4-70 互いを理解し合う智樹とミトラ
しばらく気まずい時間が流れ、ミトラは涼しい顔でやらかした俺に尋ねた。
「しかしよく耐えられましたね。私は普通の人間と違うので耐性はありましたが」
「ええ、まあ……自分は人間を止めたくなかったので」
「そうですか」
こっちは催淫弾を一発撃たれただけで理性が崩壊しそうになったのに、ミトラはあれを何発も耐えたんだよなあ。流石はNAROの長官というわけか。
「でもどうして俺を助けてくれたんですか。手当までして……」
「助けたわけではありません。あなたが犯罪者だとしても手当てもしますし、死なせない様に最大限の配慮もします」
特別なマタンゴさんとの遭遇で俺は彼女の強靭な精神力を身をもって知ってしまった。そして秩序を護る番人としての彼女の信念も。
「優しさは共感出来る相手にのみ与えられますが、人権は受け入れられない相手にも与えられなければいけないものです。それが法律というものです」
「そう、ですか……」
先程のルールを適用するのならばこれもまた法律を遵守するミトラの信条なのだろう。
操られていたとはいえ自分を犯そうとした敵ですら助けるなんて、並大抵の事ではないというのに。
「そんな犯罪者なのに手錠を外すんですね」
「生存のためにはこちらの方が適切と判断したからです。あなたは極限状態においても自らを律し、たとえ相手が敵で自分が傷ついても倫理を護るべきだという思考が出来る様ですし」
カチャリ、という音がして手錠が外れ、ずっと繋がれていた俺はようやく自由を取り戻す。
けれどミトラと離れ離れになってしまった事で、俺は何故か切ない気持ちになってしまった。
「別に思考とかしてません。無我夢中でそうしただけで、気付いたらそうなっただけです」
「もしそうならばなおの事高潔だと思いますよ。その様な状況下に置かれた場合、多くの人間は倫理と悪徳を天秤にかけますが、あなたはその様なプロセスを経ずに結論付けたわけですから。NAROに勧誘したいくらいです」
「冗談でもよしてください。寒気がします」
どうやら俺がミトラを護るために咄嗟に取った行動は、彼女の俺に対する見方を軟化させたようだ。
正直こんな奴に評価されてもあまり嬉しくはないけど、信頼を得たおかげで逃げるチャンスが出来たので良しとしよう。
「俺はそんな立派な人間じゃないです。ただ壊れる事が怖いだけの弱い人間です。だから戦争に行きたくないんです」
彼女は誤解している様だが俺程メンタルが弱い人間もいないだろう。俺はただ病的なまでに臆病なだけだ。
「俺は戦争で壊れてしまった人間を嫌というほど知っていますから。あんたらはそれを見えなくしてますけどね」
父さんは日本を護った英雄と呼ばれたが、俺が知っていた父さんは常に何かに怯え、見えない何かに許しを請い自ら命を絶った。
だが多くの人間はその事実を知らない。
もしも父さんの陰鬱な死に様を知ってしまえば、戦争ヒャッホーな空気も変わってしまうのだろうか。
「聖さんが本当に恐れているのは、死ぬ事ではなく壊れてしまう事なのかもしれませんね」
「そうかもしれません。当たり前ですが戦争は殺して奪う事です。殺すにしても犯すにしても一線を越えてしまえばもう普通の生活には戻れませんから」
俺は恨みの籠った声でミトラを静かに糾弾する。
どうせ身の回りの情報は徹底的に調べ上げただろうし、彼女も俺の心の奥底にある戦争と死への強い恐怖には気付いているはずだ。
「戦争帰りの兵士が事件を起こした例はいくらでもあります。平和な時代では皆英雄だともてはやしていますが、一体どれくらいの人間が壊れてしまった彼らを受け入れるんでしょうね」
「受け入れる必要はありません。存在しないものとして見えなくするだけです。それが今の時代に求められているポリコレです」
ミトラは淡々と質疑応答をする様に答え俺の怒りを受け流す。
まだめんどくさい市民団体みたいにヒステリックに叫べば反論しがいもあるが、何の感情も籠っていなかったので俺は文句を言う気も失せてしまった。
