3-194 魔王マーラの降臨
智樹達が異世界でフロンティアスピリットウーマンとの邂逅を果たしていた頃、現実世界はいつになく殺伐とした空気に包まれていた。
『連合軍 アジア地域から撤退を示唆』
『大幅な防衛費の増額を要求』
『復興支援地域への追加の派遣』
『羅一星大統領誕生か』
『正当な手続きを踏まない選挙に正当性はない 強く抗議も』
ニュースや新聞にはその様な文言が並び、どこか対岸の火事と捉えていた人々は浮足立ち、かといって民衆は何も出来ず全てを受け入れる事しか出来なかった。
平和だった時代しばしば彼らは安全な場所でもっともらしい理屈を並べ、あるいは過激な発言をした人間に、戦争が起きた時真っ先に行けと罵倒をしていた。
けれど彼らは知らなかった。戦争による悲劇は平等に訪れる事を。
戦争が始まっても徴兵制度は採用される事はなかったが、福祉制度が崩壊した社会においては復興支援地域への派遣の募集は事実上の徴兵制度と変貌した。
当たり前のように使えていた水道や電気といったインフラも使えなくなり、物価は高騰し人々は次第に生活に困窮していき、貧困層だけではなく中流階級もまたその選択を選ばざるを得なくなってしまった。
「……………」
かつて一流の大学に通い、一流の会社に就職して理想的な勝ち組の人生を送っていた彼もまた同様だった。
人工知能革命で仕事をクビになり生活に困窮し、輸送車両で荷物の様に運ばれ復興支援地域に向かう羽目になるのだとあの頃の自分が想像出来ただろうか。
「……………」
また彼の隣にいる男はかつて世界の全てが壊れてしまえと望んだ。
他力本願の変革を望みアカウントを停止になるまで過激な事も叫んだ。
だが世界の全てが壊れても社会の構図は変わらなかった。
富める者はより富み、貧しいものはより貧しくなる。それは結局普遍の真理なのだろう。
信号待ちで輸送車両が停車し、彼はふとゲラゲラと笑いながら談笑する学生達を見かけた。
学生たちは自分達の存在に気付き、あからさまに目を背けてしまう。
けれど学生たちは眼をそらしながらも変わらず笑い続けていた。
それもそうだ、彼らにとって自分達の様な人間はいないも同然の存在なのだから。
認識しなければ幸せなままでいられる。かつて自分達がそうであったように。
こんな人間のために戦い死ななければいけないと思うと虫唾が走るが、やがて彼らもそう遠くないうちにその選択を選ばざるを得なくなるのだろう。
そして全てに諦観した彼らは最後に願った。
全ての人々に平等に滅びが訪れ、幸せな異世界に転生して新たな人生を送る事を。
そんな祈りが通じたのか、上空を眩い光が駆け抜ける。
それはまるで人々を楽園へと導く龍の様にも見えた。
迎撃に失敗したミサイルは市街地に墜落、広範囲に爆風と熱風が拡散し全てを吹き飛ばす。
そこにいたものは貴賤も人種も一切関係なく、平等に塵へと変わってしまった。
民衆は苦痛と恐怖で泣き叫ぶが、誰も彼も逃げるのに必死だった。
爆風によって吹き飛ばされた人々は朦朧とする意識の中、ミサイルが落ちた場所を見つめる。
(キノコ雲……!?)
そこには日本で生きてきた人間にとって最も恐ろしい黒雲が存在していた。まさか今墜落したのは核ミサイルだというのか。
いや、違う。
黒雲には赤く光る二つの双眸が存在していた。
得体の知れない何かは虫を引きちぎって弄ぶ子供の様な無邪気な笑顔を浮かべ、ゆっくりと動き始める。
「あぁあそぉぉおぼぉおお」
かつて世界に破滅をもたらした凶神オルデ・スクラウドは地獄の底から響き渡る様な声で呻き、上下に伸縮し毒々しい胞子をまき散らした。
「いやあああ!?」
「なんだよ、なんだよこれぇ!?」
大量の胞子は一瞬で街を飲み込み、悲鳴をあげながら胞子を吸い込んだ人々はもだえ苦しみながらのたうち回る。
だが苗床となった彼らはやがて恍惚とした笑みを浮かべ、恐怖の感情を失い絶望に身を委ねた。
これほどまでに滅びが幸福ならば最初から受け入れていれば良かったのかもしれないと、薄れ行く意識の中で彼らは自らの愚かさを笑ってしまった。
「きゃははは」
「きゃははは」
「きゃははは」
「ぼくたちともだち!」
「みんなともだち!」
マタンゴによく似た原種シュリーカーと呼ばれる外宇宙の邪神の眷属は、耳障りな笑い声をあげながら逃げ惑う人々を苗床に変えていく。
マンションの上からはシュリーカーが投げたテレビや植木鉢が降り注ぎ、人間に命中して頭蓋が潰れる度に彼らは楽しそうに飛び跳ねた。
シュリーカーたちは一斉に瀕死の人々に群がり、胞子を振りかけ仲間に変えていく。
数秒後に立ち上がった彼らの口や眼孔からは細長いキノコが生え、身をよじって笑うたびにイソギンチャクの様にうねっていた。
「あ、ああ……これは夢だ……これは夢だ……」
腰を抜かしてへたり込む男の前では特別なマタンゴを乗せた異形の象の怪物が闊歩しており、精神が壊れた彼は笑いながら巨大な足に踏み潰された。
それはゴルイニシチェの秘密兵器である機動戦車ヴィイにも似ており、あるいは煩悩の魔王が乗る魔獣ギリメカラにも思えた。
「怖いかい? 恐ろしいかい? だけどこれは君達人類が選んだ未来だ。それにすぐにそんな感情は消え去るよ」
原初の泥に包まれた特別なマタンゴさんの肉体は変容し、混沌と恐怖を糧にして色欲の魔王マーラとしての肉体を得る。
「さあ、人類の皆さん。滅びを受け入れて世界の一部になりましょう」
煩悩と悪の化身とも言うべき姿になった魔王マーラは官能的な声で囁き、人々を魅了して魂を奪い去っていく。
だがその恍惚とした最期は、世界の全てに絶望した人々にとっては救いだったのかもしれない。




