42話 名前
ベイツ伯爵の一件で、領地巡りは一時中断していたが、一ヶ月後に再開した。
出発の朝、レオンは、また、神殿に見送りに来た。
「行ってらっしゃい。気をつけて行くんだよ。何かあったら、すぐに連絡するんだよ。すぐに駆けつけるから。」
名残惜しげに、レオンは別れの言葉を告げた。
「はい。行ってまいります。」
サラはアイリスと一緒に馬車に乗り、御者のカイゼルは慣れた手付きで手綱をとった。
セブとディックは、いつものように馬で並走して、五人は旅立った。
レオンは、馬車が見えなくなるまで見送っていたが、その心は、サラが全ての行程を終えて帰ってきたときのことを考えていた。
考えていると、レオンの胸がポッと熱くなった。
だが、熱くなる理由は、まだ誰にも話していなかった。
サラたち一行は、その日の宿泊は、目的地の途中にある町の宿屋を予約していた。
食事中は、客の誰もサラたちに話しかけないので、みんなゆっくりと食事を楽しむことができた。
今では、国中に知れわたったマナーである。
食事が終われば、必ずサラは皆と祈りを捧げる。
だから、皆安心して待っていられた。
食事中、セブがアイリスに話しかけた。
「アイリス、もっと長く両親と過ごしたかったのではないか?」
「いえ、そんなことはございませんわ。私は聖女様と早く旅をしたいと思っておりました。」
するとサラが会話に加わった。
「 そういうセブはどうでしたか? ご家族ともう少し、一緒にいたかったのではありませんか。」
「いえ、聖女様、ご心配は無用です。」
「そうですか。セブ、ディック、アイリス、カイゼル、これからまたお世話になります。私のためにいつもありがとう。心から感謝しています。」
サラは、セブとディックを敬称なしの名前で呼んでいる。
今から四ヶ月前、旅が始まってすぐのこと。
サラたち三人は、セブとディックを護衛騎士様と呼んでいた。
しばらくして、サラがそう呼ぶと、二人とも同時に返事をした。
護衛騎士様では、どちらに声をかけているのかわからない。
「あの、セブ様に聞きたいことがあったのですが。」
「私は平民なので、セブと呼び捨てで呼んでください。」
「あの、でも、護衛をしていただいている身なので。」
すると、ディックが、二人の会話に割って入った。
「私たちは、身分に関係なくお互いを名前で呼んでいます。その方が、親近感がより強くなりますし、話しやすいのですよ。ですから聖女様も、私たちだけで話す時は、名前で呼んでください。」
「いいのですか?」
「もちろんです。アイリス様も私たちが年上だからと、気をつかいませんように。」
アイリスは、年下ではあるが、この五人の中では、公爵令嬢なので、一番身分が高い。
サラとカイゼルは、始めに名前で呼ぶことを決めていたが、セブとディックにとっては、呼び捨てなどできない高位貴族の令嬢である。
しかし、アイリスは、セブとディックにこう言った。
「お二人とも、私のこともアイリスとお呼びくださいませ。その方が、お互いに親近感がより強くなって、話しやすいですわ。ねっ!」
このとき、カイゼルは、自分には関係ない話しだなと思って聞いていたのだが、ディックがそんなカイゼルに気がついた。
「カイゼル、お前も、俺たちのことを敬称つけずに、名前で呼んでいいぞ。兄貴みたいでいいだろ?」
その言葉に、カイゼルは嬉しくなってウンウンと頷いた。
「それでは、皆さん、私のことも、サラと呼んでください。」
とサラが言うと、四人は慌ててブンブンと首を横に振った。
「大神官ジェネロ様が聖女様と呼んでいるのに、 私ごときが名前呼びなんてできるはずがありません!」
「聖女様は聖女様であって、聖女様以外の何者でもありません!」
カイゼルとアイリスが激しく拒否した。
陛下の大切な人を、名前で呼ぶなど、できるはずがなかろう。
セブは心に思ったが、口には出さなかった。
俺と聖女様が、お互いを名前で呼び合う? そんなことしたら、陛下に嫉妬の炎で焼き殺される!
ディックも口には出さなかったが、顔面で拒否を表した。
というわけで、サラ以外は、名前で呼ぶことになったのである。
ちなみに、ずいぶん前のことだが、お忍びで合流したレオンが、おや?と気が付いた。
サラがディックを名前で呼んでいるではないか。
「俺もレオンと呼んでほしい。」と懇願した。
しかし「陛下にそのような不敬はできません。」と、あっさりと拒否されてしまった。
そして現在。
夕食を食べ終わったサラは、いつものように、食堂に集まった皆と一緒に祈りを捧げた。
皆は満足して帰っていった。
食堂の客が帰った頃、とある町の酒場で、二人の若者が酒を飲んでいた。
「なあ、お前、聖女の噂、知ってるか?」
「ああ、一緒に祈ると願いが叶うとか何とか言われてる聖女のことだろ。」
「そうそう、しかも絶世の美女らしいぜ。」
「はっ、どうせ神の手下みたいなもんだろ。俺は興味ないね。」
「神様嫌いがここまで来ると、呆れてものも言えないな。俺は、一度、会ってみたいなあ」
「ったく、俺たちが会えるわけないだろ。」




