82話 外伝 ディックの結婚事情1
ディックは、つい最近、十八歳の誕生日を迎えたが、これと言って変わらぬ日常を繰り返していた。
王太子レオンの側近護衛騎士としての仕事と、近衛騎士団の演習場で行われる鍛練が主な仕事だ。
この日は、レオンに夜の仕事がなかったので、護衛は王宮所属の護衛騎士と交代し、定時に帰れた。
子どもの頃は、王妃イレーヌの側近侍女である母親と一緒に馬車で王宮に通っていたが、十五歳で近衛騎士団に入団してからは、筋力を鍛えるためにも歩いて行くことにしている。
この日は、セブも定時に帰れたので、一緒に門を出た。
「ああ、もし時間が許せば、町の家に来てくれないか?」
町の家とは、レオンがお忍びで町に行く時に使う休憩所のことだ。
今はその管理をセブの母親がしているので、二階をセブ家族の住居として使っている。
「あ、ああ、もちろん構わないが、改まってどうしたんだ?」
「いや、妹が、今日、新作のケーキを作るとか言ってるんだが、食べた後の感想を言わなければならないんだ。俺は、甘いものがそんなに好きではないし、美味しいとは思うのだが、美味しいだけの感想では、エミリーが怒るんだ。それに文句を言ったら、じゃあ、甘いもの好きなディックも連れてきて欲しいって言うんだ。」
さすがのセブも、妹にはどうも弱いらしい。
「ああ、俺なら甘いお菓子も好きだし、お前よりも、満足してもらえる感想が言えるかもな。」
「じゃあ決まりだ。町の家に寄ってくれ。」
エミリーの手作りのケーキを食べられるとは。
ディックの心はウキウキしていた。
たぶん、それはレオンに食べてもらう前の試作品だとしても、嬉しいことには変わりない。
エミリーの可愛い顔を思い浮かべると、ついにやけてしまう。
ディックは人知れずエミリーに淡い恋心を抱いていた。
それがいつからだとは、自分でもはっきりとしていないが、初めて会ったときから、可愛いと思ったことは確かだ。
セブをレオンたちと一緒になって追いかけていたとき、突如現れた妹のエミリー。
追いかけて入った家にいたのは、ベッドで横たわる兄妹の母親だった。
甲斐甲斐しく病気の母親の世話をするエミリーを、可愛いと思った。
その後、母親が回復し仕事ができるようになるまでの一カ月間、ディックの住まいであるモンテベロ家で世話をした。
客として扱っていたので、エミリーには何もしなくても良いと話していたのに、エミリーはお世話になりっぱなしでは申し訳ないと言って、自分でできる仕事を見つけて働き始めた。
朝食の後、彼女は庭掃除をすることにした。
まだ十歳の子どもで、メイド用のエプロンは彼女には大きかったが、それを身につけて一生懸命に庭を掃く姿は健気で可愛らしい。
ディックたちが馬車に乗って門を出るとき、エミリーは大きな声で「行ってらっしゃいませ。」と言ってくれる。
ディックは毎日その声を聞くのが嬉しくて、馬車に乗るとそわそわしていた。
一ヶ月で朝の幸せな時間は終わってしまったが、レオンの護衛で町の家に行くと、必ずエミリーに会えた。
だから、レオンがお忍びで町に行くことを、それとなく勧めることがよくあった。
休憩で町の家に入ると、セブの母親とエミリーが、お茶とお菓子を出してくれる。
初めは母親手作りのお菓子だったが、慣れるにつれ、エミリーの手作りのお菓子が出ることが増えた。
そのお菓子がとても美味しい。
レオンが「ああ、これは美味い!」と褒めると、エミリーは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたが、とても喜んでいた。
行くたびにお菓子のレパートリーが増え、それもこれもレオンのために頑張っているんだろうと思うと、ちょっと妬けた。
だが、天使のように美しいレオンを見て、憧れない女の子なんてこの世に存在しないだろう。
ディックはチェッと心の中だけで舌打ちをして、気分を紛らわせていた。
