93話 外伝 セブの結婚事情5
稽古場に着くと、思った通りジュリアがセブを待っていた。
だが、いつもと違って稽古用の服装ではなく、きちんとドレスを着ていた。
「最後の稽古をつけてもらおうとも思ったけど、そんなことしていたら、皆に遅れてしまうでしょ。私だって、それくらいは気を遣うわよ。」
そう言うジュリアのドレスは、今までに見たドレスの中でも一番美しいもので、ジュリアの美貌をさらに輝かせていた。
「そうだな。では、別れの挨拶だけして帰るとしよう。」
「そうね。では、私から。セブ、今までありがとう。あなたは、私を女だからと言って特別扱いしたり、手を抜いたりしなかった。私は女だからとか、男だからとか、平民とか、貴族とか、そんなの抜きにしてあなたと対等でいたかったの。だから、それがとっても嬉しかったわ。それからもう一つ。私にとって、あなたの過去なんて関係ない。今のセブが大切なのよ。」
ジュリアは真剣な眼差してセブの目を見て、はっきりと言った。
そして、セブの制服の襟元を掴んで引っ張り、そのまま背伸びをしてセブの唇に自分の唇を押し当てた。
まるで子どものようなキスであったが、ジュリアは顔を真っ赤にして言った。
「今のは私からのお別れのキスよ。セブからはないの? お別れのキス。」
ジュリアからの、いきなりのキスに驚いたセブであったが、フッと笑みを浮かべて言った。
「では、喜んで。」
セブはジュリアを抱きしめると、子どものようなキスとは違って、熱く激しいキスをした。
舌と舌が絡み合うそのとろけるような接吻に、ジュリアの頭の中は真っ白になり腰の力が抜けてしまった。
だが、セブの力強い腕に抱きしめられて、力が抜けることすらも快感に変わる。
キスが終わった後も、足に力が入らずふらついてしまうジュリアを、セブはしばらく抱きしめていた。
「ねえ、セブ。」
やっと言葉を発することができるようになったジュリアは顔を上げ、セブの目を見て自分の思いを告げた。
「武功をあげて出世して。そして、私を迎えに来て。迎えに来てくれなかったら、私から行くわよ。わかった? わかったら約束して。」
ここで約束をしてしまうと、それがジュリアを縛り付ける枷になってしまうかもしれない。
そう思うと、セブはうかつにイエスとは言えなかった。
ジュリアの未来を、自分のために壊したくなかった。
何も言えないセブは、代わりにジュリアのおでこにキスをした。
「じゃあ、俺はもう行くわ。さよなら。」
「セブ・・・」
イエスと言ってくれないセブに、さよならは言いたくなかった。
ジュリアは馬に乗って去っていくセブの後姿を、見えなくなるまで見送っていた。
この後、ジュリアには一度も会っていない。
サラの護衛のために領地巡りをした際に、ブライアント伯爵領にも行ったが、ジュリアに会うことはなかった。
ブライアント伯爵に挨拶をした際に、ジュリアは今、婚約者に会いに他領地に行っていると聞いた。
ジュリアはすでに二十二歳だ。
伯爵令嬢なのだから婚約者がいて当然で、一般女性の適齢期を考えると遅いくらいだった。
セブは、ジュリアに会えないのは残念だと思う反面、ジュリアが幸せであれば、それで十分だと思った。
月日は流れ、長年敵対関係にあったワーレンブルグと和平交渉が成立し、セブの貢献が認められて、子爵位が授与された。
ジュリアが言った出世を成し遂げたのだが、肝心のジュリアは既に他家に嫁いでいる。
やはり、自分には結婚など、縁遠いものなのだろう。
セブは誰にも語ることはなかったが、自分はそういうものなのだと思っていた。
子爵位を得ると、まるで待っていたかのように妹のエミリーとディックが結婚した。
プロポーズから結婚式まで、わずか一ヶ月というスピード結婚であったが、エミリーの年齢を考えるとそれも致し方ないことだった。
今、セブの屋敷には母親とセブの二人と、使用人五人が住んでいる。
