13話 イレーヌの苦悩と幸福
十五歳で結婚したイレーヌは、父親が領地の生産性を向上させ経済を発展させたように、自分もこの国の経済に貢献したいと思っていた。
父親が作った研究所には、何度も見学に行き、実際に研究に携わる学者たちを見てきた。
父親の領地経営の方法も傍で見ていたので、ある程度のことは理解していた。
イレーヌがまず着手しようとしたのは、国営研究所の設立だった。
アシュラムも賛成してくれたのだが、貴族会議の席で多数の貴族に反対されてしまった。
研究所の建設費用、雇う学者の給料など、膨大な費用がかかるのに、先の見えない投資に国家予算を割くことができないという理由だった。
しかし、本当の理由は、結婚したての十五歳の娘に大きな顔をされるのが癪に障るからだった。
後からそれ知ったアシュラムは、たいそう怒りの炎を燃やしていた。
しかし、イレーヌは予算が問題なのなら、自分がその費用を出すと言い出した。
父親のガドフィール侯爵は、イレーヌが結婚する際に莫大な持参金を持たせたので、可能なことだったのだ。
イレーヌの持参金で運営するとなると、反対する者はいなくなった。
イレーヌは父親に頼んで領地で雇っていた研究者の半分を王都に移籍してもらった。
その学者たちを雇い、新しく建設する研究所の図面を書かせ、最新の技術が取り入れられるようにした。
また、今までに侯爵領で得た研究の成果を王家の直轄領でも試すなど、わずか十五歳とは思えぬ手腕で、てきぱきと指図し成果を上げていった。
イレーヌの毎日はとても充実していた。
アシュラムもそんなイレーヌを心から愛しており、夫婦仲は円満で、誰もがこの幸せな夫婦の未来は明るいと思っていた。
思っていたのだが・・・・
二人の間に子どもは授からなかった・・・。
結婚して五年が経ったころ、子どもができない夫婦に側妃の話が持ち上がった。
しかし、アシュラムは過去の歴史から、後継者争いが国を弱体化する恐れがあることを危惧していたので、側妃を持とうとはしなかった。
何より、イレーヌを悲しませたくなかったことが大きい。
いつかは生まれるかもしれないと、期待を捨てていなかったこともある。
だが、十年が過ぎ、アシュラム三十五歳、イレーヌ二十五歳になったとき、イレーヌの方から側妃を持つように進言した。
ただしと、条件を付けた。側妃は、五人にしてくださいと。
表向きは、一人の側妃に権力が集中することは良くないという理由だったが、イレーヌの本心は違っていた。
側妃となる自分より若く美しい女性にアシュラムの心が動く、自分を捨てて、たった一人の女性にアシュラムが夢中になる・・・
それを想像しただけで、心が張り裂けそうだった。
ならば、せめて側妃に向ける心を分散して欲しいと願ったのだ。
もしかしたら思惑が外れて、五人のうちのたった一人に寵愛を与えるかもしれない。
その時は諦めるしかないのだろう。
でも、自分と同じ感情を抱く他の側妃がいることを思えば、まだ耐えられるかもしれないと思った。
アシュラムは側妃を迎えることには乗り気でなかったが、後継者がいないという現実が重くのしかかり、イレーヌの進言を受け入れることにした。
あわよくば未来の王の祖父母になれると、多くの貴族が自分の娘を差しだそうとしたが、側妃選びは一つの派閥に集中しないように慎重に選んだ。
そして見目麗しく健康な五人の側妃が選ばれたのだった。
後宮に五人の側妃が入った後、アシュラムは義務のように後継者作りに励んだが、いつまでたっても子どもはできなかった。
妊娠すらしなかった。
たぶんこれは妃の問題ではなく、王太子の問題なのだろうと誰もが思うようになった。
アシュラム自身も諦めの境地に入り、王に即位したら血縁者の中から養子を迎えようと、イレーヌと相談して決めた。
イレーヌは、側妃を迎えたら自分は見向きもされなくなるのではと、非常に恐れていたのだが、アシュラムにとって愛する妃はイレーヌ一人で、側妃は義務感だけで体の関係を持つ存在でしかなかった。
側妃とはそんな関係だったから、五年も経てば徐々に足が遠のき、いつしか後宮に足を踏み入れることすらしなくなっていた。
ところがイレーヌが三十五歳になると奇跡が起こった。
アシュラムの子を身ごもり、男児を出産したのだ。
初めは月のものがなくなった自分を悲しんだ。
毎日神に祈りを捧げていたのに、月のものがこんなに早く終ってしまうとは・・・。
これで子を産む一縷の望みも断たれたと、誰にも知られぬように一人で泣いた。
つわりがなかったので、妊娠を疑うこともなかった。
もともと緩やかな服装を好んでいたので、少しふっくらとして来たことに誰も気づかず、イレーヌ自身も少し太ったかしら・・・と思う程度だった。
やっと子ができたことを自覚できたのは、お腹の子が腹を蹴りだしてからだった。
そんな訳だから、自覚してから出産するまでの期間が短く、出産準備に自他ともに大慌てになってしまった。
もし、生まれた赤ん坊がアシュラムに似ていなかったら、イレーヌの不貞を疑われたかもしれない。
