20話 町に行きたい
レオンが赤ん坊だった頃、モンテベロ子爵婦人のレティは、生後四ヶ月のディックと三歳のロドを連れて、皇太子宮に住み込みで働くことになった。
赤ん坊を育てるのに不慣れなイレーヌを助けるためだったが、レオンが三歳になると、必要性を感じなくなったレティ自ら辞職を願い出た。
いつまでもモンテベロ子爵邸を留守にするわけにはいかなかったこともある。
しかし、イレーヌのたっての願いで、レティは侍女として仕えることになった。
イレーヌが出した条件は、ディックとロドも一緒に皇太子宮に連れてくることだったので、レティは毎日馬車で二人の子どもを連れて、出勤することになった。
出勤や退勤途中に馬車を降り、買い物をすることも度々あったので、ディックもロドも町の様子に自然と詳しくなった。
あの店の焼き立てパンは美味しい、
最近町の子どもに人気のあるお菓子はぐるぐるキャンディ―だとか。
レオンと遊んでいるときも、やたらと町の話が出てくるので、レオンは町に遊びに行きたくて仕方がない。
しかし、王太子という身分が、簡単には町に行かせてくれなかった。
町に行きたいと泣いてすがるレオンに、イレーヌとアシュラムは条件を付けて許すことにした。
五歳になったら剣術をしっかり学び、自分の身を守れるようになってから。
その条件を喜んで受け入れたレオンだったが、剣術の訓練は思いのほか厳しいもので、幼いレオンにとって、それはかなり過酷なものだった。
イレーヌとアシュラムは、優しすぎるレオンを心配していた。
敵に襲われたときにも、優しい我が子は敵に刃を向けられないのではないかと。
だから、町に行きたいとせがむ我が子に、剣術の訓練を条件に出すのは良い機会だと思った。
レオンの思いが強いほど真剣に剣術を学ぶだろうと、過酷な訓練を強いたのだ。
敵の剣を振り払い一気に頸動脈を切る、敵を蹴り倒し心臓を突き刺す。
レオンに課せられた課題は、とてもじゃないが五歳の子どもにできることではなかった。
しかし、敵が王を直接襲うとき、それは傍に王を守る護衛騎士がいないことを意味する。
護衛騎士がすべて倒されたか、もしくは寝込みを襲われたか。
殺すか殺されるかの瀬戸際で、躊躇している暇はない。
訓練はレオンも指南役の騎士も木剣を使い、首には鹿皮を巻き、心臓には木片をつけて臨んだ。
慣れないうちは、何度も何度もレオンは指南役に倒され殺された。
しかし訓練を続けるうちに、レオンの力が強くなり俊敏さが増した。
そして八歳になった訓練の日、切りかかってくる来る騎士の背後に回り込み、膝裏を思いっきり蹴って騎士がバランスを崩した瞬間に、体ごと後ろからぶつかり、前のめりに倒れた背中に馬乗りになって背中から心臓を突き刺した。
レオンの初めての勝利に、負けた指南役の騎士は大いに喜んだが、レオンの心は複雑だった。
初めての勝利が嬉しくないわけではなかったが、素直に喜べず、じっと手と木剣を見つめるだけだった。
この勝利の後、コツをつかんだレオンは勝つ回数が増えた。
そして剣を持たずに戦う体術、相手の腕を一瞬でひねり上げて拘束する術、縄抜けの術など、ありとあらゆる身を守る術を学んだ。
ディックとディックの兄ロドも、レオンと一緒に訓練に参加していたので、レオン同様に強くなった。
しかしこの二人の場合は、自分を守るためだけでなく、主君を守る術も学ばねばならなかったので、実はレオンよりもさらに厳しい訓練になっていた。
だが、二人とも、いつかレオンを町に連れて行ってやりたいという思いから、弱音を吐くこともなく、いつも真剣に取り組んでいた。
それまでの苦労の甲斐あって、レオンが九歳のときに、やっと町に行き、自由に歩き回ることが許された。
ディック、ロド、護衛騎士と一緒に、平民服に着替えて町に繰り出したレオンは嬉しくてたまらない。
馬車から見るだけだった風景の中に、自分が溶け込み、自由に歩き回ることができる。
この上ない幸せだった。
イレーヌとアシュラムは、幸せそうに町の様子を報告してくる我が子を愛おしく見守った。
だが、これからも訓練を続けるように。
さぼったり、手を抜いたりしたら町に行けなくなる。