妹一人がいなくなるだけで、ずいぶんと寂しくなったと思う。
エミリーが結婚式を挙げて一週間後、仕事が非番で、登城する必要がないセブは、屋敷の庭で自主鍛錬を始めた。
町の家に住んでいたころは、自主鍛錬と言っても、部屋の中でできる筋トレ程度しかできなかったが、広く整備された庭があると、思い切り剣を振ることができる。
広い屋敷をもらっても手持ち無沙汰を感じていたが、庭があることはありがたいと思った。
一人で自主鍛錬を始め、汗がしたたり落ちてきた頃、庭の中にドレス姿の女性が現れた。
付き人も付けず、一人でセブに向かって歩いてくる。
セブの前で立ち止まると、女性はハンカチを渡しながら言った。
「一人では寂しそうね。剣のお相手しましょうか。」
「ジュリア? 何故ここに。」
突然のジュリアの出現に、驚きながらもハンカチを受け取り、汗を拭きながらセブは問うた。
「そんなの決まってるじゃないですか。それよりもまず、お祝いの言葉を。この度は子爵位に叙爵されましたこと、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。」
ジュリアは丁寧な貴婦人の礼をした。
「出世したら迎えに来てって約束したのに、いくら待っても来ないから、私の方から来ましたわ。」
「いや、ちょっと待ってくれ。ジュリアは結婚したのでは? 昨年、ブライアント伯爵に会ったとき、ジュリアは婚約者に会いにいっていると聞いたのだが。」
「そっ、それは、父が勝手に決めた政略結婚の相手ですわ。私が駄々をこねましたら、この話を受けるのか断るのか、どちらにしても、相手に会ってから判断しなさいと言われました。それもそうだと思って会いに行きましたの。でも、あなたが来ると知っていたら、行かなかったわ。父はあなたが来ることを教えてくれなかったんです。だから、後で聞いたときには、大喧嘩したのよ。」
「それで、相手の男性とは?」
「それが、日課の素振りをしたら、女だてらに剣を振るなとか、ランニングをしたら、女は身体を鍛えるよりも刺繍をしろだとか、とても、対等な関係とは言えなかったわ。それに、まだ結婚もしていないのに、夜中に私に触りに来たから、思いっきり投げ飛ばしましたの。あんな男、こちらから婚約破棄だわ!」
「そうか、投げ飛ばしたのか。」
投げ飛ばした様子が目に浮かんだ。
本当はどちらから婚約破棄を言い出したのかは、聞かないでおこう。
「やっぱり、私を対等に扱ってくれるのは、セブだけだわ。約束を守ってくれなかったのは、ちょっとあれですけど。」
「約束?」
「約束のキス、してくれたじゃないですか。」
「あれは、別れのキスだったのでは?」
「もう、・・・お別れのキスは素敵でしたけど・・・。そうじゃなくて、ここにしてくれたでしょ。」
ジュリアは自分のおでこを指さした。
「フフッ。」
セブは一生懸命におでこを指さすジュリアが、可愛らしくて愛しくて可笑しくて、笑いが込み上げてしまった。
「そうだった。確かにジュリアの言う通りだ。でも、おでこじゃ足りないな。やっぱり約束するにはもっと素敵なキスでないと。」
「え?」
セブはジュリアをぎゅっと抱きしめ、ジュリアの言う素敵なキスをした。
熱く激しくお互いの舌が絡み合うキスに、ジュリアの心は震えた。
ああ、やっぱり私はセブが好き。
このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・。
ジュリアの頬を涙が伝った。
初めて会った日から、既に六年の歳月が流れていた。
六年分の思いが溢れた涙だった。
セブは、ジュリアの涙を指で拭った。
「待たせてすまなかった。ジュリア、結婚しよう。」
その言葉に、ジュリアの止まりかけた涙がまた溢れ出た。
「はい。喜んで。私にはあなたしかいませんから。」
二人は、もう一度、お互いの身体を強く抱きしめ合った。
もう二度と離れまいというように・・・。




