36話 イラ立ち
聖女捜索二日目、この日も、皆慌ただしく過ごした。
前日の夜の会議で決まった場所に赴き、領民から情報を聞き出す者、城に情報提供にやってくる領民に対応する者、城の内外を警備する者。
それぞれの仕事は違えど、皆忙しく働いた。
特に、城の内外を警備する警備兵の緊張は激しかった。
というのも、昨日から、ベイツ伯爵がとてつもなくイラ立っているからだ。
聖女の誘拐という不名誉な事件が、ベイツ伯爵の領地内でおきてしまった。
しかも、犯人の目的すらまだわからない。
警備兵たちは、ベイツ伯爵がイラ立って当然だと思った。
それにしても、聖女が誘拐された時、護衛をしていたのが、自分たちでなくて本当に良かったと、警備兵は思っていた。
なんだかんだ言ったところで、今回の責任は、王都から派遣された護衛騎士にある。
自分たちには、今のところ関係ない。
だが、これからは違う。
城内で何か起きれば、全ては自分たち警備兵の責任になる。
今までと違って、気を引き締めなければと思った。
今までは、はっきり言って気が緩みすぎだった。
休戦になってから、緊張が解けたこともあった。
そして、もう一つ。
ベイツ伯爵が時々していた抜き打ち検査を、この三ヶ月間、何故かしなくなった。
さぼっていても、注意されることがまったくない。
それが、一番の気の緩みの原因であった。
ベイツ伯爵は、その気の緩みを知っているのか知らないのか、とにかく、警備兵に何も言わなかった。
そのベイツ伯爵がむちゃくちゃイラ立っている。
警備にミスがあっては大変だ。
そんなわけで、警備兵たちは身を削る思いで警備に当たっていた。
警備隊長が、ベイツ伯爵に自分たちの仕事に対する熱意をもっと知ってもらおうと、ベイツ伯爵に一つ提案をした。
「伯爵様、万が一、就寝中に何かあっては大変なので、失礼ですが、伯爵様の寝室の中にも警備兵を一人つけたいと思うのですが、いかがでしょうか。」
ベイツ伯爵は、熱心な警備兵の言葉に、ひどくイラついた。
しかし、そばにアイリスとカイゼルがいるので、できるだけイラつきを隠して言った。
「熱心な気持ちはありがたく思うが、寝室の中まで入る必要はない。」
「わかりました。それでは、寝室の中に入らず、入り口と窓に警備兵を配置したいと思います。何か怪しげな動きがあれば、すぐに伯爵様にお知らせいたします。」
ベイツ伯爵はチッと舌打ちしたくなるのを我慢した。
いったい、この無駄な警備はいつまで続くのだ。
私が、犯人はワーレンブルグの盗賊で、奴隷売買のための誘拐だと言っているのだ。
さっさと王都に戻って陛下に報告すれば良いものを・・・。
しかし、ベイツ伯爵のイラ立ちとは裏腹に、聖女捜索は五日間続いた。
ところが五日目の夜、会議のときに、やっとベイツ伯爵の望みが叶えられた。
「伯爵様、この五日間、聖女捜索を領内隅々まで行ってまいりましたが、成果をあげられませんでした。本日の夕方、陛下からいったん戻るようにと連絡がありましたので、我々は明日、王都に戻って陛下の指示を仰ごうと思います。ですが、伯爵様は、引き続き聖女捜索をよろしくお願いいたします。」
ディックが深々と頭を下げた。
ディックは、何でこんなヤツにと、ベイツ伯爵に頭を下げることに抵抗を感じたが、ディックは子爵令息、爵位の差がある以上、仕方がないことだった。
六日目の朝、ディックたち四人はベイツ伯爵城を出ていった。
使用人たちと一緒に、彼らを見送ったベイツ伯爵は、彼らが門を出ていくのを、しかと見届けた。
ベイツ伯爵は、笑いたくなるのをぐっと堪えた。
使用人がそばにいる間は、まだ気が抜けない。
城内に入り、書斎にたどり着いて、ようやく一人になったとき、心の底から笑いが込み上げてきた。
フフフ、ハハハ、あいつら、結局最後まで、騙されたまま帰っていった。
何が国王直属の近衛騎士だ、笑わせてくれる。
高らかな笑い声は、ニヤニヤとした気味の悪い薄ら笑いに変わった。
さてと、そろそろいいかな。
ベイツ伯爵は、警備兵を呼びつけた。
「私はこれから国王陛下に提出する報告書を書かねばならない。気が散るから、私が呼ぶまで、絶対に部屋に誰も入れないように。」
警備兵は、了解の返事をして部屋を出ると、ドアの外で警備についた。
ベイツ伯爵は、書斎の棚に置かれている白い天使の置物の向きを、ぐるりと反転させた。
すると、カチャリと鍵が外れる音がした。
天使の置物が置かれている棚の横には、幅が狭く人の背の高さほどの鏡が壁に貼り付けられていた。
ベイツ伯爵は、その鏡をドアのように開いた。
そこが隠し通路の入り口だった。
ベイツ伯爵は、ランプに火を灯し、隠し通路に入ると、中から鏡のドアを閉めた。