町の家に行く途中で何人もの第一、第二騎士団の騎士たちを見た。
町を巡回中であるのだが、いつもの数倍はいる。
最近、町を賑わしている盗賊を警戒してのことだ。
風のように現れて、秒で物を盗んだら、風のように去っていく。
手掛かりになるようなものは何も残さず、俊敏な手口は、かなりの手練れだ。
今のところ、この盗賊が殺人を起こしたという報告がないのが、せめてもの救いか。
早く捕まったら良いのにと思いながら、町の家に向かった。
セブとディックが中に入ると、ケーキの甘いバニラの匂いと共に、セブの母ルイーズが二人を出迎えた。
「あれ、エミリーは?」
ディックの問いに、ルイーズは心配そうに答えた。
「ケーキはできたのですが、茶葉が足りないから買って来ると言って出掛けたままなんです。本当なら、もうとっくに帰って来てもいいはずなんですが。」
なんだか嫌な予感がした。
ケーキの試作の味見をしてもらうつもりのエミリーが、寄り道をしているとは思えない。
「俺、見てくる。市場の茶葉店だよな。」
ディックがそう言うと、「ああ、俺も行こう。」とセブと二人で家を出た。
市場に行く途中で、第一騎士団の騎士たち三人が、民家の女性と話しているところに遭遇した。
セブとディックは近衛騎士団の制服のままだったので、騎士に何があったのか尋ねると内容を教えてくれた。
「このご婦人が、十分ほど家を留守にしている間に、盗賊が入って金品を盗んだそうです。」
「ちょっと市場にお茶を買いに行っただけだったんですよ。それなのに、帰ってきたら、ドアが開いてて、お金も盗まれて。私、一人暮らしなので不安でしょうがないです。騎士様、早く捕まえてくださいな。」
気の毒な婦人は、少し前に茶葉店に行ったと言う。
もし、エミリーが茶葉の種類で迷ってまだ店にいるのなら、きっとこの婦人と遭遇しているはずだと思ったディックは夫人に尋ねた。
「ご婦人、少しお尋ねしますが、お茶を買いに行ったお店で、若い娘を見ませんでしたか?銀髪の娘なのですが。」
「いえ、見てませんよ。そんなお客はいませんでしたね。」
ますます心配になって来た。
エミリーが市場に行くときは、いつもこの道を通っている。
もしも、盗賊と遭遇したとしたら・・・。
考えただけでもぞっとすることだが、状況から考えてその可能性は高い。
早く手がかりを探さねば。
騎士たちにエミリーのことを話し、皆にも彼女を探してもらうことにした。
セブとディックは犯人の動きを考えた。
たぶん、犯人は、この家に目星をつけ、婦人が家を出るのをどこかで見張っていたはずだ。
婦人が出るとすぐに家に入ったのだろう。
セブと同じ特技を持つ者なら、簡単にドアを開けることができる。
金目の物だけを盗んで、すぐに家を出たところで、通りかかったエミリーに遭遇した。
エミリーが助けを呼ぼうとしたら、慌てた犯人はどうするか。
騎士に聞くと、この一時間ほどは、馬車も馬も通っていない。
だとしたら、犯人は徒歩だ。
若い娘を抱きかかえて歩くなど、目立ってしょうがない。
ならば、一番簡単に目立たずに隠せる場所は、きっとこの近くのはず。
「ご婦人にお聞きしたいのですが、両隣はどなたか住んでいらっしゃいますか?」
「ええ、住んでますよ。左隣は家族五人で暮らしていて、おばあさんが、家にいることが多いですね。今もいるんじゃないかしら。右隣は親子二人で暮らしているんだけど、仕事で数日留守にすることが多いわね。そう言えば、昨日からお留守だったわ。」
ディックはセブを見た。
セブもディックと同じ考えのようで、二人は無言で頷きあった。
婦人が家の中に入ると、さっそく行動を起こした。
セブが右隣の家のドアの鍵を開け、二人は中に入った。
不法侵入だが、今は緊急事態だ。
この際、目をつぶってもらおう。
中に入ると、プンと微かなバニラの匂いがした。