「さっきのマタンゴさんが言った事も少しだけ納得出来ます。人間は簡単に化けの皮が剥がれるものです。ましてや今はご時世がご時世ですから、ポリコレとか多様性とかそんな言葉で誤魔化しても何の意味もありません」
あのキノコの魔王は恐ろしかったが、奴の主張には少なからず理解出来る部分もあった。
人は決して高潔で尊い存在ではなく、結局は肉を求めて地上を徘徊する獣に過ぎないのだろう。
「あんたらはそれを見えなくした。どれだけ誤魔化しても人間は醜い生き物って事実を。違う国の奴を、違う肌の色の奴を、違う宗教の奴を、女や子供を、もっと言えば自分以外の人間を人間として認識しない奴はいくらでもいる。この世界に漫画やアニメが存在するずっと前から」
「……………」
「あんた達が作ろうとした世界はこんな世界なのか。あんた達は何のためにルールを押し付けてるんだ」
きっとこの怒りは筋違いの物だ。
彼女は中間管理職として管理しているだけであり、ルールや法律を作った側ではないのだから。
俺に糾弾されたミトラはしばらく黙り込んだ後、寂しげに告げた。
「建前では秩序を保つためです。ですが全くもって無意味である事も理解しています。かつて正しいとされたポリコレや多様性のルールは、もう今の時代では何の意味もなさないのでしょう」
「ならどうしてルールを押し付けているんだ」
「そうですね。その理由を一言で説明するのならば……『そういうものだから』です」
「……………」
それは俺達が常日頃から口にしている言葉だったが、俺は思想警察のトップでもある彼女もまたそんな馬鹿げた主張をした事に愕然としてしまった。
どれだけ高尚な議論をした所でたった一言、『そういうものだから』という言葉が出た時点で話し合いは終結してしまう。
肉の身体を持っただけのロボットと成り果てた人間に対してはどうする事も出来ないのだ。
「あなたは私を人々の思想を統率して戦争に駆り立てる冷酷無慈悲な人間だと思っているのかもしれません。ですが私はそんな大それた人間ではありません。ただこの世界を維持する歯車として与えられた役割を果たしているだけです」
「それが馬鹿馬鹿しいと思った事はないのか」
「常に思っています。ですがそれでも役目を果たし調整をするのが役人です。それ以上でも以下でもありません」
ミトラは嘆息し、救いようがない様に俺は何も言い返せなくなった。
俺が憎くてたまらなかった相手はこれほどまでに弱々しい人間だったのか。俺はこんな奴を魔王だと思っていたのか。
「幻滅しましたか?」
「……ああ。なんかどうでもよくなったよ」
これ以上ミトラと喧嘩をしても惨めになるだけだ。
俺は彼女と争う事を止め、よっこいせ、と立ち上がった。
「M9はありますか。催淫弾は撃たないので返してほしいんですが」
「そこにありますよ」
「うぃ」
俺はミトラが回収したM9を見つけ、回復弾に切り替え自らの足を撃つ。
ミトラは怪訝そうな顔をしていたが傷が塞がったのを見てほう、と少し驚いてしまった。
「面白い事をしますね。希典さんが改造したのですか?」
「ええ、はい……ってバレてたんですか」
希典先生は身バレを防ぐために見た目を変えてまれっちという呼称で呼ぶ様に言っていたが、ミトラはとっくにお見通しだった様だ。
「詳しくは言えませんが独自の情報網を持っていますから。まさか幼女になっていたとは思いませんでしたが」
「流石ですね」
NAROは諜報機関でもあるし、当たり前っちゃあ当たり前かもしれないけど異世界に逃げた犯罪者まで把握してるなんて半端ない。
「……それで、やっぱりあなたは荒木希典の関係者なんですか?」
俺は単刀直入に核心に迫る事を尋ねる。
この状況を説明するには最もしっくりくるが、同時に最もあり得ない可能性を。
「その辺りの事情も含めて一休みしながらゆっくりお話ししましょうか。近くに飲み水や食べられそうなものがあるといいのですが」
だけど彼女は意外にもすぐには否定しなかった。
信じられないがこの様子を見る限り、そのもしかしたらの可能性があるのかもしれない。