天使が元に戻り、カチャリと音がした後は、書斎は何事もなかったように静かになった。
隠し通路は人一人が通れる幅の細い通路であった。
窓がなく暗い。
少し歩くと階段があり、階段を降りると、地下通路に続いている。
地下通路は、文字通り地下に作られた通路で、レンガをセメントで塗り固めて作られた縦に細長いトンネルであった。
大人の男が、一人通ることができる程度の大きさであったが、非常に頑丈に作られていて、数代たった今でも、崩れることなく十分に使える通路だった。
ベイツ伯爵は、暗い地下通路をランプの灯りで照らし、サラがいる地下室に向かって歩いた。
ああ、早く聖女に会いたい。
はやる気持ちが、ベイツ伯爵の歩みを速めた。
ベイツ伯爵が、サラに会うために地下通路を歩いているとき、サラは、のんびりとヒューイのことを考えていた。
楽しかったあんなこと、こんなこと。
思い出しても思い出しても、飽きることがない。
時々悲しくなって、涙ぐむことはあったが・・・。
普通の神経の人間だったら、たとえ食料と水が用意されていたとしても、五日間も誰も来ない薄暗い地下室に放置されると、泣きわめいたり、、精神的苦痛に耐えきれなくなることもあるだろう。
しかしサラは、五百年以上も生きてきた女神なのだ。
わずか六日間ごとき、コップからこぼれた水一滴ほども、どうということはなかった。
だが、まったく何もしなかったわけではない。
閉じ込められた日は、脱出を試みた。
ガッチリと固く閉ざされたドアは、押しても引いても、びくともしなかった。
思いっきり体当たりをしてみたが、無駄だった。
体が痛くなっただけだったので、すぐに止めた。
ベッドにテーブルを重ねて上に乗ってみたが、どちらも低い物だったので、天井に手は届かなかった。
ジャンプしてみたが、手が届かないだけでなく、危険なので止めた。
サラは脱出を諦めたが、チャンスはあると思った。
私を殺す気がないのなら、いつか必ず会いに来るだろう。
そのときまで待とうと、腹をくくった。
それからは、ヒューイの思い出に浸ることにした。
しかし、何もしなくてもお腹は空くので、布袋の中から適当に取り出しては食べた。
乾パンや、干し肉、ドライフルーツだけなのかと思っていたら、日保ちのする焼き菓子も数種類あったので、これは嬉しかった。
1日何もせずにじっとしていると、筋肉が衰える。
だから、部屋の中で筋肉を鍛える運動もした。
それにしても、人間とはやっかいだなとサラは思った。
神は食べなくても死なないし、運動しなくても筋力が衰えることもない。
人間が神に食べ物を供えたら、霊気となって天界に上がってくるので食べるが、それは腹を満たすためではない。
供え物をした人間の思いに応えるため、味と食感を楽しむため、神力をアップするため。
神によってそれぞれ目的は違うが、腹が空いたから食べるというわけではない。
だが、人間は食べなければ死ぬ。
だからサラは食べた。
サラは五日間、ヒューイ、食べる、運動を繰り返して過ごしていた。
ベイツ伯爵が、地下通路を二キロメートルほど歩くと、地下通路の終わりを告げるドアが見えた。
ああ、この扉の向こうに聖女がいる。
ベイツ伯爵は、喜びに震える手で鍵を差し込み、回した。
カチャリ。
そしてゆっくりとドアを開けた。
ドアの鍵が開く音が聞こえたので、サラはドアを見た。
ドアが開いて、入ってきたのは、ランプを持ったベイツ伯爵だった。
朝陽が天井の隙間から入ってはいるが、地下室は薄暗い。
ベイツ伯爵が持つランプの灯りで明るくなった。
サラは、黒幕はベイツ伯爵だろうと思っていた。
だが、どうせなら、最初に入ってくるのは、監視役の男だったら良かったのにと思った。
しかし、そんなのんきなことを考える余裕がなくなった。
ベイツ伯爵の雰囲気が、目が、尋常ではなかったからだ。
ベイツ伯爵はドアにカギをかけ、ランプをテーブルに置くと、ニヤニヤと薄気味悪い笑いを浮かべながらサラを見た。
「聖女よ。やっとあなたを手に入れた。」
ベイツ伯爵が一歩サラに近づいた。
「何を言ってるんですか。」
サラは一歩後ろに下がった。
「あなたは私のものだ。」
また一歩近づいた。
「私をどうするつもり?」
一歩下がった。
「私のコレクションになれたのだ。喜ぶべきことだろう?」
「いったい、何を言って・・・」
「城の地下にある拷問部屋があなたの部屋だ。なに、美しい顔に傷はつけないよ。」
「そばに来ないで。」
ベイツ伯爵が前に進むとサラは後ろに下がったが、とうとう壁に背がついてしまった。
もうこれ以上下がれない。
ベイツ伯爵はサラの顔に手を伸ばした。
今にも触れそうなそのとき、バーン!と激しい音をたてて、ドアが勢いよく開いた。




