79話 外伝 ソフィアとオーウェンの結婚事情2
オーウェンは、王太子の仮面を被り、王太子を演じている。
ソフィアが読んだ医療の専門書には、重圧を我慢し続けたり、自分の意に沿わないことをやり続けていると、胃痛が起こり、身体に変調をきたし、最後には重い病を引き起こすと書かれていた。
また、必要以上に食べ過ぎたり、食べられなくなったりすることがあり、これも命に関わることがあると書かれていた。
オーウェンとは昼食を共にしていないが、報告では、ここ数日出された料理にほとんど手を付けていないらしい。
今朝の朝食も、オーウェンはスープしか飲まなかった。
幼い頃、ソフィアは王宮に連れてこられて、オーウェンと遊んだことがある。
その時の印象は、気が小さく泣き虫で自分より弱かった。
大人になって久しぶりに会ってみると、凛々しく男らしく成長していたが、実は、オーウェンは子どもの頃から、何も変わっていなくて、無理して王太子を演じているのではないだろうか。
このままこの生活を続けていたら、大病を患って死んでしまう。
ソフィアはこの考えに至ったとき、身体が震えた。
これはソフィアにとって、すこぶるまずいことであった。
この若さで未亡人になりたくない。
病を防ぐには、趣味を持ち、それに没頭することが効果的と書いてあったが、オーウェンには没頭するような趣味があるようには見えなかった。
だったら、自分の前では仮面を外し、演じることを止めさせねば。
夕食が終わり、オーウェンとソフィアが夫妻の寝室で一緒になったとき、ソフィアは切り出した。
「殿下はもしかして、王太子を演じているのではありませんか?」
「は? いったいあなたは何を言ってるのだ。」
他の令嬢なら、もっと遠回しにそれとなく聞いたかもしれないが、ソフィアにとって、そのような回りくどい話し方は苦手なことだった。
「殿下を見ていて、そう思ったのです。」
「いったい何を根拠にそのような・・・」
「私は殿下が泣き虫であることを知っています。」
「だから、いったい何を根拠にそのようなことを申すのかと聞いておるのだ。」
「殿下はお忘れかもしれませんが、幼い頃、二人でいるとき犬に襲われたことがございました。」
オーウェンは驚いて目を瞠った。
「そなたも、あの時のことを覚えていたのか?」
「はい。今でもはっきりと覚えています。」
犬に襲われた事件、厳密に言うと、襲われたのではなく、ただ、そばに寄って来ただけだったのだが。
当時、ソフィアは六歳、オーウェンは八歳だった。
この頃から王太子妃候補だったソフィアは、ある日、父親に王宮に連れてこられて、オーウェンと遊ぶことになった。
遊び盛りの二人は、そばに護衛がいることが鬱陶しく、護衛をまくという遊びを始めた。
上手く護衛から離れることができた二人は、達成感で顔をほころばせて中庭を散歩していた。
すると、巨大な犬が寄って来た。
のっしのっしと二人に向かって歩いてくる。
まだ小さい二人には、巨大な犬は大人のクマほどの大きさに思え、ただ、向かって歩いて来られるだけでも恐怖を感じた。
ソフィアがオーウェンを見ると、オーウェンは足がすくみ、そこから動くことができなくなり、目から涙がボロボロ溢れ、ヒックヒックと声を詰まらせて泣いている。
ソフィアは、冷静に考えて、王宮の中庭に野良犬が入ってくるとは思えなかったし、よく見ると毛並みが艶やかで美しく、首輪はしていないが飼い犬だろうと思った。
ならば、こんな大きな犬なのだ。きっと躾もされているだろう。ここから去らせるには、どんな命令が良いのか。
ソフィアはオーウェンと犬の間に立って、犬を睨んではっきりとした口調で言った。
「戻れ。」
するとその犬は、何かを思い出したように走ってどこかへ行ってしまった。
後で聞くと、国王が臣下が自慢している犬を見てみたいと言い出したので、臣下が連れてきたのだが、国王と話している間に、犬が好奇心に任せて動いてしまったらしい。
時間にしてわずか数分のことだったので、誰も気に留めず、幼い二人が恐怖に陥ったことも知られずに終わった。
「おお、そなたも覚えていたか。実は、私もずうっと忘れたことはない。あの時のソフィアは、私にとって、ヒーローそのものだった。私より小さいのに変に思うかもしれないが、そなたの背中がどれほど頼もしく見えたか。だがな。その後、私は怖くて怖くて仕方がなかった。」
「怖いって何が?」
「ははは、男らしくないとか、未来の王が泣いてどうするとか、凛々しくないとか、女の子に助けられて恥ずかしいとか、そんな風に叱られるのが怖かったのだよ。」
幼い頃から、そんなことを言われて叱られ続けていたのか・・・
だから、叱られないようにするには演技するしかなかったのだろう。
「だが、父上も母上も私を叱らなかった。何も知らないようだった。ソフィアは、黙っていてくれたのだとわかったよ。」
まあ、確かに誰にも言わなかったけど、それは、私は情報を得るのは好きだけど、与えるのは嫌いだったからであって。
「あのときから、そなたは、私のヒーローになったのだよ。」
「そ、そうですか。」
ソフィアは、どう返事をしたら良いのかわからず、気恥ずかしい思いを抱えていた。
「それからは、私はソフィアを見かけたら、自然と目がそなたに向いてしまうんだ。そなたの言動を見聞きする度に、カッコいいと思ったよ。」
カッコいい? 私の何が?