そのことを念押ししておくことは忘れなかった。
レオンが十一歳のときに、いつものようにディック、ロド、護衛騎士二人と一緒に町に出かけた。
この日はイレーヌから市場調査も任されていたので、いつもよりも財布の中身が多かった。
財布を落とさないように懐に入れて、店の商品を見ながら歩いていたとき、前から歩いてきた少年とすれ違いざまにドンと肩がぶつかった。
その一瞬に危険を感じたレオンは、少年の腕をひねり上げ、身動きができないように地面に体を抑えつけた。
心臓を狙われたと思った。
刺される前に捻り上げたつもりだった。
だが、少年は捻り上げた手にレオンの財布を握っていた。
レオンはぞっとした。
もし、この少年がナイフを持っていたら・・・
刺されていたかもしれない。
「は、はな・・・」
少年は最後まで言えなかった。
何故なら、護衛騎士が素早い動きで抱え上げ、当て身を食らわせ意識を奪ったからだ。
こんな場所で暴れられたら危険だ。
注目されるのはもっと危険だった。
護衛騎士が意識のない少年を抱きかかえ、皆はこの場をすぐに去った。
一瞬の出来事過ぎて、通りがかりの人には、少年が人にぶつかり転倒したのを、大人が抱え上げて介抱したように見えたことだろう。
「家に行こう。」
レオンが提案した家とは、町の中にイレーヌが買った小さな一軒家のことだ。
お忍びでレオンたちが町に出向くようになったとき、休憩場所になるようにと、ディックの父モンテベロ子爵の名で家具付きの家を買った。
もといた住人は借金を返せなくて、夜逃げ同然で出て行ったらしい。
イレーヌは、おかげで家具付きの一軒家を安く買えたと喜んでいた。
家に着くと、窓のない部屋に椅子を置き、まだ意識が戻らない少年を椅子に座らせロープで縛り付けた。
そして部屋には鍵をかけた。
こうしておけば意識が戻っても逃げることはできないはずだ。
皆はこれからのことを話合うためにリビングに移動した。
「殿下、この度の失態、本当に申し訳ございませんでした。」
リビングに移動するや否や、ロドが関を切ったようにレオンに頭を深く下げて謝罪した。
ことが起こってから今まで、謝罪したい気持ちをずっと抑えていたのだろう。
「ロド、あいつに聞こえるかもしれないから、まだ平民モードで。」
「あっ、はい。で、では、コホン・・・。レン、さっきはごめん。俺が横についていたのに、あいつを止められなかった。あいつの体がレンにぶつかる前に、俺が間に入るべきだったのに・・・。本当にごめん。」
「いや、俺も実は驚いたんだ。あいつから、敵意だとか、俺を狙っているだとかの気配をまったく感じなかったんだ。だから一歩出遅れてしまった。」
レオンは懐から財布を取り出し、心臓の前でギュッと握った。
「あいつがただのスリで良かったよ。もし、刺客だったらと思うと・・・今でもぞっとする。」
「レン、あいつのこと、どうするつもりだ? 警備騎士にでも突き出すか?」
とディックが問うた。
「いや、俺に考えがあるのだが・・・。」
しばらくして少年は意識を取り戻した。
茶色い目で回りを見渡し部屋に誰もいないことを確認すると、声を出さずに笑った。
そしてごそごそと動き出し、椅子とロープの間を下へと潜り抜けた。
次は薄水色がかった銀髪をかき上げ、中に隠していたヘアピンを取り出しドアの鍵穴に差し込んだ。
手応えを感じながらピンを回していると、カチャリと鍵が外れる音がした
ドアをそっと開けて部屋の外を見ると、リビングで話し合っている皆の姿が見えた。
玄関のドアから出るには、リビングを通らねばならない。
ならば窓を開けて出るか・・・。
少年は玄関の反対側にあった窓を、音をたてないようにそっと開けた。
「あっ、あいつが逃げる!」
気が付いたディックの声に皆が一斉に少年を見た。
少年は勢いよく窓を全開すると、猛ダッシュで窓を飛び越え外に逃げた。
皆も走って窓から飛び出し少年を追いかけた。
逃げる少年と追いかける五人。
逃げ足の速い少年を、なかなか捕まえることはできない。
しかし、この逃走劇は、一人の少女の出現で終止符を打たれた。




