32話 ブラッドの仕事
自由に動けるようになったブラッドに任された仕事は、ベイツ伯爵の陰になって働くことだった。
初めのうちは、地理に不明なブラッドのために、ベイツ伯爵が町を案内した。
しかし、並んで一緒に歩くのではなく、常に少し後ろに下がって、他人の振りをするように命じられた。
フードを深く被り、顔が見えないようにすることも。
ブラッドの主な仕事は、手紙を届けることだった。
顔を見られず、できるだけ人目につかないように、本人に直接渡すように命じられた。
ごく普通の手紙なら、使用人に頼めば済むことだ。
ブラッドに頼む手紙は、おそらく脅しのネタが含まれているのだろう。
しかし、仕事は手紙の配達だけではなかった。
ある日、ベイツ伯爵が王都に出かけたとき、ブラッドを一緒に連れていった。
王都でも、弱みを握った貴族がいたらしく、こっそり手紙を渡してくるように言われた。
仕事が終わり、王都の画廊の前を通ったとき、ベイツ伯爵は一枚の絵画に注目した。
美しい森と湖の絵画だった。
本物の画家が描いたものではなく、素人が描いた絵画であったが、ベイツ伯爵は、その絵がとても気に入った。
そこで店主に売って欲しいと話したが、既に売約済みだと言う。
そこを何とか、金は倍払うと、頼み込んだが、店主は「画廊は信用が第一、いったん約束した限りは、たとえ金を積まれても他の人には売れない」とベイツ伯爵の申し出を突っぱねた。
そのときは、諦めて店を出たのだが、それは諦めたフリをしただけだった。
ベイツ伯爵は、ブラッドにあの絵を盗んでくるように命令した。
何故、素人が描いた絵に、そこまで固執する?
ブラッドはベイツ伯爵の心情を理解できなかったが、命令に背くことはできず、結局盗んだ。
素人の絵画だからか、非常にセキュリティーが甘く、店主が奥に引っ込んでいるときに、白昼堂々簡単に盗めた。
ブラッドが命令された悪事は、これだけにとどまらなかった。
その後も、ベイツ伯爵が自ら手を汚さない代わりに、ブラッドの手が悪事に染まった。
これは休戦後、半年ほどたったある日のこと。
ベイツ伯爵が、書斎の隠し通路で控えているように、ブラッドに命令した。
ブラッドが言われた通り、隠し通路に身を潜めていると、書斎に客が現れた。
客との会話が聞こえてきた。
「他の領地で神官をしている私の友人から聞いたのですが、復興支援金が国から支給されたそうですね。被害状況の調査や、国への申請書類に私も関わりましたので、気になってたんです。しかし、まだ、被害民への救済措置がとられていないようですね。私から言うのもなんですが、あの戦争で多くの人が経済的に困窮しています。できるだけ早く救済措置をとっていただきたい。」
「ああ、神官殿、助言ありがとうございます。ここは王都とはずいぶん離れているので、支援金は他の領地よりも遅くなるそうです。届き次第、領民に渡すことにいたしましょう。わざわざご足労いただき感謝いたします。まあ、お茶でも飲んでください。」
「それでは遠慮なく・・・ううっ」
どさっと何かが倒れる音が聞こえた。
「ブラッド入ってこい。」
ブラッドが書斎に入ると、神官がソファーの下に崩れるように倒れていた。
既に息はしていなかった。
「こいつを捨ててこい。そうだな、崖から転落死・・・とでもしようか。」
ブラッドは神官を布で巻き、まだ夜が明ける前に、肩に担いで隠し通路を通って城外に出た。
崖についた頃は、少し明るくなっていたが、誰にも見られていないことを確認して、崖から転落したと見えるように神官を落とした。
ブラッドは、ワーレンブルグ軍の、もと兵士だ。
戦争で何人も敵国の兵士を殺した。
一緒に戦っていた同僚が、一瞬の隙に殺されるところも何度も見た。
だから、死体には慣れていた。
書斎に入ったときに見た神官の死体。
それにも動揺しなかった。
しかし、ある一つの思いが頭の中を占領し、ずっと離れなかった。
神官の死体と見たときも、肩に担ぎ、隠し通路を通っていたときも、長い地下通路を通って城外に出たときも、森を抜けて崖の上に立ったときも、そして、崖から落としたときも・・・。
ブラッドは、今でこそベイツ伯爵の部下として働いているが、真面目に訓練に励んでいた兵士だった。
その頃の記憶はまだ鮮明に残っている。
ブラッドは、兵士として、多くの敵兵士を殺した。
しかし、これはワーレンブルグ軍から見たら正義だ。
もし、グランテリア軍の兵士がブラッドを殺したしても、それはグランテリア軍にとって正義なのだ。
戦争とはそういうものだ。
だが、ワーレンブルグ軍の軍法では、一般市民に対する略奪、強姦は禁止されていた。
無抵抗な一般市民に対する虐殺行為も禁止されていた。
違反をすれば、軍法会議に掛けられ処罰が下された。
ひどい場合は死罪も免れなかった。
ブラッドは、崖の下に壊れた玩具のように横たわる神官の死体を見て思った。
本当に、このままでいいのか?
