31話 ブラッドの過去
ブラッドは、ベイツ伯爵に雇われてはいたが、自分から強く望んだわけではなく、生きるために、仕方なく選んだ結果だった。
十年ほど前、ベイツ伯爵の国境近くで、ワーレンブルグ軍とグランテリア軍の小競り合いがあった。
そのとき、ブラッドは、ワーレンブルグ軍の兵士だった。
名のある騎士でも腕の立つ有名な兵士でもなく、訓練に真面目に励む、ごく普通の兵士だった。
小競り合いの序盤に、グランテリア軍が放った矢が、ブラッドの脇腹に突き刺さった。
いきなり戦闘不能に陥ったブラッドは、倒れながらも考えた。
このまま、ここに留まれば、きっと殺されるだろう。
この場から離れなければ・・・。
ブラッドは二十歳を過ぎたばかりの若者で、妻子こそいなかったが、故郷には優しい両親がいた。
命さえあれば、負傷兵として故郷に戻り、自分の帰りを待つ両親にまた会えるだろう。
命さえあれば・・・
父母に会いたい・・・
ブラッドは、地面を這いつくばり、痛さで気が遠くなりそうな自分に、まだ死ねない、まだ生きろ!と言い聞かせながら、この場を離れた。
しかし、ブラッドの目は霞み、判断力が鈍っていた。
彼がとうとう力尽きて意識を失った場所は、敵国グランテリアの領地内であった。
ブラッドが目を覚ましたとき、彼は真っ暗な中、固いベッドに寝かされていた。
脇腹の傷がズキズキと痛んだ。
手をやると、包帯が巻かれていた。
ああ、俺は死ななかったんだな。
だが、誰かが俺を治療した?
いったい誰が?
暗くて何も見えない中で、疑問だけが次から次へと浮かび上がる。
ここはどこだ?
倒れてからどれくらいたったのだ?
戦はどうなった?
俺の部隊は?
答えが出ぬまま、悶々としていると、ガチャリとドアが開いた。
そこには、灯りを持ったベイツ伯爵と、彼の使用人が立っていたのだが、ブラッドには、二人の男が誰だかわからなかった。
ブラッドは、男に疑問に思っていることを尋ねた。
すると、ベイツ伯爵はこう答えた。
「ここは、私の城で、私はベイツ伯爵領の領主だ。お前が倒れているのを見つけたのは私。私の領地内で敵兵が倒れていたんだ。殺したってかまわないんだが、生かしてやったよ。」
「なぜ? 私は敵兵なのに・・・」
「敵兵だって、せっかく生きているんだから、殺すのはもったいないじゃないか・・。」
「もったいない?」
ブラッドは、ベイツ伯爵の真意がつかめず困惑したが、命を救ってくれたのだから、ここは、礼を言うべきなのだろうと思った。
「命を救ってくださり、ありがとうございました。」
「ああ、医者が言うには、治療はもう少しかかるそうだ。完全に治るまで、この部屋で寝ていなさい。それから、お前は敵兵なのだから、人に見つかるわけにはいかない。絶対に、この部屋から出るんじゃないよ。」
ベイツ伯爵は、後ろに控えていた使用人が持っている籠を指さし、次にテーブルを指さした。
使用人はテーブルの上に、籠に入っていたパンと干し肉と水筒を置いた。
「食べ物は、この者が毎日持って来るから適当に食べなさい。それから、排泄はそこに置いてある箱の中へ。この者が片づけてくれるから。」
ベイツ伯爵は使用人に手ぶり身振りで、排泄の箱を片づけることを指示すると、使用人は無言で頷いた。
ブラッドの世話をする使用人は、どうやら、耳が聞こえず、話すこともできないようだった。
「この部屋は隠し部屋でね。窓はそこにしかない。」
ベイツ伯爵が指さした方を見ると、木の扉で閉ざされた窓があった。
扉を開くと手のひら程度の小さい穴が空いているだけで、とても窓とは言えなかったが、そこから日光が入り込み、ほんの少しだけ部屋が明るくなった。
ベイツ伯爵は、また来ると言って出て行ったが、灯りは置いて行かなかった。
ブラッドは、昼間は薄暗く、陽が沈むと何も見えなくなるこの部屋で、毎日を過ごすことになった。
使用人は1日に1回、1日分の食べ物と飲み物を持ってきて、排せつ物の箱を交換した。
ベイツ伯爵は、それとは別に、三日に一回、医者を連れてきた。
医者は傷ついた脇腹を消毒し、汚れた包帯を取り替える仕事をした。
ブラッドが、医者から治療を受けている最中、医者はやけにおどおどして、絶えずベイツ伯爵の顔色をうかがっているように見えた。
二回目の治療の後、医者はおどおどした様子でベイツ伯爵に言った。
「伯爵様、あの件は、くれぐれもご内密でよろしくお願いします。」
「ああ、約束だからな。それから、これはこいつを治療してくれた褒美だ。傷が完全に治ったら、もっと褒美をやろう。」
ベイツ伯爵は医者に金がたんまり入っている袋を渡した。
医者は金の量に驚いた顔をしたが、ありがとうございますと礼を言って、嬉しそうに懐にしまった。
どうやらこの医者は、弱みを握られて逃げられず、金をもらえるから離れられずといったところか・・・。
ブラッドは一ヶ月ほどで傷が治ると言われていたが、後半になって傷による高熱が続き、生死の境をさまよった。結局、完全に治るまでに2ヶ月かかってしまった。
ブラッドは寝ている間にずっと考えていることがあった。
自分は、国ではどう扱われているのか・・。
自分の遺体が発見されないまま、戦死者として扱われているのだろうか。
戦死ならまだいい。故郷の両親には、名誉の戦死と伝えられる。
きっと悲しむだろうが、息子の名誉ある死を受け入れるだろう。
そして、遺族に対すると見舞金を受け取るはずだ。
だが、もし脱走兵として扱われていたら・・・。
これほど不名誉なことはない。
脱走は軍法でもっとも不名誉なこととされ、即刻死罪と決められている。
小さい村の噂好きの隣人たちに、後ろ指を指されて、恥ずかしく辛い思いをしているかもしれない。
そう思うと胸が痛んだ。
傷が治ったとしても、自由に動けるようになったとしても、もう国には帰れない。
国に帰って、もし見つかったら・・・
そのときは、確実に不名誉な脱走兵となり、死罪だ。
ベイツ伯爵は心が弱っているブラッドを見逃さなかった。
脱走兵として逃げるように生きるよりも、私のもとで働かないかと持ち掛けた。
「ワーレンブルグ王国にも帰れず、かといって、グランテリア王国では戸籍がない。
まともな仕事にもつけず、苦しくなるのは目に見えている。
ならば、私の部下になって、働くことが一番良いのではないか。
私はお前を国に売ったりしない。」
ブラッドは、ベイツ伯爵に恩を感じていた。
だから彼の部下になることを選んだ。
それが、自分を苦しめることになるとも知らずに・・・。