「他の令嬢たちは、甘い言葉を囁いて私を誘惑してくるが、正直言って、裏では何を考えているのかよくわからん。だが、ソフィアは、違うだろ。歯に衣着せぬ物言いで、実に正直だ。そんなところもカッコいいと思うのだ。」
まあ、それが、私が恐れられる一因でもあるのだが。
「ほら、ずいぶん前のことだったが、ソフィアが子爵令嬢を助けたことがあっただろ。」
ソフィアもその事はよく覚えていた。
舞踏会に参加していたピンクのドレスがよく似合う可愛らしい子爵令嬢が、オーウェンの前にハンカチを落とした。
拾い上げたのはオーウェンの付き人だったが、オーウェンは、「落としましたよ。」と声をかけた。
目下の者から声をかけることはできないが、目上の者から声をかけた場合、それは、会話をしても良いと認めたことになる。
令嬢は、礼を述べると、言葉巧みに会話を長引かせ、色っぽい目でオーウェンを見つめ、気を引こうとしているのが見え見えだったので、回りにいる婚約者候補たちをイラつかせた。
オーウェンは、早々に話を切り上げたかったのだが、どう切り出せば良いかわからず、令嬢の術中にはまって抜け出せなくなってしまった格好だ。
話がやっと終わり、令嬢は場を離れたが、イラつかせた婚約者候補とその取り巻きたちが放っておかなかった。
取り囲まれ、婚約者候補でもないのにとか、身分をわきまえていないとか、挙げ句の果てに安っぽいドレスだなどと、ネチネチと嫌みのいじめ攻撃が始まった。
そこに通りかかったソフィアは、令嬢たちの何とも情けない光景に、つい口を挟んでしまった。
「大勢で、か弱い令嬢をいじめるとは笑止千万。嫉妬とは、何とも見苦しいものよの。」
ソフィアの氷の美貌で放った言葉は、ぐさりと令嬢たちの心に突き刺さった。
そして、確信を突かれた嫌みと、自分たちが言い返せない身分差に、令嬢たちは羞恥と怒りで顔を真っ赤にして散っていった。
後に残された子爵令嬢も、あまりの辛辣な物言いに恐れをなし、青ざめ、礼もそこそこに逃げるように去っていった。
「あのときもカッコ良かった。」
オーウェンは、目を細め、懐かしい思い出に浸るような表情でそう言った。
「私はね。結婚するならソフィアが良いと、ずっと前から思っていたのだよ。だが、いろんな令嬢を見てからにしなさいと言われてね。何度も舞踏会を開くことになってしまった。まあ、私は途中で退席してたから、負担は軽かったけどね。」
「負担? 殿下がいては、皆が緊張し舞踏会が楽しめないからと、皆のことをおもんばかってのことではなかったのですか?」
「ん~、舞踏会の間、王太子らしく振舞わねばならず、ずっと気を張っていなくてはいけないだろ。それが続くと苦しくなる。それに、何を考えているのかわからない女たちに話を合わせるのも、すごく疲れるのだ。」
「そう、それです。」
ソフィアは話を聞くのに夢中になって、うっかり言いたいことを忘れてしまっていた自分に気がついた。