* * *
「何っ? 聖女が今日は戻らないだと?」
ベイツ伯爵城の書斎で、ベイツ伯爵は声を荒げてブラッドに言った。
「はい。そのようにおっしゃっていました。夜は村で過ごすと。」
「明日はどうするのだ。」
「テントを張るそうなので、明日もこちらに戻らないかと思われます。」
「ふむ、それならば仕方がない。計画は変更だ。城でできないのなら、あの村でやれば良い。ブラッド、上手くやるように。」
ブラッドは無言で頷くと、隠し通路を通って部屋から出て行った。
ふむ、なかなか予定通りにはいかないものだ。
だが、もうすぐ聖女は私の手に入る。
ふふふ、やっと私のコレクションの一つになるんだ。
今から楽しみだ・・・。
ベイツ伯爵は、右手に持ったワイングラスをゆっくりと回して、芳醇な香りを楽しみながら、聖女と初めて会った日のことを思い出していた。
国王からチャリティーオークションの知らせが届いたとき、好きな画家の名前があったので行くことにした。
美しい風景画を得意とする名の知れた画家で、実物を見て、気に入ればコレクションに加えたいと思った。
その前に催されるチャリティー舞踏会は、さほど興味はなかったが、絶世の美女と噂される聖女には会ってみたいと思った。
しかし、どんなに美しくても、自分のコレクションの美しさには敵うまいと思っていた。
そう思っていたのだが、国王にエスコートされて入場してきた聖女を見た瞬間、心を奪われ、目が釘付けになった。
何と美しい。
まるで晴れ渡った空のような水色のドレスに、濃く深い青のサファイアが輝いているではないか。
ベイツ伯爵には、聖女がこの世のものとは思えないほど美しく見えた。
そして、何よりもベイツ伯爵を虜にしたのは、聖女の瞳の色だった。
晴れ渡る空を映した湖のように、キラキラ輝く水色の瞳。
ベイツ伯爵は鳥肌がたち、身体中がゾクゾクした。
ああ、まるで私のコレクションにしてくれと、言っているようなものではないか!
ああ、自分のものにしたい。私のコレクションにしたい。
ベイツ伯爵は、しばらく目を離さず聖女を観察し続けた。
あれだけの美女だ。すでに国王のものになっているのでは?
だが、なぜか国王は、初めにエスコートしただけで、それから先は聖女に目もくれず、他の女と踊り続けていた。
聖女はと見てみれば、たまにちらりと国王を見るが、まるで自分とは関係ないものを見るかのような眼差しで、まったく関心がないように見えた。
抽選に当たったとかなんとか、国王の回りで女たちは騒いでいたが、そんなものは押しのけて、聖女と踊ってもいいのではないかと思った。
しかし、結局最後まで、国王が聖女と踊ることはなかった。
オークションのときもそうだ。
二人並んで座っていたが、ほとんど会話らしいものがなかった。
どうやら国王は聖女に執着がないようだ。
ならば、私が執着しても良かろう?
私が奪い取っても、国王にとっては、数多い女の一人が消えただけに過ぎまい。
しばらくして、国王から、聖女が各領地を回ると連絡が来たときは、ベイツ伯爵のニヤニヤが止まらなかった。
ほら、やはり聖女は、私のコレクションになるために来るのだ。
ベイツ伯爵は、聖女が自分のものになると、それが運命なのだと、信じて疑わなかった。
ベイツ伯爵はワインの芳香に満足しながら思った。
計画は変更になったが、私には手足となって働くブラッドがいる。
彼なら上手くやってくれるだろう。
まったく、あの時、ブラッドを生かしておいて良かった。
便利に使えるものを、殺してしまうのは・・・
もったいないだろう?
なあ、ブラッド。
ベイツ伯爵はワインを一口飲んだ。
最上級のワインはベイツ伯爵の喉と胸を潤した。
しかし、ベイツ伯爵は、一つ大切なものを見落としていた。
ブラッドが持つ大切なものを。




