかったという記憶がある。
なので承認欲求の強い彼はこれが恐ろしい事ではなく、バズりそうな非日常的なアクシデント程度だと認識したのかもしれない。
街中で銃声が聞こえたら逃げるか隠れるか、それが無力な民間人が出来る唯一の事だというのに。
バッ!
「え」
案の定スマホは撮影していた人間の腕ごと吹き飛んでしまう。
しかし撮影者の男性はすぐに何が起こったのか理解出来ず、呆然とどくどくと血が噴き出る千切れた腕を見続けていた。
「オガァアアア!? 何で!? 何で手がないのッ!? 何で手がないのッ!?」
(そらそうなるよ)
撮影者の男性はパニックになって絶叫するが、希典先生はB級ホラー映画を鑑賞する様に半笑いでツッコんだ。
オッサンの性格の悪さはひとまずさておき、俺は出来るだけ何も考えない様にして当時の日本の事を思い出した。
(この頃でしたっけ。帰還した自衛隊による問題が頻発したのは)
(心的外傷後ストレス障害――PTSDだったり、クスリに手を出したりね。ぶっちゃけ向こうで死んだ人間よりも日本に帰国してから自殺した人間のほうが多かったんだよね)
軍人がいくら鋼の肉体と精神を持っているとはいえ人は決して死の恐怖に抗えない。
所詮彼らは英雄ではなく人間なのだ。
ましてや平和の国日本でずっと訓練しかせず、本番をほとんど経験した事がない自衛隊はなおの事だろう。
「殺さなきゃ! 護らなきゃ! 子供がレイプされる! 逃げてぇええ! 全部殺さなきゃあああ!」
それに目の前で銃を乱射している元自衛隊の男は狂っているわけではない。
ただ恐怖と絶望で泣き叫んでいるだけだ。
だから俺は正直に言うと、狂ってもなお誰かを護ろうとしている彼がそこまで恐ろしいとは思えなかったんだ。
(俺の父さんもきっと……)
英雄と呼ばれた父さんもまた過酷な経験から精神が崩壊し自ら命を絶ってしまった。
なのでこの光景は俺にとってはさほど驚く事ではなかった。
人間は人を殺せば壊れてしまう。
多くの人間は人を殺せず、死の恐怖に耐えられない様に出来ている。
心を持った彼等は決して玩具の兵隊ではない。全員が血の通った人間だ。
そんな当たり前の事を平和に慣れてしまった当時の人々は誰も知らなかったのだろう。