しかし、生まれた赤ん坊の髪も瞳もアシュラムと同じ色で、少しふっくらしてくると、顔そのものがアシュラムの幼い頃に瓜二つであった。
誰も疑い様のない天使のような可愛らしい赤ん坊に皆が歓喜した。
イレーヌもアシュラムもそれはそれは喜び、我が子を心から愛した。
高位貴族の妻は、出産すると乳飲み子を抱えた乳母を雇い、我が子の乳の世話も乳母に任せるのが常識とされていたが、イレーヌはそれを拒否した。
自分の子を誰にも渡したくない、自分の子の世話は自分でしたいと願った。
その願いは認められ、イレーヌは自分の乳を与え、オムツの世話も全て自分でした。
しかし、赤ん坊の世話に不慣れな王太子妃を心配した王が、子爵家にちょうど乳飲み子を抱えた夫人がいたので、乳母として雇うことにした。
その夫人も乳母を雇うことを嫌い、上の子も下の子も自分で育てていると聞いたので、イレーヌの良き相談相手になるだろうと思ったからだった。
夫人と赤ん坊とその兄の三人をまとめて皇太子宮に招き入れたので、結果イレーヌの良き相談相手になり、また赤ん坊が成長するにつれ、良き遊び相手にもなった。
赤ん坊はレオンと名付けられ、両親から愛情いっぱいに育てられた。
幼いころから国王たる心構えも折に触れ受けていた。
特にイレーヌは、子どもの頃に父であるガドフィール侯爵から受けた教えを、レオンにも伝えるようにしていた。
国民あってこその国王である。
国王は国民を導く存在でなければならない。
そのためにしなければならないことを、よく考えなさい。
愛情いっぱいに育ったレオンは、愛情あふれる王子に育ち、それ故、城中の皆に愛された。
幼いゆえに我がままを言うこともあったが、両親以外は誰もレオンを叱ることはない。
しかし、誰かが自分の行動で困ったり、悲しそうな顔をしたら、自ら反省し、もうしないからねと優しく言える子どもであった。
その裏にもイレーヌの教えが生きていた。
王族に仕えてくれる人々がいるから、私たちは何不自由なく暮らしていける。
彼らに感謝の心を持ちなさい。
愛情あふれる王子は二歳のときに祖父である国王崩御で王太子になり、昨年二十二歳のときに父王アシュラムが崩御し国王に即位した。
そして今、サラの目の前に座り優しく微笑みかけているのは、レオン二十三歳、若きグランテリア国王なのである。
サラが古い記憶を思い出していると、レオンが話し始めた。
「聖女殿の噂を聞いて、一目お会いしたく、このように平民の姿で神殿に祈りを捧げに参りました。初めて来たときは、幼子が聖女殿に抱きついた日でしたね。」
サラが赤茶色の髪の青年に気が付いたのもその日だった。
「ええ、その時、陛下はその子の隣に座っていらっしゃいましたね。」
「おや、覚えておいででしたか。そのときの子どもへの、貴方の対応がとても優しいものだったので、私はすぐにあなたのファンになりました。」
「ファン・・・ですか?」
「そう、ファンですよ。ですが、あなたのファンは私一人ではありませんよ。町中の人々があなたに夢中だ。私が直接、町の人々から聞いたのですから間違いないですよ。」
レオンは身分を隠して平民の人々と話をした内容を、面白おかしく話し始めた。
そして話が一段落したあたりで、アイリスがお茶の用意をしたワゴンを、カイゼルがクッキーを盛り付けた皿を載せたワゴンを運んで来た。
アイリスは、まず初めにレオンにお茶を入れて差出し、次にレオンの後ろに立っている護衛騎士の二人にお茶を差し出したが、護衛中だからと断られてしまった。
「二人とも、せっかくお茶を入れてくれたのだから遠慮せずに飲むといいよ。」
レオンが爽やかに言うと、護衛騎士の二人はお茶をアイリスから受け取った。
それを確認してからレオンはお茶を一口飲んだ。
「ん! これは美味い。とっても美味しいお茶だ。」
「確かに。」
護衛騎士の二人もレオンの言葉に同意した。
国王と護衛騎士に、まさか自分のお茶を褒められるとは思っていなかったアイリスは、嬉しさと恥ずかしさでポッと赤く頬を染めた。
「アイリスはお茶を入れるのがとても上手なんです。アイリスのおかげで、私はいつも美味しいお茶を飲めるんですよ。」
サラの追い打ちをかける誉め言葉に、アイリスは、天にも昇る気持ちになった。
聖女様のために美味しいお茶を入れたくて、自分の屋敷のお茶の達人に特訓してもらった甲斐があった。あの特訓はこの日のためのものだったのね。
そして今日のことは、必ず聖女日記に書かなければ!
と密かに思うアイリスであった。
皆にお茶を配り終わった後、レオンが少し深刻そうな面持ちでサラに話し始めた。
「このようなことを言うと、聖女殿は気を悪くするかもしれないが、気になるので聞いておきたいことがある。聖女殿は、いつも祈りが終わった後、悲しそうな顔をしているように見えるのだが、もしかして、何か辛いことでもあるのだろうか。いや、私の思い違いだったら申し訳ないのだが・・・」
サラは、赤の他人を気遣う国王に驚いた。
そして、自分のことを心配してくれるレオンの優しさを知り、レオンになら、あのことを相談しても良いのでは・・・と思った。




